「葬式の広告など無用に候。
家や町内も狭き故、大勢来ると、柩の動きもとれまじく候。
戒名も無用に候。
柩の前にて通夜することも無用に候。
柩の前にて空涙は無用に候。談笑平生の如くあるべく候。」
『坂の上の雲』で、正岡子規のなくなる場面、子規の葬儀の指示が、このように語られていた。
「葬儀無用のこと」私の父が書き遺した言葉は、ここから来ていたのかと思った。
子規のなくなるシーンを見ていて、亡骸に取りすがって涙したり、棺に花を皆で入れていったり、死を送る場面が、今の時代、本当に少なくなっているように感じた。そう思うのは、私だけなのだろうか。
家族葬も多くなった。死は、益々私たちのところから遠ざかっているように思う。
生と死は表裏一体。死を深く噛みしめなくなったということは、生を深く噛みしめていないということかもしれない。