Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

人としての教育

2014年11月12日 | Weblog
親が幼子を殺したり、
子が老父母を殺したり、
若者が友人を殺したり、
ドラッグを摂取して事故を起こしたり。

人が人ではなく、
禽獣に近くなっているかの様相を呈しています。

人間にだけ出来ることは、
「本を読むこと」です。

他の動物よりもはるかに、
知識を学び、
智恵を磨くことができるのは、
このためです。

戦後の社会の中では、
「人としての学び」がなくなってきたのだと思います。

しかし、私は安易な道徳礼讃の立場はとる気がしないのです。

それは、人間という存在を、
単純なものだと見なしていないからだし、
敬意を払っているからです。

「Aを教えたら、Aという状態になる」と考えるのは、
不遜であり、傲慢な気がして仕方がないし、
そんな単純なものじゃあないと私の心は呟きます。

私に言えることは、
「もっと本を読みましょうよ。」
ということだけ。

四書五経や世界の名作を。

歴史の風雪を経て、
今日まで生き続けた人類の叡智を省みるという
一事すらろくに出来ないのに、

たかだか数十年生きた智恵で、
人の心を育ててやろうなどと言うのは、
私の美意識とはかけ離れているように思います。
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していただいたこと

2014年11月11日 | Weblog
人はしていただいたことしか、
人にしてさしあげることができないのかもしれません。

だから、私のやるべき事は、
できるかぎりのことを、
全力でやっていくこと。

見返りを求めずに、
ただひたすらに、
愛情を注いでいくしかないものだと思います。

子どもたちが、
そのことの意味に気づくのは、

ずっと、ずっと、後のこと。

それでよいのです。

私が死んだ後で、
子供たちがそのことに気づいてくれて、

また、同じように、
行動を起こして下さったのなら、

私の「思い」は、
少なくとも生き続けている。

そういうことだと思います。


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バースデーカード

2014年11月10日 | Weblog

バッカーズ寺子屋、
バッカーズ九州寺子屋、
エクスプレッションスクール雙葉の
塾生、卒塾生のみなさまに、
毎年、バースデーカードを送らせていただいています。

ここ一ヶ月ほど、
すっかり滞ってしまい
申し訳ありません。

これから投函しに行きます。

寺子屋の教育を通じて出会うことの出来た皆さんと、

年に一日だけですが、
もう一度、
しっかり向き合う時間を作りたいと思っているのです。

それは、一方通行の
祈りのようなものでしかないかもしれません。

しかし、そうせずには居られない、
祈るような気持ちで、
皆さんに未来を託しているのです。

それだけです。




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打算を捨てる気高さ

2014年11月09日 | Weblog
上海で行われたフィギュアスケートの試合で、
負傷しながら2位になった羽生結弦選手について、

「棄権させるべきだった」
「周りが出場を止めさせるべきだった」
「国を背負って頑張ったみたいな言い方には嫌気がさす」

「日本を背負っての活躍に感動した」
「不屈の精神に感動した」

様々な意見が飛び交っています。

私は、その本人にしか解らない心の内を慮れば、
黙ってエールを送るしかないと思います。

おそらく、
自身の体に起きていることも、

無理をすれば最悪の場合どうなるかも
わかっていたのだと思います。

その上で、迷うことなく戦うことを決めた。

一分の迷いも無い人間を止めることは、
周囲の人間には無理な話です。

演技するのは本人だけです。
本人のことを理解していればしているほど、
周囲の人たちも止めるのは難しいでしょう。

何かを死ぬ気でやったことのない人間には、
なかなか理解できないと思います。

東北の被災地で、
亡くなった人たちの思いも
真摯に背負っているのだと思います。

一競技者としての選手生命ということよりも、
一人の日本人として、人間として、
自分を育んでくれたものへの感謝と誠実な思いを
とても大切にしているのだと思いました。

あらゆる打算を捨てた行動だから、
理解されにくいのだと思います。

一方で、美談として取り扱うというのも、
羽生選手の真っ直ぐな思いとは違うところにあると思います。

命がけでやっている人を表現するのには、
どんな言葉も無力です。

ましてや同じ土俵で戦っていない人間の言葉など、
悲しいほどに力を持たない。

私も所詮は外野で野次っているに過ぎない一人です。

しかし、敬意だけは失いたくない。

そう思っています。








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磨き続ける

2014年11月09日 | Weblog

自分を磨き続けていくことが、
私の仕事にとっては大切です。

教育と経営との両立には、
正直、悩ましいところもあります。

誰も歩いたことのない道を歩く難しさが
そこにはあります。

しかし、
私が成功していくことが、

日本の教育を変えようと思う人たちの、
様々な新しいチャレンジに
つながっていくかも知れないと思えば、

戦い抜いて、
成功し続けるしかないと思います。

多くの支えて下さっている方々に感謝しつつ、
全力で走り続けます。


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言葉の難しさ

2014年11月08日 | Weblog
「言葉の力」は痛感するところですが、
その難しさもまた、この歳になって痛感しています。

研修や講演などの場面では良いのですが、

日常の何気ないひと言が、
いや、何気ないと言うよりは、
実にくだらないひと言が、
重く伝わったりしているようで、

軽口を叩くのにも注意が必要なようです。
飲んでいるときもそうですね。

でも、

私の性格として、
やっぱり、軽口を叩きまくり、

誤解をされまくっていくのだろうと思います(笑)。

なかなか聖人君子にはなれそうにありません。

皆さん、くれぐれも勘違いされぬよう。







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言葉は力

2014年11月07日 | Weblog
いつものことですが、

寺子屋の塾生のみなさまのレポートに

塾生の保護者のみなさまのレポートに、

私の研修を受講して下さったみなさまのレポートに、

心励まされます。


今、保護者のみなさまの、

スピーチコンテストの感想を拝読して、

心からそう思いました。


言葉は力なのです。


私もまた、心を奮い立たせて、

闘い続けようと思います。


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