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つまらない。やはり、智恵を使っていこう

未唯へ。やはりDSは買うことにします。かなりの出費です。だけど、昼間は奥さん、休みは私のための「マシン」は必要という結論です。お金を出しますので、エイデンに寄った時に、買って来てください。

今日は気の迷いで、グループの送別会に出席してしまいました。この間の「中締め会」のいい思い出があり、何か新しいものが見つかるかと思い、出席にしました。

名古屋の送別会は、東富士とは異なり、送られる人をメインにするわけでなく、勝手にグループで飲んでいるというタイプです。

6時半という開始時間に到着したら、誰もいません。一番端の席で座って本を読んでいました。メインの人が来たのが20分後です。これは早いほうです。前回は30分以上も誰もこなくて、店員さんと首をひねっていました。今回、最後の人が来たのが、1時間半後です。誰も文句を言いません。

彼らは「仕事で遅くなった」とか「帰るときにつかまった」ということで、これは正当な理由としています。「仕事」と送別会に差をつけています。遅くなるほど、その人は「仕事」をしていることになります。それを競っているみたいです。「仕事」というのは、そんなにすごいことなのでしょうか? 

最近、はまっている『愚か者ほど出世する』の冒頭の問いかけを思い出しました。「われわれが習慣的にしていることのなかには意味のないことがごまんとあるのに、みんなはそれに気づいているのだろうか、それとも気づいていないのだろうか。みんながみんなバカであるわけではないのだから、そんなことはどうでもいい、なんてことはありうるのだろうか。」

ここの環境で「智恵を生かす」のはムリです。せめて、智恵を生かした「仕事」をしてもらいたいものです。

今日は月9の「プロポーズ大作戦」の最終回でした。家に帰って録画映像を見ながら、今までの宴会で何をしていたかを考えていました。話し相手がなく、ポツンと座っています。お気に入りの女性が皆のところを回っているのを、目で追いながら、食事を片付けています。終了30分前ぐらいに、やっと、その女性が来て、「しょうがないなあ」と言って、相手をしてくれる。最後までそこで話しているという風景です。

要するに皆とコミュケーションを取ることは出来ず、特定な相手とのコミュニケーションを好むということです。だから、私には宴会は向きません。
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