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ウクライナ大飢饉とスターリン

未唯へ。『悲しみの収穫』238.6コン-ウクライナ大飢饉-スターリンの農業集団化と飢饉テロ という本を読んでいます。これだけが先週から読み終えなかった本です。ロシア革命はペテルスブルグとモスクワで行われたものが、いかにロシア全体に広がったのかという、以前からの問題意識に応えてくれる本なので、丁寧に読み込んでいます。かなりの時間を費やしました。

この本を読んで、Think Locally, Act Globallyを恐さをつくづく感じました。ナチの場合もそうですし、毛沢東の後年にも感じていることです。全体主義の手段です。

ペテルスブルグの皇帝と農奴制度のもとではあったかも知れない構図を皆がまずしいウクライナの農民に当てはめて、「富農」という階級を作り出して一方的に弾圧した。富農撲滅運動による犠牲者は650万人。

同時にLocalでは個人を信じられないので、モスクワで考えた集団化と機械化をウクライナに強要した。その上で、「革命」のために、穀物を供出させた。①穀物の過剰な挑発、②農業の集団化に対する農民の抵抗を主因として、1932~33年のウクライナ大飢饉の犠牲者は700万人。

ロシア革命はフランス革命と同じように、「パンよこせ」という女性の動きが最後の引き金になった。革命の成果であるウクライナでは「農婦暴動」が起こった。家畜の世話をするのが彼女達の伝統であり、子供たちに飲ませるミルクを乳牛に頼っていたのに、集団化で供出させられたので、その乳牛を取り戻そうとした。彼女らは警察隊の発砲をうけ、多数が殺された。生き残ったものも、すべて強制移住になった。

訳注にその弾圧した人のその後を書いているが、ほんの一部を除いて、1937年に「銃刑」で終わっている。スターリンに殺されている。

スターリンが独裁者で、レーニンは思想者と思っていたけど、このThink Locallyを生み出し、それをロシア全体にAct Globally=強制した元を作ったのはレーニンであった。

このウクライナに対するレーニンの姿勢には、革命を守るために、あらゆる譲歩をした、「ブレスト=リトフスク条約」が大きく絡んでいる。「パンを守る」から「革命を守る」になった時点で、Act LocallyからAct Globallyに替わり、そのスパイラルがどんどん加速していった。
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