山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

06北陸・中四国晩秋の旅(第2日)その1

2008-11-10 04:47:00 | くるま旅くらしの話

第2日 <11月14日()

  

道の駅:新井→(R18・上越市でR8へ)→道の駅:能生(新潟県

糸魚川市)→道の駅:市振の関(糸魚川市)→S氏宅(富山市)→道の駅:井波(富山県南砺市)(泊)  <187km

旅先の朝は何時も早い。5時ごろは大抵目覚めているが、隣の相棒は夢うつつの惰眠を貪(むさぼ)るのが好きなので、邪魔しないように我慢して、起き出すのは6時半頃になる。外へ出てみると、いい天気で、天辺(てっぺん)辺りに斑(まだら)に雪を被った妙高山が、日の出前の光を集めて鈍(にぶ)く輝いていた。大きな山だなと改めて思った。

   

道の駅:あらいから見る、早暁の妙高山。そのまま絵となる逞しい風景である。

新井市は合併して妙高市となったが、この命名は妥当だなと思う。新井などという平凡な名前よりも妙高の方が格調高い名のように感じた。しかし、本当のところは、どちらが格調高い呼び名なのかはよく判らない。

少し水を補給しようと給水施設を探したが、この道の駅にもそれは見当たらず、トイレの手洗いしかないので諦めた。ウロウロしている内に東の小高い山の上から朝日が昇った。本物の日の出ではないが、山の端に昇る旭光にはそれなりの神秘さを覚えるものである。

朝はパンにしようと近くにあるコンビニへ行ったが、食パンが見当たらない。殆どが菓子パンだ。僅かに在庫してあった食パンを見つけたが、賞味期限が切れかかっているのに値段が高い。スーパーの同じものよりも30円は高かったように思う。どうでもいいことかも知れないが、拓のマーケティング感覚で言えば、このコンビ二は商品管理が出来ておらず失格だ。コンビニが何かを少し忘れているような気がした。求めている食パンがなかったので、腹いせに言っているのではない。店長はもう少しコンビニの本質を理解し、実行しなければならないと思う。ただ売れるものだけ売れれば良いと言う姿勢は、いつか消費者から見放される危険性を孕(はら)んでいる。あらゆる生活者の利便性を重視した品揃えがコンビニには求められる。旅をしていると、時々間抜けなコンビニを見ることがあるが、ここもそれに近い感じがした。

食事の後は、日本海に向かって出発。今日は富山市在住の知人宅を訪問することにしている。上越市からはR8に入り、一路富山方面を目指す。上越の街を通過するときは、いつも春日山城のことを思い出す。上杉謙信という人物が、その居城としたその地を、目で確認したいなと思っているのだけど、なかなか実現せず、通過してしまう。今回もまた同じことになってしまった。上杉謙信については、今春、新潟県の栃尾市(現在は長岡市)を訪れたとき、常安寺というのがあり、そこが謙信ゆかりの寺であるのを知った。少年時代を栃尾で過ごした謙信が、その地で旗揚げをして世に乗り出していったと聞いた。単なる戦(いくさ)好きの武将とばかり思っていたが、決してそうではないということもその時教えられたのだった。上杉謙信という人物のことは、もっとよく知らなければならないなと思っている。

日本海側へ出ると何時も思うのだが、この時期の気象状況の変化は激しい。今朝の日の出頃は、まあまあの天気だったが、8時を過ぎると一変して黒雲が湧き出し、何やら胡散(うさん)臭い天気となりだした。上越市を通過する頃は、日本海に陽が差していて、海上に虹が架かっていた。この季節に日本海に沿った道を通ると、海の上に虹が架かっているのを何度も目にしたことがあるが、今日もその厳しい現象を目の当たりにした。

「能生(のう)」の道の駅に一寸寄ったが、ここはカニの販売店ばかりで、恐ろしくて近寄れない。越前ガニは解禁になったばかりで、さぞかし値段も高かろうと、その店が並んでいる方へは近づかないことにした。

能生を過ぎてしばらく走ると糸魚川のヒスイ海岸近くを通る。ここは信州の白馬の方から流れてきている姫川という川が海に注ぐ所だが、この姫川に沿って古来よりヒスイが採取されていると聞いている。川が海に出た辺りの海岸でもヒスイが採れるということらしいが、宝石などにはあまり関心がないので、探す気はない。それよりもヒスイ色に輝くこの辺りの日本海の方がずーっときれいだと思った。

 間もなく難所の親不知(おやしらず)を通過。この辺りは曲がりくねった道にトンネルや洞門が連続しており、今でこそ、あっという間に通過してしまうが、その昔は命懸けで通らなければならない難所だったに違いない。今日の日本海はかなり波が高く荒れ模様のようだ。

新潟と富山の県境近くにある道の駅「越後市振(いちぶり)の関」にて小休止の後、富山県に入り、しばらく走って富山市郊外を走るR8バイパスを左折してR41にて富山市の中心街へ。富山へは仕事で何度も来ているので、大体の街の様子は知っているつもりだが、SUN号で市街地を横切るのはこれで2度目である。富山県といえば、持ち家率や1戸辺りの家屋面積が日本一というリッチな地域という印象があるが、富山市の中心部辺りは、日本のどこにでもある小規模住宅の密集した都市に過ぎないという印象は拭えない。

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06北陸・中四国晩秋の旅(第2日)その2

2008-11-10 04:46:31 | くるま旅くらしの話

わが知人のSさんは、R41(飛騨街道)を南に走った空港近くに居を構えている。彼とは、同じ会社に勤務していて旧知の仲である。拓は、現役の人を訪ねるのは不謹慎と考えているので、全国にいる知人も殆ど訪ねなかったのだが、このところ自分の加齢とともに知人の加齢も進んで、定年を迎える人も多くなり、ようやく懐かしい顔を訪ねてみようという気になってきたのである。Sさん宅には、今年の春、佐渡からの帰途に一度寄らせて貰ったので今日が二度目となる。今日は生憎と奥さんが出掛けられていて一人なので、どうしようかと迷ったのだが、せっかく近くを通るので、顔だけでも見てと思って無理を押し、迷惑を承知でお邪魔することにしたのだ。13時半頃に、とのアポイントを頂戴している。

少し時間に余裕があり、燃料も少なくなってきたので、少し遠くの郊外の所定スタンドまで行って給油を済ませ、軽くお昼にしようと適当な店を探していたのだが、なかなか見当たらない。それでは、ますの寿司でも買って食べようかと、その専門売店に立ち寄ったのだが、なんと、何とそこでSさん本人と出会ったのである。彼も何か買物に来ていたらしい。お互い、お昼は未だのようなので、それなら一緒にしようということにして、そのままSさん宅まで行くことになった。

早速お宅に上がりこんで、家事には疎(うと)そうな(失礼!)彼にお茶を淹れて貰いながら、三人でますの寿司をつまむことになった。その後は、彼のお孫さんが学校から戻ってくるまで、楽しい歓談の時間を過ごすことになった。

拓は完全リタイアしてから2年以上が過ぎ、くるま旅くらしも次第に板についてきた感がするが、Sさんはリタイア後の生活が今年の4月からなので、未だ多少は心が揺れているようだった。話では、農業と植木の職人見習いという仕事がこれからの主流になっていくとのことである。自然を相手にできて、好きなことを生業とすることはすばらしいことだと思う。彼の場合は、隣に息子さん夫婦も住んでおられ、お孫さんとも何時も顔を合わせている暮らしなのだから、何の心配も無い最高の条件が満たされているように思った。我々のような根無し草のくるま旅くらしよりも、彼のような生き方が本来の理想的なあり方のような気がする。ま、人それぞれの生き方があって当然なので、お互い羨ましがる関係にあるのが一番良いことなのかもしれない。Sさんとは、これからもそのようないい関係を持ち続けたいものだと思った。

お孫さんが学校から戻ってこられて、そろそろお暇(いとま)をと腰を上げたのが15時過ぎだった。お土産に彼の作った大根、白菜、葱など、それに柿の実などをたくさん頂戴して恐縮した。また、富山の名物というイカの塩辛「黒づくり」という珍味も頂戴した。酒の味が一層引き立つに違いない。彼にはこの秋、美味しい富山米の新穀も頂戴している。頂戴ばかりしていて、申し訳ない。いや、本当にありがとうございました。奥さんが留守なのに二人で押しかけたりして、この図々しさは何時頃から身についてしまったのか、よく知らない。ま、お許しあれ。  

楽しい歓談のひと時が過ぎて、覚めやらぬ興奮を引きずりながらSさんにお別れして、今夜の宿を予定している道の駅「井波」に向う。途中から少し雨が降り出した。北陸の今頃の季節は、なかなか天候が安定しないようだ。朝から晴れたり曇ったり、雨が降ったりの変化の激しい天気が続いている。かなり暗くなった中を井波の道の駅に到着。

この道の駅には、これまで何度もお世話になっている。温泉ではないけど、いい風呂があって、旅の疲れを癒すには嬉しい場所だ。夕食は溢れるような野菜たちに囲まれて、リッチな気分で一杯やった。寝る頃には雨は本降りとなり、風も出てきてやや荒れ模様の状況となった。

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