2月16日付けの産経新聞に
拙稿「いま求められる志の教育」が掲載されました。
今、「志」という言葉や「志の教育」という言葉が
ようやく日の目を見るようになってきました。
それはそれで大変嬉しいことなのですが、
それを実践している県や学校の先生・生徒の皆さんと言葉を交わすと、
「ああ、良くわからないけど、何かやってますよね。だいたい志って何ですかね?」
「志の教育って、夢を持てって言ったらいいんですよね。」
と、こんな感じの反応ばかりが返ってくるので、
これは少々まずい方向に事が進んでいるのではないか?
そんな心配もあって、書かせていただきました。
もちろん、これから更に、様々なところで、
志の教育を実践していこうという決意の表明でもありますが…。
言葉の定義を明確にしておくことは、
とても大切なことだと改めて思っています。
私は、みんなで、何となく、
「空気」に左右されて漂っていくような教育を行うのではなく、
もっと地に足の付いたものにしていきたいと考えています。
そして、私の今の言論活動におけるルールは、
①他人の批判をしないこと。
②実践を通してつかみ取ったことだけを述べること。
③自分がやりもしないことは書かないこと。
それを念頭に書き綴っています。
一人の人間が、言葉と行動で教育をしていく以上、
そうならざるを得ないのだとつくづく思います。
やはり、大人の生き方や美意識が問われるのだと、
覚悟を新たにしています。
拙稿「いま求められる志の教育」が掲載されました。
今、「志」という言葉や「志の教育」という言葉が
ようやく日の目を見るようになってきました。
それはそれで大変嬉しいことなのですが、
それを実践している県や学校の先生・生徒の皆さんと言葉を交わすと、
「ああ、良くわからないけど、何かやってますよね。だいたい志って何ですかね?」
「志の教育って、夢を持てって言ったらいいんですよね。」
と、こんな感じの反応ばかりが返ってくるので、
これは少々まずい方向に事が進んでいるのではないか?
そんな心配もあって、書かせていただきました。
もちろん、これから更に、様々なところで、
志の教育を実践していこうという決意の表明でもありますが…。
言葉の定義を明確にしておくことは、
とても大切なことだと改めて思っています。
私は、みんなで、何となく、
「空気」に左右されて漂っていくような教育を行うのではなく、
もっと地に足の付いたものにしていきたいと考えています。
そして、私の今の言論活動におけるルールは、
①他人の批判をしないこと。
②実践を通してつかみ取ったことだけを述べること。
③自分がやりもしないことは書かないこと。
それを念頭に書き綴っています。
一人の人間が、言葉と行動で教育をしていく以上、
そうならざるを得ないのだとつくづく思います。
やはり、大人の生き方や美意識が問われるのだと、
覚悟を新たにしています。