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デジタルの未来 自動車の未来

『デジタルの未来』より やるべきことをデジタルで

初の大量生産の自律運転(自動運転)車が公道を走ってお披露目をした際、その快挙を報じるニュースの見出しにはGM、メルセデス、トヨタ、アウディなどの名前は無かった。喝采を一身に浴びたのはシリコンバレーに本社を置く電気自動車メーカー、テスラである。技術的なブレイクスルーというよりも広報・PRの域として捉えられてはいるものの、テスラはレベル3に分類されるオートパイロットをいち早く搭載した。レペル3は、特定の状況下では自動運転が可能だが、運転手の継続的なモニタリングが必要とされる。レペル5でようやく運転手は完全に運転を意識しなくて済む。依然として開発競争は続いている段階であり、勝負が決まったとはとても言えない。

だが、2017年4月以後2018年に至るまでのテスラの時価総額は500億ドルを大きく超え、フォード、クライスラー、GMを上回り、米自動車メーカーとしては最高となった。テスラは2017年には99一億ドルの損失を出し、フォードは80億ドルの利益をあげたにもかかわらず、である。投資家は小売業でアマゾンが圧勝したように、新しい自律運転の分野でテスラが圧勝することを期待している。加えてテスラはソ土フー技術と蓄電池の技術に投資しており、そこでエコシステムを築いている。

誰もが、自動車業界の根本的な変化を予想している。専門家は、スマートフォンが私たちの暮らしを革命的に変えたように、これからの数年で自動車業界に激変が起きるものと期待している。じきに自動車といえば電動で自律走行するものとなり、個人が所有するのではなく必要に応じて使い、それ以外の時は他の人が使うようになるだろう。この革命は多くの問いを提起する。

 ①現在、内燃エンジンとトランスミッションを開発・生産している大勢の技術者・労働者はどうなるのか?

  トランスミッションは不要になり、電気自動車向けパワートレインの製造はよりシンプルである。

 ②将来、自動車のサプライチェーンに何が起きるのか?

  サプライチェーン全体と製造プロセスのデジタル化か進み、今後は注文生産で自動的に車を製造する「完全自動化工場」に近いものが出現する可能性は大いにある。

 ③アフターサービスと修理の業界はどんな影響を受けるのか?

  現在のエコシステムが消滅することはないだろうが、電気自動車は今日の車ほど頻繁にメンテナンスする必要がなくなるので、需要は極端に減るだろう。

 ④都市化の終焉が訪れるだろうか?

  運転しなくても車で移動できるようになれば、通勤途上で仕事をすることが可能になり、ふたたび郊外で暮らすようになるだろうか? 未来の公共交通はどのように変わっていくのか? バスと鉄道の代わりに無人運転のミニバスが走り、アプリで同じ方面を入力した乗客をビックアップし、帰りには彼らの家の戸口で降ろすようになるのか?

 ⑤サイバー・セキュリティのリスクにどう対処するのか?

  データの消失や、走行中に車のコントロールを奪われる可能性に対し、どのような手段を講じるのか?

自動車業界の経営陣は変化に備えている。フォードの会長ビルーフォードは既に2014年には、「車のパワートレインから所有の仕方、さらにはシェアリングまで、あらゆる角度から」ビジネスモデルの革命が起きていると述べ、迫り来る不穏な状況に触れている。ダイムラーのCEOディーター・ツェッチェは、今後数年で自動車が再定義されると見ている。マッキンゼーの調査では、自動車業界のマネジメント層の88%が、今日ある自動車メーカーとサプライヤーの一部が2030年までに消滅するだろうと予測している。そして75%は゛、その時までにグーグルやウーバーなど競争相手が業界の総収益のかなりの割合を獲得しているに違いないと回答している。

これらは既存の自動車メーカーの緊迫感を示しており、覚醒が求められている。マッキンゼーの調査によると、世界の自動車業界の収益は2030年までに年間4・4%の割合で増加し、約6兆7000億ドルに達すると見込まれている。北米、欧州など先進国市場では従来の内燃機関エンジンの車両販売は停滞しているものの、アジアでは年々増えて7500万台を記録し、2015年よりも2800万台増加すると想定されている。車の販売、カスタマーサービス、修理関連の収益に加え、定期的に発生する収益も急激に増加している。顧客が車関連のデジタル・サービス全般に支出する金額は、毎年1兆5000億ドルになると見込まれる。

自動車業界が直面しているのはデジタル革命だけではない。調査の結果によれば、主にハイブリッド車の需要の急速な伸びにより2030年までに電動モーターを装備した車のマーケットシェアは現在の2%から65%へと成長すると見込まれる。

自動車メーカーは電動パワートレインを中心とした新しいエコシステムを築く必要がある。電気自動車に必要な、急速充電できる強力なバッテリーは誰が作るのか? こうしたバッテリーは今後、自動車の付加価値のかなりの比重を占めるようになり、トヨタから掃除機メーカーまでが次世代バッテリーの開発に名乗りを上げている。電気自動車に必須となる充電インフラは誰が担うのか? テスラは既に5000あまりの充電ステーションのネットワークを全米で展開している。スポーツカーは独特の力強いエンジン音で顧客を魅了しているが、ほぼ無音の電動モーターになった時、メーカーはどのようにスポーツ性の再定義をするのか?
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フッサール現象学の遺産相続人

『はざまの哲学』より 遺産相続人たち

現象学ルネサンス

 フッサールは一九三八年四月二七日の朝、フライブルクでその七九年にわたる思索の生涯を閉じた。息をひきとる前の最期の言葉は「私は実に素晴らしいものを見た」であったと伝えられている。そのときにフッサールが見たものが何であったのかは、もはや永久にわからない。しかし、事象そのものを「見る」ことに一生を捧げた彼は、すでに十分すぎるほどのものを書き残していた。その四万ページにのぼる速記草稿は、フッサールの死後、ベルギー人の神父ヴァン・ブレーダの手によって危険を冒して国外に運び出され、ナチスの検問をかいくぐってルーヴァン大学に移送された。これを基にして設立されたのが「フッサール・アルヒーフ」である。それらの遺稿はタイプ原稿に直された上で整理・編集され、戦後になって『フッセリアーナ(フッサール全集)』として刊行が開始された。一九五〇年に始まったこの事業は、二〇一二年に第四一巻を送り出して今なお継続中であり、その全貌が姿を現わすのはおそらく二一世紀半ば以降ことになると思われる。

 『フッセリアーナ』に収められて刊行されつつあるフッサールの膨大な草稿は、文字通り彼が二〇世紀の哲学に残した「遺産」だと言ってよい。それによってわれわれは、今や彼が沈黙ので一年間に展開した思索の軌跡をもたどることができるのである。戦後の「現象学ルネサンス」もまた、こうした遺産の公開によって促されたものであり、そこに伏在する未発掘の鉱脈を探り当てようとする試みであった。事実、「受動的総合」や「間主観性」をめぐる遺稿群の公刊は、現象学研究に新たな問題次元を付け加えることになったのである。

 しかし、フッサールの遺産の継承が、ただ単に遺産を食いつぶすことであってはならないことはもちろんである。われわれに要求されているのは、その遣産を元手に「フッサールの〈考えないでしまったこと〉」を考え抜く、という困難ではあるが魅力的な作業にほかならない。そのような観点から眺め直すとき、フッサールの遺産を継承し、その遺言を執行しようとした戦後の哲学者たちは、肯定的にせよ否定的にせよ、フッサールとともにフッサールを乗り越える道を進んだと言うことができる。晩年の苦境の中でフッサールが蒔いた種子は、戦後になって芽をふき、やがてフッサール自身が想像もしていなかったような大輪の花をそれぞれに開花させたのである。

ハイデガーによる「解釈学的転回」

 すでにフッサールの生存中に、そうした種子の一つは芽をふき、大きく生長しつつあった。むろん、ハイデガーの「現象学的存在論」あるいは「現象学的解釈学」のことである。ハイデガーは当初、フッサールの忠実な弟子として振舞っていたが、次第に独自の思索の道を歩み始め、一九二七年に『存在と時間』を公刊し、同時にフッサールとともにブリタニカ論文を執筆するという共同作業が不首尾に終わる頃には、両者の学問的亀裂は修復できないほどに深まっていた。

 後にフッサールは、フライブルク大学における自分の後継者にハイデガーを指名したことを「学問的な評価と個人的な関係がこうも変化したことは、私の人生にとって最も厳しい運命のひとつです」(プフェンダー宛て書簡)として深く後悔するにいたるのである。ナチス政権下における両者の対立と葛藤がそれを増幅したであろうことは付け加えるまでもない。

 しかし、両者の間の師弟関係が悲劇的な結末に終わらざるをえなかったとしても、『存在と時間』に代表されるハイデガーの前期哲学は、フッサール現象学からの影響を抜きにしては語ることができない。フッサールの現象学があくまでも「認識の現象学」であったとすれば、ハイデガーはそれを「存在の現象学」とも言うべき方向へと転換することを企てる。

 ハイデガーは存在者と存在とのあいだの根本的区別である「存在論的差異」を手がかりにして「存在の意味」を問い直そうとするのである。彼は現象を「ありのままにおのれを示すもの」として捉え、「事象そのものへ」という現象学の格率を「おのれを示すものを、それがそれ自身の方から現れてくるとおりに、それ自身の方から見えるようにすること」として理解する。その際に出発点となるのは、存在の意味を漠然とではあれ先行的に理解しつつ生きている「現存在」(さし当たっては人間)のあり方である。それゆえハイデガーにとって現象学とは、現存在の分析を通じて存在の意味へとアプローチするための方法的通路であり、その意味でまさに「存在論」にほかならない。しかもハイデガーは、現象学的記述の方法的意義を「意味解釈」という次元に見定めることによって、現存在の現象学を「解釈学」として規定し直すことを試みるのである。

 このようなハイデガーによる現象学の「解釈学的転回」の企ては、フッサールにとっては一種の人間学主義的偏向にすぎないものと見えた。彼は一九三〇年に書かれた「『イデーン』へのあとがき」のなかで、明らかにハイデガーの議論を念頭に置きながら、「ドイツ諸国の哲学において(中略)生の哲学や、新しい人間学や〈実存〉の哲学などが、入り乱れて現れてきているが、そうしたものに考慮を払うわけにはいかない」とし、そうした傾向を「世界内的主観性(人間)から〈超越論的主観性〉への上昇を理解しないところから出てくる」誤解であると断じ、さらにそれは「私の現象学が全身全霊をあげて克服しようとしているまさにその水準へと、私の現象学を引き戻して解釈するところから出てくる異論」だと一蹴している。

 他方でハイデガーの側からすれば、フッサールの現象学は認識論的基礎づけという問題にのみ関心を向けて存在の意味への問いに盲目的であり、しょせんはデカルト主義の枠組み(主体性の形而上学)を超え出ないものと見えたことであろう。

 もとより、両者のあいだに妥協の余地はなかった。しかし、戦後の現象学運動の展開という観点から振り返るならば、両者のあいだの根本的対立は、むしろ多彩な運動の駆動力でありエネルギー源としての役割を果たしたということができる。その意味で、ハイデガーによるフッサール批判と存在論的問題の提起は、疑いもなく現象学運動において一つの新たな期を画したのである。
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「故郷世界」としてのヨーロッパ

『はざまの哲学』より 「故郷世界」としてのヨーロッパ

ハイデガーヘの絶交状

 一九三三年一月二三日、フライブルク大学においてフッサールの博士号取得五〇周年を記念する祝賀会が盛大に催された。そこには(イデガー夫妻の姿も見えている。しかし、同じ月にドイツではヒトラーが首相の地位に就いており、三月には「全権委任法」を成立させて独裁権を掌握し、矢継ぎ早にュダヤ人に対する抑圧政策を施行して行った。とりわけ四月に発布された「公務員制度再建法」によって、「非アーリア人」であるフッサールは四月一四日にフライブルク大学から休職処分を申し渡された。さらに一九三六年の夏学期からはフッサールの名前は大学教授名簿から除籍されるとともに、大学における教育権限を剥奪され、著書の刊行や論文の公表もドイツ国内では事実上不可能な状態に立ちいたった。

 フライブルク大学においても、同じ年に社会民主主義者の総長フォン・メレンドルフは罷免され、代わってかつてのフッサールの弟子ハイデガーが総長に選出された。ハイデガーはナチスに入党するとともに、五月末には「ドイツ的大学の自己主張」と題する就任講演を行ない、その末尾を「すべて偉大なるものは嵐のさなかに立つ」というプラトンの一句をもって締めくくっている。

 フッサールはただちにハイデガーに対して絶交状を送って交友関係を断ったが、その半年後に彼はポーランド人の弟子インガルデンに宛てて手紙を送り、「ハイデガーはフライブルクの(指導者原理に従った)国家社会主義的総長であり、同時に今後の新帝国における大学改革の指揮者です。かつてのドイツの大学はもはや存在しません。今後のドイツの大学の本義は〈政治的〉大学にあるのです。特異な時代です」と率直にその心中を吐露している。南カリフォルニア大学から客員教授としての招聘があり、心を動かされたのも同じ年のことに属する。まさにこの時期、フッサールこそは「嵐のさなかに」立っていたのである。

 一九三五年五月、フッサールは七六歳の老躯を押して「ウィーン文化連盟」の招きに応じ、かつて学んだウィーンの地で「ヨーロッパ的人間性の危機と哲学」と題する講演を行った。ナチス・ドイツによるオーストリア併合を三年後に控えたこの時期に、オーストリア民族主義的な傾向をもつウィーン文化連盟の招待を受け、ユダヤ人哲学者が「ドイツ」ではなく「ヨーロッパ」を標題に掲げて講演を行なうことの危険については、フッサールといえどもよく承知していたに違いない(この講演会の開催に尽力したのはフッサールの旧友にして後のチェコ大統領トーマス・マサリクであったと伝えられている)。

 それゆえこの講演は、その主題からしても、また行間に漂う緊迫感からしても、まさしくフッサールの「白鳥の歌」と呼ぶにふさわしいものであった。そのためもあってか、この「ウィーン講演」は満場の聴衆に多大の感銘を与えた。ウィーンからマルヴィーネ夫人はインガルデンに宛てて、「講演は七日に行われてまさしく圧倒的な成功を収めました。一〇日にもう一度その講演をしなければならなかったのです!」と書き送り、またフッサールは「一週間の間、ウィーンでは大センセーションが続きました」と興奮も覚めやらぬ面もちで伝えている。それでは、何かそれほどまでに人々を鼓舞したのか。講演を締めくくるに当たって、フッサールはその趣旨を次のように要約している。

  現在の「危機」という怪物を捉えることができるためには、ヨーロッパという概念は、無限な理性目的の示す歴史的目的論として浮き彫りにされなければなりませんでした。つまり、ヨーロツパ「世界」がいかに理性理念から、すなわち哲学の精神から生じてきたかが示されねばならなかった、ということです。そのように理解された時、「危機」とは、はっきり合理主義の外見上の挫折以外の何ものでもなかったことになるはずです。合理的な文化の敗北の根拠はしかし--今まで述べてきたようにー合理主義そのものの本質にあるのではなく、ただその外面化のうちに、つまり、「自然主義」と「客観主義」のなかに埋没してしまったことのうちにあるのです。

抵抗概念としてのヨーロッパ

 理性の危機の根源を「自然主義」および「客観主義」への埋没のなかに見るフッサールの姿勢は、『厳密な学としての哲学』このかた一貫して変わっていない。しかし、それから四半世紀後、フッサールは危機の克服を「ヨーロッパ」という大地に根ざした「歴史的目的論」の運動の中に求めている。ヨーロッパこそは「哲学の精神」を生み出し、理性と合理主義の歴史的発展を支えてきた地域だからである。

 だが、ヨーロッパは地理的境界によって画されるような概念ではない。それはあくまでも「精神的形態としてのヨーロッパ」として捉えられねばならない。このヨーロッパの精神史に内在する理性の自己実現を目指す目的論を探り出すことによって、フッサールは迫りくる時代の危機に最期の力を振り絞って対処しようとしたのである。

 むろんフッサールだとて、歴史的に「ヨーロッパ人」が「ユダヤ人」を抑圧し、差別してきたことを知らないわけではない。いや、骨身にしみて知っていたはずである。彼は現在のチェコ領に属するモラヴィアのプロスニッツに生まれたが、この地域では当時まだ「シュテットル」と呼ばれるユダヤ人共同体が残存しており、言語的にはドイツ語圏のはずれに当たっていた。しかも、フッサールは二七歳のときにキリスト教に改宗している。すなわち、フッサールはオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあるチェコ領に生まれた、ドイツ語を母語とするキリスト教徒の同化ュダヤ人という、二重三重に疎外された状況のなかを生きてきたのである。

 その意味で、彼は典型的な「マージナル・マン」であったと言ってよい。マージナルーマンの特徴は、文化的・民族的な帰属意識が薄く、反面において抽象的な普遍性を志向することである。それはフッサールにも正しく当てはまる。したがって周縁人としてのフッサールにとっては、ヨーロッパすらも彼の「故郷世界」ではなかった。むしろそれだからこそ、彼は「ヨーロッパ」という精神的価値を積極的に選び取り、それがもつ倫理的抵抗力に賭けることを決意したのだと言うことができる。

 それゆえ、ウィーン講演を貫く主調低音とも言うべき「ヨーロッパ」という理念は、雪崩れ落ちるように非合理主義へと傾斜し始めた時代状況に対する対抗概念あるいは抵抗概念として、改めてフッサールによって選び直されたものにほかならない。かつて『厳密な学としての哲学』において、先行する世代の実証主義に「学」の理念をもって対抗したように、今やウィーン講演においてフッサールは、後続する「一九〇五年の世代」(そこにはヒトラーやハイデガーが属する)の非合理主義、すなわちゲルマンの「血と大地」に「ヨーロッパ」の普遍性を対置して抵抗しようとしているのである。
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9.6「変革の動き」

コミュニティとしての乃木坂

 乃木坂基準というものができつつある。ファンとの関係も新しい時代のコミュニティとして見ている。

 いくちゃんの自主行動により秋元支配から乃木坂は離れた。新しいコミュニティに向けて動き出している。

家族制度の崩壊

 家族制度との絡みでコミュニティを見ている。従来の地域でのコミュニティは地域の人の心から離れている。

 家族制度から情報共有が創る新しい世界。メンバーはコミュニティのために自由に動く。

家族制度の不思議

 関係が固定されること。妹はいつまでたっても妹だし、姪も同様です。

 コミュニティの中にいるときと 卒業したときと 同じような形にできるのか。もしできれば、これは新しい世界かもしれません。

西野七瀬が卒業

 いくちゃん推しにはなーちゃんって不思議だよね。なーちゃんから見たいくちゃんの不思議さには叶わないけど。

 不思議というよりも不可思議なんでしょう。それらが混在する コミュニティとしての乃木坂の不思議さが魅力です。異質な者が抜けるのは反対です。

今朝のスタバ

 今朝のスタバは賑わっている。外人と年寄りが目立っている。共に声が大きい。好きじゃない。

 スタバはこの間の改装で好きな場所がなくなった。右に壁があり、前の風景が変わる、最高のポジションだった。「右壁」がキーワード。

未唯空間は後ろからやってくる

 積み上げるのではなく、先から考える。

9.6「変革の動き」

 家族制度が女性を縛っている。人類の総力戦のために女性を解放させる。そのために家族制度がかわっていく。これは20世紀から始まっていること。

 フランス革命の時の「自由・平等・博愛」のなかの平等が意味していたのは、身分ではなく、男女間の平等だった。それでこそ、レミゼが意味を持つ。

 平等主義は富の平等を対象にするのではなく、存在の平等

ルーズベルトが悪の張本人

 今日借りた本の中に『裏口からの参戦』 ルーズベルト外交の正体 1933-1941 がある これこそ知りたかったこと 大戦への参戦を目論むルーズベルト外交の全貌を実証的に解き明かす。 ルーズベルトこそ歴史を変えた張本人!

スーパーの信じられない風景

 レジで出てきた釣銭をそのまま丸めて、お客に渡す。確かめていない。自分より、レジを信じている。人がそこに居る必要は無い。

TRCの貸出システムのバグ

 TRCの貸出システムのバグで2冊借りられなかった。2冊は図書防衛システムをくぐり抜けてきた。借りたことになってない本が2冊がここにある。。

 システムを信じない。それが鉄則。
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