花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

水の如し

2024-09-25 21:10:00 | Weblog
 夏、登山に行って水場のないロングコースを歩いた時、水筒の水を飲み干してしまい、喉の渇きに耐えるしかなくなったことがあります。途中、解け残った雪渓があったので、雪の先端からポタポタ落ちる雫をカップに集めました。一滴一滴は綺麗に見えるのに、カップの水がある分量になると、枯れた草の根っこの切れ端や何だか分からない茶色い浮遊物や泥の粒が目立ってきます。カップの水を捨ててやり直しても結果は同じです。一番雪が綺麗そうな場所に移っても、やはり同じです。結局、我慢出来る程度にごみを指で取って、ごくっと飲みました。

 このような場合、ほかの人はどうするでしょうか。①水を濾してごみを全部取って飲む、②私同様、我慢出来る程度にごみを取って飲む(我慢出来る程度は人によって違ってきそうですが)、③ごみなんて気にしないで飲む。①と③は少数派かと思います。②については、どれくらいのごみなら我慢が出来るかで個人差があるでしょうし、それはその人の人間性と関連性がありそうな気がしないでもありません。

 似たようなことは人間についてもありはしないでしょうか。周りにいる一人ひとりはいい奴ばかりでも、かなり大きな数の人が集まると、必ず良からぬ輩が現れてきます。良からぬ輩を、全部排除しようとする人や、全部許容する人よりも、程度問題で考える人が多そうなところも似ています。こちらも、程度の度合いが人となりを表していそうではあります。

 さて、今、自民党総裁選の真っ最中、と言うか最終盤ですが、9人の候補者それぞれに、どの程度の水なら飲めるかを質問してみたい思いに駆られます。日頃の言動と答えとを比較してみると、「成程」となるか「意外」となるか、興味があります。もちろん、ごみが入った水の話として純粋に聞きたい訳で、汚いカネをどの程度許せるかどうかとか、そういった他意はありません。

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