Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

教養のある人

2020年10月07日 | Weblog
教養のある人間は、他人に対して、教養がないとは、決して言わないと思います。
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結局、大切なことは

2020年10月07日 | Weblog
結局、大切なことは、人間を磨くことであり、学び続けることでしかないと思います。

そうした人を、他人は粗末にしないものです。しかし、人として未熟であれば、色々なチャンスを失っていきます。

与えられたものに感謝し、謙虚な姿勢で学び続けられるかどうか。そして、一方で、今の座に安住せず、力が足りなければ、常にその座を捨てる覚悟を持ち続けること。

それを日々の心構えとして、毎日を生きていくことが大切なのだと思います。
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木を見て森を見ず

2020年10月07日 | Weblog
日本学術会議の問題をたぐっていくと、ワッセナー・アレンジメントと、米国輸出管理改革法(ECRA)に行き当たりました。

安全保障貿易情報センター(CISTEC)
https://www.cistec.or.jp/about/cistec/j_jigyouannai/annai.html

不勉強だったなぁと思います。

とにかく、今は、戦後の総決算を成し遂げて、少しでも明るい未来を次の世代に渡していきたいと思うばかりです。

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改革の時

2020年10月07日 | Weblog
日本学術会議もそうですが、日本を弱体化させるためにGHQの仕組んだ様々な仕掛けを壊していくべき時期に来たと思います。

「日本のリーダーたちは悪である」という前提に立つ仕組みは、正邪のはかりを常にあべこべにしてきました。

憲法の問題もそうです。ただ、こうした問題は、占領政策について全く知らずに来た人=どっぶりと占領政策に浸かっている人からすれば、改革こそが悪に見えるのだろうと思います。

そうした状況を脱するためには、私はあらゆることをゼロから考えることが大切だと思います。

その組織の存在の目的と、意義、活動実績、費用対効果、そうした視点で見ていけば、かなりおかしいぞという認識が生まれると思います。

私たち日本の市民はそう愚かではないのです。メディアの流す情報に騙されないようにしつつ、粛々と改革を進めていくことで、日本の未来に少しだけ薄日が差してくるように思います。
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【Vision & Educaion,Ltd. からのお知らせ】- Vol. 33より

2020年10月07日 | Weblog
 長らく中止されていた対面での講演・研修が今月からは、かなり開催されるようになってきました。登壇させていただいて改めて思うことは、ライブでなければ、「熱」は伝わらないし、「気」とともに伝えなければ深い学びにはならないということです。

「空気、熱気、本気、元気、病気、根気、やる気、気合い、気分、気になる、気をつける、気を使う、気が付く、気に障る、気が散る」その他にも、「気」に関する言葉はたくさんあります。いかに「気」が、私たちの心と身体にとって大切なものかが感じられます。

「気」という存在は、紀元前から語られているのに、科学的には明確に解明されていないものでもあります。「気のせい」という言葉もありますから、何とも言えない微妙な存在です。

Wikipediaでは、「気」を次のように説明しています。「気(き、KI、Qi)とは、中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語の一つ。一般的に気は不可視であり、流動的で運動し、作用をおこすとされている。しかし、気は凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素と定義する解釈もある。宇宙生成論や存在論でも論じられた。」

この「気」がオンラインでは伝わっていかないように私は感じます。確かにYouTubeやGoogleMeetやZoomといったツールは「情報」や「知識」を伝達するには、距離と時間を超越できる優れた手段です。また、わかりやすく伝える能力の高い先生の話を、多くの人が聴講できる利点もあります。それなりに、その人の「人となり」もわかっている気になるほど、人間の「視覚と聴覚」に対しては大きな力を発揮します。

しかし、「嗅覚、触覚、味覚」に関すること、つまり、匂いや温度、手触り、味などは伝えることが出来ません。料理の作り方のレシピと大凡のHow toは学べても、状況によってなすべき微妙なさじ加減は、やはり同じ場にいなければ「感じ取る」ことの出来ないものです。あるいは、自分の経験をもとに「想像で」その感覚を類推して補うしかないものです。

人間性にしても、同じ場で空気を共有しつつ、微妙な言葉の手触りや温度感、立ち居振る舞い、表情、しぐさ、などによって、人格は感じられるものです。熱のこもった講演の場では、その会場の室温が上がるのをしばしば感じます。それは、伝える側の熱意に感応して、実際に聴衆の体温が上がり、部屋全体に熱気が生まれ、温度が上がっているからだと思います。音楽や舞台のライブも同様です。

「同じ場で学ぶ」ということは、「五感の全てを使って学ぶ」ということに他ならなかったのです。そこにどれだけの大きな教育的価値があったのかを、今、改めて問い直してみたいと思います。(志)
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1日3本の講座終了

2020年10月07日 | Weblog
1日に3回分の講演・研修をしなければならずに、準備に頭を抱えていました。以前にも何回か話を聞いて下さった方ですから、新しい話で勝負しなければなりません。

しかし、何とかなるものです。考え抜いている中に、今まで蓄積したものが、ぱっと閃いてくる瞬間があるものなのだと思いました。

これは、過去に、その都度、真摯に準備を重ねていたことで、余剰の力が蓄えられたからだろうと思います。

能力のない私は、ぎりぎりまで、どの引き出しに何をしまったか、意識を顕在化することが出来ず、直前まで悩み続けて、時が来ると一気に花開く感じです。

能力の低い、私の苦難の日々は、まだまだ続きます。
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