「今、無名の指屈して信(の)びざるあり。指の人に若(し)かざるは則ち之を悪(にく)むを知り、心の人に若かざるは則ち悪むを知らず。此れ之を類を知らずと謂(い)ふなり。」(告子上十二章)
「(人は薬指が曲がってしまうと、生活に支障はなくても治してもらおうとするように)わずか一本の指でさえ人並みでないと、恥じることを知っている。それなのに、(肝心の)心が人並みでなくても恥じることを知らない。これこそ物事の軽重を知らないと言うことである。」
『孟子』の言葉です。(『孟子一日一言』より)
教育というのは、結局、人間の心を磨き、その人が、より良い生き方ができるように手助けをすることだと思います。
しかし、自分の精神の在り方については、『孟子』の一節にあるとおりで、あまりにも無頓着な人が多いのかもしれません。
「其の小を養う者は小人となり、其の大を養ふ者は大人となる。」(告子上十二章)(つまらない部分(口やおなか)ばかりを養うものは、結局、つまらない人間となる。大切な部分(精神)を養う者は、偉大な人物となる。)(『孟子一日一言』より)
孟子の言葉の通りだと感じますが、では、この言葉が心に響く人が、今の世に、一体何人いるのかを思う時、教育の道を歩むことが、険しく哀しく辛いものに思えてきます。
しかし、この道を歩み続けるしかありません。
自分の力が通じようが通じまいが、全力で子どもたちに向き合い、大人たちに向き合い、全力を尽くしていくだけです。