花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

世の中に酒というものがなかったら

2016-12-21 21:27:38 | Weblog
 「世の中に酒というものがなかったら」、社会に出て以来このフレーズは時々耳にしますし、時々自分も使います。酒の失敗が多い人が話題になった時です。例えば、飲むと正体がなくなる先輩が、ぼったくりバーですっからかんにさせられたり、怖いお兄さんに因縁を吹っかけて逆に殴られたりしたのを聞いた時、「世の中に酒というものがなかったら、○○さんの人生はもう少し違ったのにねぇ」といった具合に。その一方で、世の中に酒というものがなかったら、日々の暮らしが味気なくなったり、楽しみを失ってしまうこともあるかと思います。
 今日の朝日新聞夕刊に俳人・井月(せいげつ)を取り上げた記事がありました。記事によると、井月は「幕末から明治にかけ伊那谷にふらりとやってきた。あちこちの家に泊まったり、寺の祭礼に現れたりして食を乞い、その御礼として長寿を祝う句や死を悼む句を数々残した」とあります。また、お酒が大好きで「いつも腰に酒の入った瓢箪をさげ」ていたそうです。「よき酒のある噂なり冬の梅」を詠んだ井月にとって、世の中に酒というものがなかったら、生きる喜びを見いだせず、若くに野垂れ死にしていたかもしれません。
 記事には井月のお墓の画像が載っていて、八海山が供えられていました。全く理由も根拠もありませんが、漂泊の人、井月には違うお酒の方が似合うような気がします。では、どんなお酒が似合うのでしょうか。しばし考えてみたところ、記事にある辞世の句が「何処やらに鶴(たづ)の声聞く霞かな」であることから、鶴と霞の両方が名前に入っている但馬のお酒、香住鶴はどうだろうと思いました。これも全く理由も根拠もありませんが、味わい的にも合っているように思えます。ただ、この問いについてはこれで終わりではなく、これから幾度となく想像の楽しみを与えてくれそうです。世の中に酒というものがあったおかげで、再考、再々考の楽しみを得ることが出来ました。

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