Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

お盆に思う

2018年08月16日 | Weblog

お盆は、もともと、祖先や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、子孫が、報恩や追善の供養をする期間でした。日程は、地域によって多少の違いがあるようですが、十三日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎え、期間中にはお経や飲食の供養をし、十五日か十六日の夕方に、送り火を焚き、御先祖さまに帰ってもらうというのが、基本的なあり方として定着しています。
 この時期によく見かけるのが、キュウリとナスビに割り箸やマッチ棒(楊枝)を刺して馬と牛に見立てた精霊馬(しょうりょううま)です。キュウリを馬に見立てているのは、お盆のときに、少しでも早く迎えられるようにとの願いを表し、ナスを牛に見立てているのは、お盆が終わって帰るときには、ゆっくりと荷物を持って帰ってもらえるようにという願いを表しています。
 お盆の由来については、「釈迦の弟子である目連(もくれん)が、亡き母が地獄で苦しんでいることを知り、なんとかして母を救いたいと、お釈迦様に教えを乞うた。そこでお釈迦様は、「旧暦の7月15日(現在の8月中旬ごろ)に多くの高僧を心から供養すれば、三途の苦しみから救えるでしょう。」と伝えた。目連がその通りにしたところ、母親は無事、往生することができた。」ということが盂蘭盆会の始まりだそうです。
 今ではお盆が、ただの夏休みになっているところも多いと聞きます。仏教と関係ないご家庭では余計にそうでしょう。しかし、この日本の心優しき風習を、私は大切にしたいと思っています。
 なぜなら、亡くなった人たちの魂が、お盆の期間には、家に帰ってくることができると考える風習はとてもユニークだと思うし、生前と同じように家族の一員として居続けて欲しいと願う心は、深い家族愛・人間愛を感じさせてくれるものだからです。
 祖先への供養も、自分の力だけで今があるのではないことに気づき、深い感謝の心や謙虚な心を抱かせてくれます。さらに、亡くなってしまった家族や祖先の魂に、「少しでも早く帰っておいで。」そして、「少しでもお家でゆっくりしていって。」と願う、思いやり深い心を持ち続けることや、「亡くなった子が、父が、母が、寂しい思いをしてはいないか、辛い思いをしてはいないか」と、死んだ後々にまでも幸せを願い続ける優しい心は、失ってはならない美しいものだと思います。
 お盆にお墓参りをすることは、とりもなおさず、こうした心を次の世代に伝えていくことでもあります。親の振るまいが、実は多くのことを子供たちに伝えていて、心を育んでいるのです。私自身の価値観が善きものになるよう学び続けたいと思います。
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