吉田松陰先生は30歳で処刑をされます。
門人たちに当てた遺書「留魂録」は、
その伝わり方も不思議ですが、
一つ一つの言葉も不思議と胸に響いてきます。
うろ覚えで恐縮ですが、
現代語訳もどきを書いてみます。
(調べれば、すぐ正確なものはあるのですが・・・。)
「人にはそれぞれに相応しい四季がある。
十歳にして死ぬものには十歳の中に自ずからの四季がある。
二十歳には二十歳の四季が、
三十歳には三十歳の四季がある。
私は三十歳、四季はすでに備わっている。
私の人生が中身のない籾殻(もみがら)なのか、
身の詰まった米粒なのかは私の知るところではない。
もし同志の諸君の中に、
私のことを憐れんで、
その志を受け継いでやろうという人がいるなら、
それは即ち撒かれた種子が絶えずに穀物が毎年実るように、
私の命が生き続け受け継がれていくことになる。
同志のみなさんよ、
この辺りのことをどうかよく考えて欲しい。」
思いは受け継がれるもの。
教育は受け継がれるもの。
だから、
自分の教育をただただ
全力で深めていけば良いのだと思います。
それが伝わるかどうかは、
私の知るところではないのです。