Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

違いがわかると言うこと

2008年11月06日 | Weblog
教育は価値観である。
そこでは「違い」がわかるかどうかが大きな問題になる。

例えば、「器」で考えてみると、

百円ショップで買おうと、
人間国宝の作家の窯で買おうと、
プラスチックのものであろうと、
漆塗りのものであろうと、
「何かを入れる」という「機能」は同じである。

しかし、「機能」が同じであれば、
何でも良いのかというとそうではない。

確かに、汁物や食べ物を「入れる」という機能は
同じかもしれないが、
人間は、そこに、手触りや、芸術性、作った人の思い、
その他、多くのことを感じ取るものである。

勿論、安い物にも高い物にも、
それぞれの作り手の苦労はある。
しかし、奮発して懐石料理を食べに行って、
確かに素材も良く、味付けも良かったが、
プラスチックの器で出されたというのでは、
美味しさも食事の雰囲気も半減されるだろう。

教育もそれと同じである。
先生方が、ほぼ同じ知識を教えるということは、
ここで言う「器の機能」の同じである事を
追究するようなものである。

それも大切なことである。
だが、そこに味わいやこだわりはない。

私は、味わいやこだわりの中にこそ、
人間の心を揺さぶるものが存在するのだと思う。

人を感動させるのは「機能」ではない。
「物」の向こう側にある、
作り手の「こだわり」であり、
作り手の「心」なのである。
それが、「物」を通して、
人間の五感に働きかけてくるのである。

教育も大切なのは、
「こだわり」であり「心」だと思う。

そして、それはわかる人にはわかるが、
わからない人にはわからないという状況を生み出す。

料理や器と同じで、それは致し方のないことであろうと私は思う。





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