山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

06北陸・中四国晩秋の旅(第1日)その1

2008-11-09 04:04:56 | くるま旅くらしの話

今日からしばらくの間、2年前の記録を紐解いて、北陸から中四国を回り、東海を通って家に戻った、約1ヶ月ほどの旅の様子を紹介させて頂くことにします。記録は「でこぼこ日記」というタイトルで、まとめてあります。

06′北陸・中四国晩秋の旅 でこぼこ日記 

期 間:11月13日~12月8日

宿泊日数:25泊26日

総走行距離:3,454km

旅くらし人:山本拓弘&山本邦子

旅くらしくるま:SUN号    

<旅に出る前に>

北海道の旅から早く戻ったことの残念さが尾を引いて、何とかその分を取り返したいという気持ちが働き、隙(すき)あらば旅に出掛けたいとチャンスを窺がっていたのだが、なかなかすんなり出発することが出来なかった。

四国の瀬戸内海の島でのんびりしたいと考えていた。一昨年、初めてしまなみ海道というのを通った。その時に、瀬戸田PAに車を置き、多々羅大橋を半分渡って引き返したのだが、途中のミカン畑ののんびりした景観が印象に残り、いつかこのような所をゆっくり旅したいと思った。今年はそれを是非とも実現したいと考えていたのである。

出発前、お台場での日本RV協会主催の「くるま旅パラダイス」に出かけて、拙著「くるま旅くらし心得帖」の宣伝などをさせて頂き、又新たな知人との出会いがあって、感激の時をすごした後、ようやく旅に出掛ける環境が整った。しかし、12月には同窓会の幹事の仕事が待っており、遅くとも10日までには帰ってこなければならない。1ヵ月足らずの旅では、再び欲求不満が残るのは分かっているのだが、ともかく旅の虫を抑えるためには、出掛けてしまうことが肝要なのである。

今回の旅は、大雑把な予定として、先ずは北陸に向かい、知人宅をお邪魔した後、日本海側を通って、米子辺りから瀬戸内を目指し、しまなみ海道の島々でのんびり過ごした後、松山、高松、徳島の知人を訪ね、旧交を温めることにしたい。そして、帰りは東海道側を通って、最後に富士山をみて1210日までに帰宅することにしている。

というわけで遅い秋の出発となってしまったが、さてさて、今度の旅ではどのような出会いや発見が待っているのか、やはりいつもと同じように、出発前は大いなる期待感にワクワクするのである。

第1日 <11月13日()

自宅→(R294)→道の駅:下妻→(下館からR50他)→前橋市郊外・王将→(高崎にてR18に入る)→(松井田妙義ICから上信越自動車道に入り、佐久ICにて降り再びR18へ)→長野市郊外のリンゴ園→道の駅:あらい(新潟県妙高市)(泊) <316km

まずまずの天気だ。少し早めの方が楽かなと思いつつも、9時を少し過ぎた出発となってしまった。今日は単なる移動日の予定である。明日訪ねる予定の富山の知人宅に、余裕を持って着くことが出来るようにするためにも、今日は行けるところまで行っておきたいと考えている。前回同じようなコースで北陸に向ったときは、長野県の道の駅「しなの」までしか届かなかったので、差し当っての目標として、今日は、それよりも少し先にある道の駅「あらい」までは行きたいと思っている。

前回と少しコースを変え、R294で下館からR50に入って前橋方面に向かうことにした。今日の筑波山は未だ紅葉には至らず、それでも山全体が少し赤みがかって見える。先日の福島から新潟にかけた旅での全山紅葉とは比べものにはならない。冬は結構冷え込みが厳しく、筑波山でも時には樹氷が見られるというのを、知人の写真で知ったが、今日の筑波山は厳しさの片鱗も窺がえない感じで、やや霞みがかった空に、のんびり佇(たたず)んでいるという風景だ。

下館からのR50は、水戸へ行くときは結構使うのだが、その反対方向の前橋へは、せいぜい佐野にある巨大アウトレットの店を覗きに行く時くらいで、それより先は殆ど行ったことがない。メイン国道の一つなので、それほど渋滞も無かろうと高を括って行くことにした。小山、佐野を過ぎ、本当は伊勢崎経由で高崎に抜けた方が早いのだろうが、ナビ無し主義なので、ややこしい道は避けて、律儀にR50を前橋に向って進んだ。予想通り、それほど渋滞も無く、前橋郊外に近づく。連続3時間以上運転したので、昼食休憩をすることにして、王将という店に入る。外食しない主義なのだが、今日のような場合は止むを得ない。お陰で、久しぶりに餃子や焼ビーフンなどを食した。

3時間も運転すればそれなりに疲れるはずなのだが、拓の場合は不思議なことに疲れを感じることは滅多に無いのだ。隣の邦子どのがコックリをしていても、静かになってホッとする程度で、運転ばかりさせられる不公平感を覚えることは無い。さりとて運転がそれほど好きというわけでもない。我ながら不思議な奴だと思う。最も鉄人ではないので、眠くなるときもある。その場合は、適当な所に車を停めて眠るだけなのである。降りるときに車のオドメーターを見たら、79,979kmとなっていた。今回の旅で8万キロを超えるのは間違いないが、今日中にそれが達成されるに違いない。その時が来たら写真を撮るぞ、と自身に言い聞かせた。何時もいざとなると忘れてしまっていて、7万キロになった時も気がついたのは後になってからだった。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06北陸・中四国晩秋の旅(第1日)その2

2008-11-09 04:02:57 | くるま旅くらしの話

さて、腹も膨れたので再び車の運転席へ戻る。高崎からR18に入り、後はこの道を辿(たど)って行けば良いだけだ。流れは順調だ。前回は難所の碓井峠を素直に登ったが、今回は佐久に抜けるまでは松井田妙義ICから入って上信越自動車道を使うことにした。

高速道では、佐久平PAで休憩したが、妙義山などは見えず、さっぱり展望が利かないので、少しがっかりした。走っているときに見かけた妙義や荒船の山々は、独特の険しさがあって、それが見事な紅葉に包まれていてじっくり見たかったのだが、停まる所が無いのだからどうしようもない。佐久ICで高速を降り、再びR18へ。前回は上田を通り抜けるのにかなり時間がかかったが、今回はさほど渋滞も無く通過することが出来た。16時を過ぎると一挙に夕闇が迫ってくる。長野郊外を通り抜ける頃は、未だ17時前だというのに、ヘッドライトを点けなければならなくなった。この辺りのR18は、アップルラインと呼ばれていて、道の両側にりんごを販売する農家の店が幾つも並んでいた。

薄暗い中、その内の1軒に立ち寄る。入ってゆくと、そこは老夫婦が店を切盛りしているようだった。キャンピングカーを見て、お父さんの方は、「どこへでも行けていいなあ」と興味津々(きょうみしんしん)の様子だった。お母さんは、そのようなこととは無関心に、ひたすらリンゴの皮をむいて我々に試食を勧めるばかりだった。まあ、お茶でも一杯飲んでいきなされ、とお父さんは漬物などを出してくれて、気配りのもてなしに与(あずか)った。話好きのお父さんで、その昔R18が国道に昇格したばかりの頃は、この辺りは一面リンゴ畑で埋め尽くされていたのが、今はいろいろな建物が並んで、すっかり様子が変わってしまったという。リンゴを栽培する農家も少なくなって、後継者も居らず、自分達の代で終りとなってしまいそう、という様なことを話されていた。もう70代に入っておられるご夫婦とお見受けしたが、今の農家は大変だなあと改めて、そのご苦労や苦悶を思った。お父さんの話を聞いている間も、お母さんは手を休めることなく、いろいろな品種のリンゴの皮を剥き続けてくれて、試食を勧めてくれたが、その内にお腹の中がリンゴで一杯になってしまう感じがして、参った。「リンゴ、大好き」などとうっかり本当のことを言ってしまったものだから、お母さんは嬉しくなってジャンジャン皮を剥いてくれたのかも知れない。お父さんの出してくれた漬物もお茶にはぴったり合っていて、この上もなく美味だった。少しばかりリンゴを買っただけなのに、お母さんは規格外とかいうのを、買った分と同じくらいおまけとしてプレゼントしてくれた。ありがたい。リンゴも美味しかったけど、それ以上にこの老夫婦の朴訥なもてなしを嬉しく思った。来年ここを通るときは必ず寄って、リンゴを買うぞ!と思った。お二人ともどうぞお元気でお過ごしください。

去年泊まった道の駅「しなの」を通り越して、予定通り、今は妙高市となった道の駅「あらい」に着いたのは、18時半頃だった。ここはかなり広い駐車場があり、どこへ停めて良いかわからないほどである。しかし残念なのは、平らな場所が一つもないということだ。妙高山の裾野そのもののように、全ての土地が緩やかに傾斜しているのである。頭に血が上らないように寝床のことを考えて、場所を選んだ。

さすがに寒い。300km超を走って、先ずは、今日は予定通りの一日だった。そうそう、わがSUN号は松井田妙義ICに入る少し前に、遂に8万キロを突破した。ちゃんと気がついて記念写真も撮った。このところ、年々走行距離が増えてきていて、年間2万キロ近くになっている。SUN号には、あと5倍くらいは走って貰って、我々の旅くらしを安定させて欲しいと願っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする