安芸高田市の市長と反対派議員たちのやりとりは、
【安芸高田】2年連続で決算不認定「足を引っ張る以上の動機が見当たらない」 - YouTube
これからの日本各地で起こらなければならない改革の姿を示しているのだと思います。急進的にせよ緩やかにせよ、間違いなくそうなっていかなければ、自治体も国も滅びていくような危機感を私も覚えています。
議論をするためには、一定以上の言語能力が必須です。ましてや市民の代表なのですから。「我々も立場がない」と語っていた市議の言葉が、全てを物語っていると感じます。つまり、やるべきは、市民のため、市のためであって、「一身の立場の安泰」ではないのです。そんなものは捨ててかからなければ、日本の未来はないのです。市も県も国も教育も、そして、個々人も、歯を食いしばって、自己変革を遂げていかなければ、日本の未来はないのに、なんと悠長に不遜にあぐらを掻いているのだろうかと思います。そして、そのことに気づかない、気づけないのが大きな問題です。勿論、そうした人を選んだ市民に責任があることは言うまでもありません。
明治維新というのは、ある意味では武士たちの既得権益の放棄でした。武士たちが、年貢という禄を失ってもやり遂げて下さったのが明治維新です。それを支えていたのは、侍たちの誇りであり気概であったのだと思います。勿論ひとくくりには出来ないのですが、近代化を成し遂げていかなければ西欧列強の植民地になるという危機感が、そこにはあったのだと思います。
これから2100年にかけて、日本の少子高齢化による人口急減、人口減少と教育の不備による国際競争力の低下は目に見えて進んでいきます。今の日本には「危機感無きジリ貧」という言葉がぴったりとあてはまります。それは、世の中を見ようとしないこと、厳しい現実を直視しようとしないこと、自分の頭で考えようとしないこと、プリンシプル(人としての望ましい行動の原理原則)の欠如、に端を発していると思います。
「何も持たない若者たちの無欲無限の赤心が日本の明日を創るのだ。」という歌詞が「吉田松陰」という歌に出て来ます。尾形大作 吉田松陰 歌詞&動画視聴 - 歌ネット (uta-net.com)
何も若者だけでなくて良いとは思いますが、「無欲無限の赤心(まごころ)」が大切だということは明治の改革にも、現代の改革にも共通していることだと思います。