第6日 <11月18日(土)>
道の駅:メルヘンの里新庄→(久世町にてR313へ)→道の駅:醍醐の里(岡山県真庭市)→(高梁市でR180へ)→井倉峡(岡山県新見市)→吹屋ふるさと村(岡山県高梁市)→(R313にて福山市から県道へ)→道の駅:アリストぬまくま(広島県福山市)(泊)<199km>
朝になった。天気は良さそうだ。道路脇にある気温標示板の只今の気温は0℃なっていた。でもあまり寒いとは感じない。道路の向こう側にある、山もみじの木の紅葉が見事に輝いていた。その木の脇に「歴史国道 出雲街道新庄宿」という標示板が立っていた。してみると、ここはその昔小さな宿場町であったらしい。今日は先を急ごうと思っているので、町並みの方へは寄らず終(しま)いとなった。又道路脇に「特別村民募集中」という幟(のぼり)が立っていた。特別村民というのは、どのようなものなのかよく解らないが、過疎対策の一つなのであろうか。
左:特別村民募集中の案内板 右:出雲街道新庄宿の案内標
今日は邦子どののたっての希望で、吹屋(ふきや)の里を訪ねることにしている。これは数年前からの要望だったが、なかなか訪ねるチャンスがなかった。今日はそれを実現させた後、福山まで行き、沼隈(ぬまくま)の道の駅に泊るつもりでいる。8時40分出発。
R181を久世町で別れてR313をしばらく走ると、「醍醐の里」という道の駅があった。新しい建物のようなのでオープンして間もないのかも知れない。店は10時の開店らしく、物産販売店の方は準備中のようだ。随分ゆっくりした商売のやり方だなと思った。この道の駅が、だらけた商売をしているのではないかと思ったのは、日本のあちこちを走り回っていて気付くのだが、道の駅で地元の物産を商う活気のある場所の全ては、早朝から軽トラが押し寄せ、どんどん野菜などを運んでくる。そして買物をする人も早朝からそれを待ち構えているような所が多い。10時オープンなどという店が活気を帯びているというのは見たことがない。デパート商売のようなつもりでは、地域の活性化は到底無理なのではないか。醍醐の里という京都を思わせる地名はいいのだけれど、商売のやり方には今一疑問を禁じえなかった。
さて、余計なコメントはそれくらいにして、高梁からR180に入って新見方面へ向う。途中井倉峡という紅葉の名所があり、その中の「絹掛けの滝」という所で小休止。井倉峡というのは高梁川の上流の渓谷の呼び名で、奇岩や洞窟、それに滝などがあって、なかなかの名勝地である。絹掛けの滝というのも、その名に相応しい優雅な滝だった。名瀑だ。今が紅葉真っ盛りの時の様で、赤や黄色の紅葉に染まったその景色は息を呑むような美しさがあった。
井倉峡:絹掛けの滝 ゴツゴツとした岩肌を縫って、細い絹糸のような水の流れが、紅葉に染まって美しい。(それにしても邪魔なのは電線ケーブルである)
新見の市街に入る手前で県道に入って吹屋に向う。吹屋はベンガラの里として有名だ。邦子どのは守谷に引っ越す前は、武蔵小金井にある江戸東京博物館の建物園でガイドなどのボランティをやっていて、その折にこのベンガラの建築に関する知識を仕入れたらしく、是非一度訪ねたいという願いを持っていたのだが、拓の方はさほど関心があるわけではない。ま、行ってみれば何か得るものはあるだろう、といった程度のことなのだ。
県道は次第に細くなって、何度かひやひやしながらようやく吹屋ふるさと村という所の駐車場に着いたのは11時半頃だった。先ずはざっとどのような所なのか歩いて見ることにした。細い坂道を挟んで、ベンガラ色の建物が並んでいた。
赤っぽい瓦とベンガラ格子の家々が並ぶ吹屋ふるさと村の景観
その昔ここは銅を産出する鉱山のあった所で、江戸時代は天領となっていたとか。明治になってから銅鉱石の副産物の何とか言う石を原材料としてベンガラが作られ、陶磁器の赤絵の絵付けや漆器、家屋、船舶等の防腐剤としての使われたとのことである。ベンガラは、日本の国内では、当時ここ一箇所で独占的に作られていたこともあって、莫大な富が集中し、その結果豪勢なベンガラ格子の建物が並ぶ町並みが形成されたのだ、と説明板に書かれていた。このような山の中に、異常とも思える活気をもたらしたその銅山も今はすっかり寂れて、往時を偲ぶのが残されたベンガラの建物だけというのは、何だか歴史の悪戯(いたずら)のような感じがした。残されている町並みは往復しても1kmに満たないほどのものであり、じっくり見学しても1時間足らずの散策だった。町並みから少し離れた所に吹屋小学校というのがあり、これは往時を偲ばせる立派な建物だった。
いつ頃建てられたのかは判らないけど、凛とした風格の漂う吹屋小学校の景観