Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

言葉の快・不快

2014年07月16日 | Weblog
「言葉の快、不快は、

 一語一語の持つ意味や定義のうちにはない。

 それを使う人の心にある。

 邪心が無ければ、

 そして、

 それを邪推する事無く聴くことが出来さえすれば、

 どんな「不快用語」も不快感を伴わぬであろう。

 なぜ人々は、「不快用語」一掃を叫ぶ人々の邪心に、

 そしてその彼等の用いる言葉に不快感を覚えぬのか。

 そういう言語感覚の持ち主は一生

 「不快用語」に付きまとわれるであろう。

 そればかりではない、

 所謂「不快用語は」日本語ばかりではなく、

 あらゆる国の言語にとって、堆肥の如く、

 言葉の地味を豊かにする不可欠のものである。」


 故福田恒存氏のような、
 言葉への鋭い感覚を持った評論には、
 もうお目にかかれないと思います。

 「評論家」と揶揄されぬ凄みが、氏の評論にはありました。

 せいぜい人を扱き下ろして快哉を叫んでいるような、
 そんな痩せた言語空間に身を置くことを、
 私たちは良しとしてしまったのです。

 歯ぎしりしながら、其の事に向き合おうと思います。

 
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物を見る

2014年07月16日 | Weblog
人間はどうあがいても、
自分の解釈の幅でしか物を見ることはできまん。

公平にと謂い、
客観的にと謂ったところで、
それはその人の解釈でしかないのです。

だから、

物を言うことに畏れを抱いているか。

そのことが大切になるのだと思います。

陰口一つが、どこでどのように
波紋を拡げるかわからないものです。

まして、
不特定多数に発信する言葉は、
どのように受け止められるかは、
全くと言って良いほどわからないものです。

だからこそ、
学び抜き、
人格を高め、
言葉を発していかなければならない。
そう思います。

失敗もあり、
後悔や反省もあるけれども、
自分を磨き続けるしかないのだと思います。

あとは天に任せるしかない。

そう言えるだけの本を読み続けているか。
そう言えるだけの人たちと出会い、
自分を磨き続けているか。
そう言えるだけの文章を書き、
自分の考えを練り上げているか。
仕事を通じて世の中にどれほど良き価値を生み出せているか。

それが唯一、
自分を多少なりとも客観視するための
バロメーターなのではないかと思います。







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