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異質であること

未唯へ。私は異質な存在と思われているみたいです。私にとっては、みんな異質だと思っています。

歴史を見ていると、組織に異質な存在がいないと、スパイラルが進んで、究極まで達してしまいます。異質な存在が居ることで、冷静な目で提案を行って、スパイラルをしなくて、発達していきます。この間のフロムの『自由からの逃走』を読んだときにもそれを痛感しました。異質というのは、他とは同調せずに自分の頭で考えるゆえに、国家とか会社とかの方向に自分を依存させないものですその代わりに。組織からは孤独を強いられます。孤独・孤立であろうとも異質の存在でいることを私は望みます。

過去を振り返ると、私は「仕事」では異質な存在だったと思います。クルマ大好き人間ばっかりの東富士で、クルマのプロの設計者のなかに、事務電算から入ったのに、皆に数学的思考を課しました。それゆえに、設計の課長から「宇宙人」と呼ばれていました。どうも、発想が違うということらしいです。アメリカの原子物理学世界で、ハンガリー人がやはり、「宇宙人」と呼ばれていたのと同じ理由です。

何しろ、発想が異なり、全体を見ること、すきまを見ること、将来から今を見ることを行うと同時に、実験室という現場を持っていたので、そこで起こる全てのことをコンピュータの対象としました。まだ、パソコンがなかった時代に実験結果の解析空間を想像して、ユニックスとマッキントッシュを導入しました。

名古屋に来た時も同じスタンスで来ました。ちょうど、時代がインターネットの世界に入ろうとしていたから、アイデアはそこにいくらでもありました。

ここ5年ほどの市民参画でも異質を貫いています。市役所にも、NPOにも、ボランティアにも属さないようにしています。これはとっても不安なことです。孤独と孤立の中にいるので、あまり人を巻き込みたくない。そこでは、自分なりのやり方で課題を見つけて、提案する。現場では万博のようにボラボラ(ボランティアのボランティア)として実践して、自分のことを通訳してくれる人を探し出します。

異質であるための条件としては、①孤独に耐えられること。国家とか組織への帰属は望まない。それ故に、彼らからはムシされる ②どこでも、いつでも入れるネットワーカーであること ③横軸で見える。数学的思考で対象を変え、関係を見れることが必要です。
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