親が幼子を殺したり、
子が老父母を殺したり、
若者が友人を殺したり、
ドラッグを摂取して事故を起こしたり。
人が人ではなく、
禽獣に近くなっているかの様相を呈しています。
人間にだけ出来ることは、
「本を読むこと」です。
他の動物よりもはるかに、
知識を学び、
智恵を磨くことができるのは、
このためです。
戦後の社会の中では、
「人としての学び」がなくなってきたのだと思います。
しかし、私は安易な道徳礼讃の立場はとる気がしないのです。
それは、人間という存在を、
単純なものだと見なしていないからだし、
敬意を払っているからです。
「Aを教えたら、Aという状態になる」と考えるのは、
不遜であり、傲慢な気がして仕方がないし、
そんな単純なものじゃあないと私の心は呟きます。
私に言えることは、
「もっと本を読みましょうよ。」
ということだけ。
四書五経や世界の名作を。
歴史の風雪を経て、
今日まで生き続けた人類の叡智を省みるという
一事すらろくに出来ないのに、
たかだか数十年生きた智恵で、
人の心を育ててやろうなどと言うのは、
私の美意識とはかけ離れているように思います。
子が老父母を殺したり、
若者が友人を殺したり、
ドラッグを摂取して事故を起こしたり。
人が人ではなく、
禽獣に近くなっているかの様相を呈しています。
人間にだけ出来ることは、
「本を読むこと」です。
他の動物よりもはるかに、
知識を学び、
智恵を磨くことができるのは、
このためです。
戦後の社会の中では、
「人としての学び」がなくなってきたのだと思います。
しかし、私は安易な道徳礼讃の立場はとる気がしないのです。
それは、人間という存在を、
単純なものだと見なしていないからだし、
敬意を払っているからです。
「Aを教えたら、Aという状態になる」と考えるのは、
不遜であり、傲慢な気がして仕方がないし、
そんな単純なものじゃあないと私の心は呟きます。
私に言えることは、
「もっと本を読みましょうよ。」
ということだけ。
四書五経や世界の名作を。
歴史の風雪を経て、
今日まで生き続けた人類の叡智を省みるという
一事すらろくに出来ないのに、
たかだか数十年生きた智恵で、
人の心を育ててやろうなどと言うのは、
私の美意識とはかけ離れているように思います。