Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

萩往還を歩く研修

2018年03月15日 | Weblog
萩往還を歩く

この研修を私は、
誰にも作ることが出来ない、
高いクオリティのものにしたいと思います。

生涯に亘ってその人の支えとなるような、
心に残るものにしたいと思っています。

しかし、多くの人に、
歩いて欲しいとも思います。

誰にも真似できない物を作ろうと
努力し続けていくことと、

誰にでも真似をしてもらえる物を作ろうと
努力することとは、

努力の方向性が全く違います。

この矛盾を克服する術を、
私はまだ知りません。

しかし、

私が大切なことを手探りで捜したように、
また、多くの人たちに支えられて、
はじめて成し遂げられてきたように、

だれかがきっと
その道を歩き始めてくれるはずです。

それまでに私のすべきことは、
もっともっと、
研修のクオリティを磨き上げていくこと。

少しでも、
分かりやすく、
少しでも
強く心に響くように、
自分の思いを深めていくこと。

それ以外に、道はないのだと思います。










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わかることの難しさ

2018年03月15日 | Weblog
「わかる」と一言に言うのですが、

私は、本当の意味で、
何を「わかって」いるのだろうかと思います。

吉田松陰という人についても、
萩往還を歩くことの意味にしても、

何度となく
学び直してはいますが、

まだまだ、
新しい発見が続きます。

知らないことが沢山あります。

だから、

決して教えることはできないと思います。

できるのは、
共に学ぶことだけなのです。

それが教育であり、
人生なのだと思います。



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萩往還

2018年03月14日 | Weblog
専門学校生向けの
GCBⅢというプログラムで、
萩往還30㎞を歩いてきました。

学生の皆さんが、
非常に沢山のことを
キャッチして下さっていたのが、
とても嬉しかったです。

ようやくこの研修も
日の目を見たように思います。

10年前とは、
かなり違ったものへと進化しています。

この研修はとても大きな労力が必要です。
コストもかかります。

だから、
その価値を本当に分かって下さる方と共に、
実施したら良いと、今は、割り切って
考えられるようになりました。

望まれなければやる必要はない。
安売りするつもりもない。

本当に同志と共に歩く道なのだと思います。

学生の皆さん、先生方、スタッフの皆様、
本当にお疲れ様でした。

ありがとうございました。


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志の教育の種

2018年03月12日 | Weblog
志の教育の種は、
確実に蒔かれているのだと思います。

一つ一つの瞬間に、
確かな手応えを感じます。

なぜ、そうなってきたのかは、
よくわかりませんが、

一人一人を大切にすることでしか、
道はひらけていかないように思います。

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読書

2018年03月10日 | Weblog
1日の読書時間が「ゼロ」の大学生が、
初めて5割を超えたそうだ。

読書は、
動物の中で唯一、
人間のみがやることができる。

折角、人間に生まれたのだから、
読書しないのは勿体ないことだと思う。

そのこととは別に、

読書について思うことがある。

それは、
小説ではなく、
伝記などを読む際に心しておきたいことだ。

伝記や成功哲学を読む際に、
現実の世界と、
本の世界とは違うなどとは思わないことだ。

偉大な思想や生き方に触れて、
それらに憧れ、
それらに近づこうと思わない人間にとって、
それらの読書はただの気休めにしかならない。

そうした人が実に多い。

何ら自己変革のための努力もせず、
成果が手に入らないからと言って、
この本に書かれていることは無意味であると、
非難さえし始める。

今の自分という物差しに、
全てを合わせて物事を見ようと
試みる人にとって、
読書は無意味である。

だから読書を勧めても
哀しいかな意味は無い。

一人でも多くの人と、
読書の大切さを分かち合っていけたらと
思うのだが・・・。












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限界

2018年03月10日 | Weblog
確かに「限界」は、
自分で決めているものに過ぎません。

しかし問題は、
そのことに気づくためには、

常に限界を超えようとする、
強い精神が必要だということです。

幾多の限界を乗り越え続けてみて、
はじめて肉体的な辛さも
無意識のうちに乗り越えられていることに
気が付くのだと思います。

しかし、
限界に挑戦することもなく、
それを乗り越えようとも思わない人には、

そのような世界を見ることは
決して出来ないし、

そうした世界があることをも、
夢想だにできないのだと思います。






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一日

2018年03月09日 | Weblog
今日は、
9:00~17:00までの、
企業研修でした。

皆様、
とても熱心で、
元気が良くて、
楽しい時間でした。

企業の未来を、
日本の未来を、
支えて下さる人財育成に、

多少なりともお役に立てているのなら、
とても嬉しいです。

昨日、一昨日は、
岡山での研修でした。

なかなか気を抜けない日々が
続きます。

時間との闘いです。
そして、
体力と気力が問われます。

教育実践の力を、
まだまだ磨き抜いて、
高めていかなければなりません。

只管に学び続けていきます。








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孤独と孤独感

2018年03月07日 | Weblog
実際に孤独であることと、
孤独感を抱えていることは、
少し違うと思います。

大勢の人に囲まれていたとしても、
ふと孤独を感じることはあります。

一人ぼっちでいたとしても、
心が満ち足りていて、
孤独を感じないことだってあります。

孤独の正体は何でしょうか。

子どもの頃、
寂しい思いをした記憶が作り出した、

心の影のようなものかもしれません。





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私心無かりしか

2018年03月07日 | Weblog
私欲の制し難きは、志の立たざるに由る。

志立てば真に是れ紅炉に雪を点ずるなり。

故に立志は徹上徹下の工夫たり。(言志耋録 24)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(大意)

人が自分の欲望を抑えられないのは、
志がしっかり立っていないからである。

志が立っていさえすれば、

欲望なんかは真っ赤に燃えている炉の上に
一片の雪を置いたような物で、
直ちに消えてしまうものだ。

だから、立志ということは、
上は道理を究明することから、
下は日常の茶飯事に至るまで
上下全てに徹するよう工夫することである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


色々な揉め事や争い事は、
私心を去れないから
起きていることが多いと思います。

私心を去ることで、
何が大切かが見えてきます。

私心を去った上での
意見の対立であれば、

どちらの答えであるにせよ、
納得できると思います。

問題は、

人は私心を公心と
勘違いしやすいところにあります。

私心無かりしか?

それを自問自答し続けなければなりません。

正しいものは、
美しく、綺麗に見えます。

それは、
見る人が見れば、
誤魔化しようが無く、
そう見えるものなのです。



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私の人生

2018年03月07日 | Weblog
自己紹介の必要に迫られたので、
自分の人生を振り返ってみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先生になりたかった。
でも、なれなかった。

若い頃、
志のかけらも無かった。

だから、
もう一度、勉強した。

先生になったら、
色々と見えてきた。

色々な人との出会いがあり、
沢山のことを学ばせていただいた。

教育をより良いものに変えたい。
そう思うようになった。

やっているうちに、
それは信念となってきた。

そして、

人生そのものになった。

生涯、勉強。
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