seriousな対応が迫られているときに、日頃のマスコミの姿が如何に空虚で、馬鹿馬鹿しい空騒ぎだったのかがよく分かります。
いや、過去形では無く、今も多分にそうです。ニュースのワイドショー化とよく言われてきましたが、その批判になどメディアは耳を傾けては来なかったと思いますし、利益が何よりも優先されてきていたと思います。
下品であろうと、人を貶めようと、面白ければ、視聴率さえ上げれば、そこにお金はついてくるから、それで良いという風潮でした。確かにそれは資本主義経済の原理からすれば正しいことです。文句を言われる筋合いも無いのです。だって、みんなが見てるのだから。
しかし、情報というのは「教育」という側面と不可分です。なぜなら、人間は、24時間、365日、常に五感を通じて入ってくる情報で自分の考えが構築されていく生き物だからです。
くだらない情報に晒され続ければ、くだらない考えに共鳴し、そのように振る舞うことが多くなるだろうし、崇高な情報に触れ続ければ、崇高な生き方に共鳴し、そのように振る舞うことが多くなるだろうと思います。勿論、世の中は、玉石混淆ですから、そうした単純なものではない面もあります。
しかし、やはり情報には影響を受けるのです。だから、戦時においては、情報戦・心理戦が大きな意味を持っていたわけです。
そんなわけで、TVは見ないのが一番と、私はほとんど見ていなかったのですが、さすがに新型コロナウイルスの情報を手に入れるためには見ないわけにもいかず、こうして下らない思いを書き綴ることにも成ってしまった次第です。
大切な家族や友人や知人が、これから次々と亡くなっていったとして、show的に、お笑い的に伝えられてもなぁと思います。
平和で豊かな楽しい日々の中では、seriousにならずに笑って過ごすことが出来ます。しかし、厳しい現実の中では、真剣に生きるしか無いのかもしれません。(その中でもユーモアは大切ですが。)そして、時代をどう見るかは、その人の生き方に関わっているのだと思います。
いや、過去形では無く、今も多分にそうです。ニュースのワイドショー化とよく言われてきましたが、その批判になどメディアは耳を傾けては来なかったと思いますし、利益が何よりも優先されてきていたと思います。
下品であろうと、人を貶めようと、面白ければ、視聴率さえ上げれば、そこにお金はついてくるから、それで良いという風潮でした。確かにそれは資本主義経済の原理からすれば正しいことです。文句を言われる筋合いも無いのです。だって、みんなが見てるのだから。
しかし、情報というのは「教育」という側面と不可分です。なぜなら、人間は、24時間、365日、常に五感を通じて入ってくる情報で自分の考えが構築されていく生き物だからです。
くだらない情報に晒され続ければ、くだらない考えに共鳴し、そのように振る舞うことが多くなるだろうし、崇高な情報に触れ続ければ、崇高な生き方に共鳴し、そのように振る舞うことが多くなるだろうと思います。勿論、世の中は、玉石混淆ですから、そうした単純なものではない面もあります。
しかし、やはり情報には影響を受けるのです。だから、戦時においては、情報戦・心理戦が大きな意味を持っていたわけです。
そんなわけで、TVは見ないのが一番と、私はほとんど見ていなかったのですが、さすがに新型コロナウイルスの情報を手に入れるためには見ないわけにもいかず、こうして下らない思いを書き綴ることにも成ってしまった次第です。
大切な家族や友人や知人が、これから次々と亡くなっていったとして、show的に、お笑い的に伝えられてもなぁと思います。
平和で豊かな楽しい日々の中では、seriousにならずに笑って過ごすことが出来ます。しかし、厳しい現実の中では、真剣に生きるしか無いのかもしれません。(その中でもユーモアは大切ですが。)そして、時代をどう見るかは、その人の生き方に関わっているのだと思います。