感動する心を忘れないようにしたいと思います。
美しいものに、美味しいものに、価値あるものに、
楽しいことに、悲しいことに、尊いことに、
心揺さぶられて、泣いたり、笑ったり。
いつも楽しんで生きていけたらと思います。
そして、それはそう思ってするのではなく、
自然とそうなっているということだと思います。
感動する心を忘れないようにしたいと思います。
美しいものに、美味しいものに、価値あるものに、
楽しいことに、悲しいことに、尊いことに、
心揺さぶられて、泣いたり、笑ったり。
いつも楽しんで生きていけたらと思います。
そして、それはそう思ってするのではなく、
自然とそうなっているということだと思います。
エクスプレッションアカデミーの第1講座が終わりました。
沢山の方にお運びいただき、本当にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
私はこの講座は、たとえ受講生がたった一人でも、
その一人に対して全力でお伝えしていこうと思っています。
だから、ここで使っているエネルギーは、
かなり強烈なものになると思います。
私が経験し、大切だと思ったことを、
心を込めて真剣にお伝えしていきます。
何をお伝えできるかはわかりません。
ただ、価値ある時間を過ごしていただけるように、
全力を尽くしたいと思っています。
ただ、それだけです。
今日は本当にありがとうございました。
皆様に、心からの感謝を。
出版した書籍の実売部数を自身のツイッターで公表し、
批判を浴びているというニュースがありました。
色々な経緯や、やりとりの内容は、詳しく見ていませんので、
コメントできませんが、
実売部数の公表が問題になるというのも、
何だかなぁと思います。
それは大本営発表みたいなことを
日常的にやっているということですし、
集会における主催者団体公表の参加人数を
マスコミがそのまま使う体質と同じだと感じます。
正確さに欠けた数字を
そもそも日常的に使っているということです。
企業の検査データのねつ造とも同根に思えます。
しかし、そうしたことは誰も問題だと思わないようです。
台湾が軍事訓練を行いました。
そのことで、
台湾が右傾化している。
台湾が軍国主義化している。
とは誰も言わないでしょう。
では、日本が同じことをしたらどうか。
結果は火を見るより明らかです。
私たちが民主主義を大切にするには、
こうした目に見えない言論の縛りから
抜け出さなければなりません。
常に客観的に論理的に公平に比較し、
理由を考えてみる必要があります。
そして、
それぞれの言葉の定義についても、
つねに疑いを持って、
正しく意味を理解しようとする努力が必要です。
吉田松陰先生は30歳で処刑をされます。
門人たちに当てた遺書「留魂録」は、
その伝わり方も不思議ですが、
一つ一つの言葉も不思議と胸に響いてきます。
うろ覚えで恐縮ですが、
現代語訳もどきを書いてみます。
(調べれば、すぐ正確なものはあるのですが・・・。)
「人にはそれぞれに相応しい四季がある。
十歳にして死ぬものには十歳の中に自ずからの四季がある。
二十歳には二十歳の四季が、
三十歳には三十歳の四季がある。
私は三十歳、四季はすでに備わっている。
私の人生が中身のない籾殻(もみがら)なのか、
身の詰まった米粒なのかは私の知るところではない。
もし同志の諸君の中に、
私のことを憐れんで、
その志を受け継いでやろうという人がいるなら、
それは即ち撒かれた種子が絶えずに穀物が毎年実るように、
私の命が生き続け受け継がれていくことになる。
同志のみなさんよ、
この辺りのことをどうかよく考えて欲しい。」
思いは受け継がれるもの。
教育は受け継がれるもの。
だから、
自分の教育をただただ
全力で深めていけば良いのだと思います。
それが伝わるかどうかは、
私の知るところではないのです。
教育は費用対効果が見えにくいこともあります。
だからといって手を抜いていれば、
その時には問題が表面化しなくしても、
数年の後には、
本物に触れたか、偽物に触れたかの、
本質的な違いが出てくると思います。
ただ、それもわかる人にはわかるし、
わからない人にはわからないものであることも
よくあることだと思います。
しかし、私はその見えない違いに、
全力で力を尽くしていこうと思います。
私が正しいかどうかは知ったことではありません。
ただ、そうせずにいられないからそうするだけです。
バッカーズ九州寺子屋の
卒塾文集原稿が少しずつ届いています。
読んでいると涙が溢れます。
学び取ってくれたものの大きさに、
今日の教育界の課題に・・・。
胸を打つのはとてもシンプルな言葉です。
「みんな違ってみんないいが本当に成立していることに驚いた。」
「ルールがなく私達を本当に信用して下さっていると思った。」
「集団としてよりも個人の集まりとして私達を見てくれた。」
「話を聴くことの意味が本当の意味でわかった。」
「気づくことによって沢山のことを学び、自分のものにできることがわかった。」
・・・こう書いただけでは、
おそらく、なぜ、私がこの言葉に涙するのかを
わかる人は少ないと思います。
学校の先生には特にわかりにくいと思います。
みんな当たり前のことばかりだからです。
しかし、この単純なことを
1の深さで理解するか、
100の深さで理解するかで人生は変わります。
塾生たちが100に近いところで
理解してくれていることを思う時、
私は涙が止まらないのです。
バッカーズ寺子屋、
バッカーズ九州寺子屋の面接をしています。
みんなに伸びるチャンスを提供したいのですが、
残念ながら、
定員があります。
人生を大きく変えていく力のある
寺子屋であるだけに、
不合格者を出すのは
とても悲しく残念な気持ちです。
多くの人たちが、
こうした沢山の良き学び舎を作って下さることを、
祈ります。
今宵は月が冴えていて、
まあるく白い月でした。
まあるい月の真下には、
広がる雲が横たわり、
雲は不思議な白さを帯びていて、
不思議と質感を持っていて、
なんだか日本列島のようでした。
ちょうど日本海の見島あたりに
月があるかのようでしたが、
やがて、
雲は流れて、
宍道湖や中海も見えてきました。
不思議な気持ちの晩でした。
今までに味わったことのない、
不思議な心持ちがした、
冴え冴えとした月の夜でした。
忘れてはならないことは、
一人を大切にすることです。
大勢の人たちに話をさせていただく日々の中で、
一人ひとりのことに心を留め、
寄り添っていくことを忘れないようにしようと思います。
反省であり、自戒でもあります。