深い思考をするためには、本を読み、自分と向き合い、世の中を考え、思索にふける時間が必要だと私は思います。
また、色々な「余韻」や「味わい」というものが、人の暮らしには大切なものだと思います。
目の前のことに、反射的に言葉を紡ぎ出していくことが、どれだけのものを生み出すのか私にはよくわかりません。
しかし、それが現代という社会です。タイパ(タイム・パフォーマンス)が良いとか悪いとかが、大切な価値観です。
「日本のポップソングのヒットチャート上位20曲のイントロは、2011年の平均17秒台から21年には半分以下の6.3秒と一気に短くなりました。背景には音楽配信の普及があります。サブスクリプションで聴き放題のため、利用者は好みの曲を探して次々と再生します。歌い出しやサビまで時間がかかる曲はスキップされることもあります。」と日経新聞にも取り上げられていました。
時間効率を上げることには勿論、大賛成です。人生は時間であり、二度と返っては来ないのが時間なのですから。
しかし、どうも、タイパという言葉から感じるのは、条件反射的な思考と生き方のようにも思えます。
果たして、深い思考に意味があるのかないのか。
あるというならば、それを現実の社会の中で、自分で証明してみせるしかありませんし、ないのであれば、変わりゆく時代を横目で見つつ、社会の片隅で静かに暮らすしかありません。