イーロン・マスク氏が、いずれ日本は滅びるだろうといったことがニュースになっていました。
「当たり前のことだけど、出生率が死亡率を上回るような変化がない限り、日本はいずれ存在しなくなるだろう。これは世界にとって大きな損失になる」
統計的に見れば、当たり前の話でしかないと思います。
それより私は、「日本が滅びることが世界にとって大きな損失になる」という言葉の真意の方が気になりました。日本人の考え方や生き方が価値あるものであり、それが失われることが損失だという意味なら嬉しいのですが、さて、どうなのでしょう。
それはさておき、少子化対策の施策としては、お金の話しか出てきていないように思えてなりません。勿論、お金は必要で大切なものです。
しかし、子育てを金銭的価値に換算してみる考え方が、少子化を招いてるようにも私には思えます。
日本が貧しかった頃、貧しくても子どもはたくさん生まれ育っていました。確かに、不十分ではあったでしょうし、苦しいことも一杯あったと思います。でも、そこに父祖の世代は幸せを見いだしていたように思います。
昔は、「子どもは宝」という考え方があったからではないでしょうか。
今の「子育てはお金」という考え方はたしかに正しいかもしれません。しかし、お金には、「コスト」という考え方もあれば、「投資」という考え方もあります。金銭哲学が大切なのだと思います。
そして、もっと大切なことは、打算ではなく、「人を心から愛する」ことや、「親孝行をし、年寄りを大切にする」ことや、「未来の子々孫々のことを思う」という、人間としての真っ当な「心」を取り戻していくことなのかもしれません。
東井義雄先生の言葉は、そのことを考えさせてくれます。
『「自由」「民主主義」・・・と言いながら、「欲望」や「衝動」をはびこらせ、救い難い「エゴイズム」を育ててしまっていた、ということではないか。何よりも大切に育てなければならないのは「人間」であったのに、その肝心な「人間」が、「欲望」や「衝動」の奴隷になってしまい、動物に成り下がり、目をいからせ、口をとがらせ、ツノを生やし、他を攻める他罪主義の「鬼」が国中にあふれていた、ということではないか』(『東井義雄一日一言』)
ここに書かれている有様では、イーロン・マスク氏に言われるまでもなく、国が滅びても仕方ありません。昭和、平成、令和と、じわじわと、滅びに向かって、人間性の喪失という病が進んでいるのかもしれません。
本当に今の教育で良いのか。「人間」は、「子どもたち」は、人間らしく、子どもらしく育っているのか。自問自答を繰り返しつつ、そして、私自身も自らを省みつつ、教育に邁進していく以外に道はないのだろうと思います。