4月に書いたブログのことをまた頭の中で反芻しています。
以下、再投稿です。
少子化対策が色々と取り沙汰されています。
このままのペースで人口が減少していけば、
日本という国はいずれ消滅するしかありません。
だから少子化対策は大切だと思います。
しかし、お金だけの問題ではないように私は感じています。
貧しさが原因なら、戦後、日本が焼け野原になったときに、
子どもが増えることはなかったはずです。
私が感じていることは、
未来に希望が持てない、志がない人が多くなったこと。
今の自分の豊かさを手放したくない、
面倒なことはしたくない、
といった利己心が強くなったこと。
子どもを宝と思い大切にする心が失われたこと。
そうしたことの積み重ねように感じるのです。
万葉歌人の一人でもある山上憶良は、次のような歌を遺しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【長歌】
瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ
いづくより 来りしものそ 目交(まなかひ)に もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ
【意味】
瓜を食べれば(残してきた)子どものことが自然に思われる。粟を食べれば、いっそうしのばれる。いったい子どもたちはどこから来たものなのだろうか(どのような縁で、私の子どもとしてやってきたのだろうか)。目の前にやたらと(子どもたちの姿が)ちらついて、安眠させてくれないことよ。
【反歌】
銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも
【意味】
銀も金も宝石も、どうしてそれらより優れている子ども(という宝)に宝として及ぶだろうか。いや及びはしない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分が美味しいものを食べたときに、
子どもにも食べさせてあげたい、
親や祖父母にも食べさせてあげたい、
そんな心が失われたことや、
子どもを宝と思う心が失われたことが、
問題の根幹にあるのではないかと私は思っています。
結局は、情緒を育む教育を回復することが
大切なのだろうと思います。
古くさいと思われるでしょうから、
私は勝手に考え、勝手に行動するだけです。