山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

06北陸・中四国晩秋の旅(第6日)その1

2008-11-15 05:04:49 | くるま旅くらしの話

第6日 <11月18日(土)>

 道の駅:メルヘンの里新庄→(久世町にてR313へ)→道の駅:醍醐の里(岡山県真庭市)→(高梁市でR180へ)→井倉峡(岡山県新見市)→吹屋ふるさと村(岡山県高梁市)→(R313にて福山市から県道へ)→道の駅:アリストぬまくま(広島県福山市)(泊)<199km

朝になった。天気は良さそうだ。道路脇にある気温標示板の只今の気温は0℃なっていた。でもあまり寒いとは感じない。道路の向こう側にある、山もみじの木の紅葉が見事に輝いていた。その木の脇に「歴史国道 出雲街道新庄宿」という標示板が立っていた。してみると、ここはその昔小さな宿場町であったらしい。今日は先を急ごうと思っているので、町並みの方へは寄らず終(しま)いとなった。又道路脇に「特別村民募集中」という幟(のぼり)が立っていた。特別村民というのは、どのようなものなのかよく解らないが、過疎対策の一つなのであろうか。

   

左:特別村民募集中の案内板 右:出雲街道新庄宿の案内標

今日は邦子どののたっての希望で、吹屋(ふきや)の里を訪ねることにしている。これは数年前からの要望だったが、なかなか訪ねるチャンスがなかった。今日はそれを実現させた後、福山まで行き、沼隈(ぬまくま)の道の駅に泊るつもりでいる。840分出発。

R181を久世町で別れてR313をしばらく走ると、「醍醐の里」という道の駅があった。新しい建物のようなのでオープンして間もないのかも知れない。店は10時の開店らしく、物産販売店の方は準備中のようだ。随分ゆっくりした商売のやり方だなと思った。この道の駅が、だらけた商売をしているのではないかと思ったのは、日本のあちこちを走り回っていて気付くのだが、道の駅で地元の物産を商う活気のある場所の全ては、早朝から軽トラが押し寄せ、どんどん野菜などを運んでくる。そして買物をする人も早朝からそれを待ち構えているような所が多い。10時オープンなどという店が活気を帯びているというのは見たことがない。デパート商売のようなつもりでは、地域の活性化は到底無理なのではないか。醍醐の里という京都を思わせる地名はいいのだけれど、商売のやり方には今一疑問を禁じえなかった。

さて、余計なコメントはそれくらいにして、高梁からR180に入って新見方面へ向う。途中井倉峡という紅葉の名所があり、その中の「絹掛けの滝」という所で小休止。井倉峡というのは高梁川の上流の渓谷の呼び名で、奇岩や洞窟、それに滝などがあって、なかなかの名勝地である。絹掛けの滝というのも、その名に相応しい優雅な滝だった。名瀑だ。今が紅葉真っ盛りの時の様で、赤や黄色の紅葉に染まったその景色は息を呑むような美しさがあった。

   

井倉峡:絹掛けの滝 ゴツゴツとした岩肌を縫って、細い絹糸のような水の流れが、紅葉に染まって美しいそれにしても邪魔なのは電線ケーブルである)

新見の市街に入る手前で県道に入って吹屋に向う。吹屋はベンガラの里として有名だ。邦子どのは守谷に引っ越す前は、武蔵小金井にある江戸東京博物館の建物園でガイドなどのボランティをやっていて、その折にこのベンガラの建築に関する知識を仕入れたらしく、是非一度訪ねたいという願いを持っていたのだが、拓の方はさほど関心があるわけではない。ま、行ってみれば何か得るものはあるだろう、といった程度のことなのだ。

県道は次第に細くなって、何度かひやひやしながらようやく吹屋ふるさと村という所の駐車場に着いたのは11時半頃だった。先ずはざっとどのような所なのか歩いて見ることにした。細い坂道を挟んで、ベンガラ色の建物が並んでいた。

   

赤っぽい瓦とベンガラ格子の家々が並ぶ吹屋ふるさと村の景観

その昔ここは銅を産出する鉱山のあった所で、江戸時代は天領となっていたとか。明治になってから銅鉱石の副産物の何とか言う石を原材料としてベンガラが作られ、陶磁器の赤絵の絵付けや漆器、家屋、船舶等の防腐剤としての使われたとのことである。ベンガラは、日本の国内では、当時ここ一箇所で独占的に作られていたこともあって、莫大な富が集中し、その結果豪勢なベンガラ格子の建物が並ぶ町並みが形成されたのだ、と説明板に書かれていた。このような山の中に、異常とも思える活気をもたらしたその銅山も今はすっかり寂れて、往時を偲ぶのが残されたベンガラの建物だけというのは、何だか歴史の悪戯(いたずら)のような感じがした。残されている町並みは往復しても1kmに満たないほどのものであり、じっくり見学しても1時間足らずの散策だった。町並みから少し離れた所に吹屋小学校というのがあり、これは往時を偲ばせる立派な建物だった。

   

いつ頃建てられたのかは判らないけど、凛とした風格の漂う吹屋小学校の景観

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06北陸・中四国晩秋の旅(第6日)その2

2008-11-15 05:02:52 | くるま旅くらしの話

車に戻って軽く昼食をとった後、少し離れた所にあるベンガラ陶芸館というのに行ったのだが、残念なことに今日は休みとなっていた。そこから少し離れた所に、広兼邸という往時の庄屋の豪邸があるというのでそこへ行くことにした。細い山道を3kmほど走って到着。何と山の中腹に城郭のような建物があり、そこが広兼邸だという。

   

吹屋の広兼邸全景。山の中腹に城郭のような屋敷がガッシリと造られており、往時の庄屋としての実力の程が窺われる。

行ってみて知ったのだが、ここはかの有名な「八墓村」の撮影に使われた屋敷だという。確かにあの横溝正史先生のオドロオドロシキ作品の舞台にはぴったりだなと思った。ついでだが、拓は中学時代辺りから横溝先生の作品のファンで、略全作品を所有している。岡山の山村の風景のイメージは、先生の推理小説を通して描いてきたほどなのだ。それを目の当たりに見て、感無量の気分となった。

   

入口付近から見た広兼邸の景観。「八墓村」の撮影の舞台となったことも首肯できるなと思った。

それにしてもまあ、よくもこのような山中にとんでもない屋敷を構えたものである。中に入ってみて、想像以上に豪奢な屋敷であり、暮らしぶりだったことが分かった。しかし、この屋敷の子孫は、今はこの地を出て都会に住まわれており、建物は県に寄贈されて文化財として保管されているということである。

広兼邸の見学が終わる頃に、又雨が降り出してきた。吹屋に到着した頃から空模様が心配な状態となっていたのだが、ここへ来てついに雨を止めておくのを我慢しきれなくなったようである。吹屋の見学を終えることにして福山を目指す。

雨の中を少し道に迷いながら、R313に出て、ひたすら走り続ける。とにかくR313をどこまでも走ってゆけば福山市街を突き抜けて、今日の宿を予定している沼隈町(今は福山市に合併した)に着くことが出来る。井原市を通過し、福山市外に入る頃も依然として雨は降り続いており、16時前だというのに、既に夜になったような暗さである。17時少し前、目的の道の駅「アリスト沼隈」に到着。思ったより早い到着だったが、本降りの雨なので、真っ暗だ。これでは早めに寝るしかあるまい。

この道の駅は、我々のお気に入りの一つである。何といっても素晴らしいのは、この道の駅の地場産市場では、農産物だけでなく海産物も扱われており、これが実に楽しみなのだ。中でも地元の猟師さんたちが採ってきたワタリガニは、生きている奴が安価でゲットできるのである。明日が楽しみだ。

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