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『ハリー・ポッター』の生みの親--J・K・ローリング

『イギリス文学を旅する60章』より 『ハリー・ポッター』の生みの親--J・K・ローリング

魔法使いの少年が主人公の冒険ファンタジー小説『(リー・ポッター』第1巻が世に出たのは1997年のことであった。全7巻のこのシリーズは2007年、全世界で同時発売された最終巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』をもって完結したが、その問、世界中に爆発的なブームを巻き起こした。当時シングル・マザーで失意のどん底にいた口ーリングが、いくつもの出版社に断られた末、ようやく刊行された初版部数はごくわずかであった。しかし、出版されると瞬く間に部数をのばしてベストセラー・リストの卜ップに登りつめ、2002年半ばまでには総売り上げ部数、1億5000万部を超え、約50の言語に翻訳されるほどの世界的な超ベストセラーとなった。名立たる文学賞を総なめにし、数々の名誉と巨万の富を手にしたローリングにとって、その輝かしい成功は衝撃的でさえあったが、そこに至るまでに彼女が辿った人生の道のりは決して平坦なも―

J・K・ローリングは1965年、イングランド西部地方のイェートで生まれた。2歳下の妹が一人いる。両親の出会いの場は、主人公、ハリー・ポッターがホグワーツ魔法魔術学校へと旅立った、あのロンドンのキングズ・クロス駅であった。二人はスコットランドヘ行く列車の中で語り合い、ともに20歳で新生活に踏み出した。

父ピーターは当時、航空機エンジンを製造していたブリストル・シダリー(1971年にロールスロイス社と合併)の工場で働いており、両親ともに読書好きであった。家にはいつも多くの本が溢れ、彼女は読書家の母が読み聞かせてくれる数々の童話に親しみながら育った。そして5~6歳の頃には「ウサギ」を主人公にした物語を創って妹ダイアンに話して聞かせるなど、幼い頃から既にファンタジー作家の片鱗を見せていた。

やがて、ローリング9歳の頃、一家はウェールズの小さな村、タッツヒルヘと引っ越す。そこは風光明媚なワイ渓谷にあり、もと王室御料林であった広大なディーンの森に隣接していた。彼女はよく妹と連れ立って、その鬱蒼とした深い森やワイ川の周辺を探索したという。少し足をのばした所には有名なティンターン修道院の神秘的な廃墟やチェプストー城などもあり、その地域一帯は自然だけでなく神話と伝説の宝庫でもあった。そうした環境は彼女の想像力を育み、小説に描かれた「禁じられた森」や妖精たちを生み出す豊かな源泉になっていたかもしれない。

ハリーの親友、才媛ハーマイオニーのモデルはローリング自身だが、彼女も意欲的な勉強家であった。また、幅広い読書家でもあり、ワイディーンの公立中等学校卒業時には、首席のヘッドガールにも選ばれている。そして、この頃、彼女の人生に大きな影響を与える人々との出会いもあった。一人は教育熱心で高潔なフェミニストの英語教師、ルーシー・シェパード先生。彼女が唯一尊敬している恩師で、先生からの手紙は今も宝物として大切にしているという。もう一人はローリングの人生を決定づけた『令嬢ジェシカの反逆』(1960)の著者、ジェシカ・ミットフォード(1917~96)であった。14歳の時、この自伝を読んだローリングはジェシカの生き方に感動し、著作を読了、自分の娘にもジェシカと名付けた。

ジェシカ・ミットフォードはイギリス貴族出身で、チャーチルの甥と駆け落ちをしてスペイン市民戦争に身を投じた活動家であった。夫は第二次世界大戦で戦死。彼女は後に再婚し、アメリカで社会の不正や腐敗、業界の醜聞等を暴くジャーナリストとして活躍した。マッカーシズムに反対し、公民権運動にも加わった。ローリングは彼女の社会に義的な政治理念や、幾多の困雌にもめげない強い意志と自立した生き方を心から尊敬していた。ローリングがフェミニズムや人権思想に目覚めるきっかけは、こうした人々との出会いにあったと思われる。彼女が大学卒業後に就職した先が、人権擁護団体のアムネスティ・インターナショナルであったこと、また第4巻で、ハーマイオニーが親友ハリーとロンを巻き込んで、権利擁護のため、しもべ妖精福祉振興協会を発足させるなどの背景にも、ミットフォードヘの共感が窺えよう。ちなみに、ハーマイオニー・グレンジャーの「ハーマイオニー」とは、シェイクスピアの『冬物語』に登場する最後に蘇る悲劇の王妃の名で、季節神話のデメテルになぞらえられるなど、象徴的解釈をされることが多いが、デメテルとは女性支配の時代を象徴する神でもある。また、「グレンジャー」は、アメリカ19世紀末の農民による「グレンジャー運動」から採られたようである。

ローリングの学校時代は、ロンのモデルとなる親友、ショーン・ハリスとの出会いもあったが、一方、母アンの難病による闘病生活が始まった時期でもあった。彼女が15歳の時、母は多発性硬化症と診断され、10年間の闘病の末、45歳で亡くなった。彼女にとって母の死は耐え難いものであったが、挫折と苦悩の日々は続いた。

目指したオックスフォード大学受験で不合格となり(背景には、女性や階級による差別等が取り沙汰され、2000年にはィギリスの新聞各紙がこうした問題を報じた)、エクセター大学に進学。卒業後、ロンドン等で働いた後、1991年、英語を教えるためにポルトガルヘ渡り、翌年ジャーナリストの男性と結婚した。1年後に長女ジェシカが誕生するが、夫のDVもあり、結婚は破綻。母の死後、父は早々と再婚し、彼女の孤独感は深まった。その後、娘と共にエディンバラに住む妹の近くに身を寄せ、一時、生活保護を受けながら執筆生活を送った。この頃、精神的に追いつめられた彼女はうつ病にかかり、自殺を考えたこともあるという。

ローリングはその後2001年に再婚し、現在3児の母となって、シングル・ペアレントや難病患者のための慈善活動にも積極的に取り組んでいる。2016年、19年後の8番目の物語として発表された舞台脚本「ハリー・ポッターと呪いの子』では、ハーマイオニーは2児の母で、魔法大臣となって登場する。王が不在と思われる魔法界では、事実上、魔法省という政府のもとで、魔法大臣、ハーマイオニーが何らかの元首とも解釈される。非魔法族で、且つ女性という二重に不安定な存在として生きてきたハーマイオニーには、逆境を乗り越えたローリングの熱い思いと希望が託されているのかもしれない。
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ベートーヴェンの《第九交響曲》によせて

『ベートーヴェン』より ベートーヴェンの《第九交響曲》によせて 

奇跡の巨匠ベートーヴェンを敬愛するあらゆる人々にとって、その作品を享受するという希有の機会がまもなくめぐり来ようとしている。もちろん、この「享受」という言葉は、あまりにも強く感性の側に傾きかねない。彼の最後の交響曲、すなわちシラーの頌歌「歓びに寄す」による合唱付き終曲をもつ第九交響曲は、それが作品に最もふさわしいかたちで演奏され、その得がたい内容が理解されるならば、必ずや崇高な感動をもたらすはずだが、「享受」という言葉は、あくまでもこの感動を表現する言葉として使いたい。さて、今年のいわゆる枝の主日の演奏会にあたり、宮廷管弦楽団はばかならぬこの作品を選択した。それは、楽団が卓越せるゆたかな芸術団体として、いかにすぐれた成果をあげうるかを示そうと望んだゆえの選択と見える。というのも、この交響曲は間違いなくベートーヴェンの精神が到達した至高の境地を体現しているが、同時に演奏という観点からみると困難きわまりない問題を含んでいることも確かだからである。しかし、この大演奏会をこれまで内側から支え続けてきた主日の名に恥じない精神を思えば、この問題も必ずや完璧な解決をみると確信してよいだろう。--かくしてドレスデンの広範な聴衆にも、ついに巨匠の生んだこの最も深遠にして巨人的な作品が解き明かされていくさまを実際に耳にする機会が与えられるのだ。ベートーヴェンが書いた他の交響曲が、すでにその高貴な内容が知れ渡って人気を博しているのに対して、この第九だけは相も変わらず、秘密と驚異の謎の彼方に身をひそめたままである。しかし、この謎を解き明かし聴く者の心を高めるには、それにうってつけの機会と、芸術がたどる最も崇高にして高貴な道筋を怖れることなく力強くとらえる感性さえあれば足りるのであり、ベートーヴェン最後の交響曲ほど、この道筋を雄弁な説得力をもって啓示している作品はない。私たちの目には、彼がそれまでに創作した交響曲は、この作品に比べればすべて下準備のスケッチのように映るのだが、そのような過程を経てはじめて巨匠はこの作品の構想の高みへと達することができたのだ。さあ、ひたすら耳を傾け驚嘆するがよい!

ベートーヴェン最後の交響曲を取りあげる演奏会が間近に迫っているが、より多くの聴衆にこの作品を理解してもらうためにも、なんらかの行動を起こす--少なくともそんな試みがなされてもよいのではあるまいか。ここで思い起こされるのは、この作品がさまざまなかたちでさらされてきた奇妙きわまりない誤解や、珍妙のかぎりともいうべき解釈であり、そこから発した悪評がすでに流布しているのではないかと懸念されるほどである。問題なのは、この演奏会に十分な数の客が来ないのではないか、という噂ではない(ベートーヴェン最後の大作は風変わりな珍品だとか、巨匠はこの曲をなかば狂気のうちに書きあげたのだ、といった風評が広まっているからには、演奏会の入りは太鼓判を押されたも同然である)。むしろ心配なのは、たった一度耳にしただけでは少なからぬ聴衆が当惑し、混乱に陥ってしまうために、作品を真に享受することなど不可能になる、という噂のほうである。無論このような作品の場合、聴く機会をもっと増やすことが、より幅広い聴衆に理解してもらうのに適した手段だろう。しかし実際にこのような特別扱いを受けることができるのは、過剰なまでのわかりやすさゆえに、頻繁に演奏される必要などまったくない作品ばかりではないか!

昔ひとりの男がいた。彼は、自分が考え、感じたことのすべてを、偉大な先達から受けついだ音の言葉で表現したいという衝動を感じていた。この言葉で語ることは、彼の心からの欲求であり、それを聞き分けることは、彼が地上で味わう唯一の幸福だった。ほかには財にも歓びにも恵まれず、善意と愛にあふれる心で全世界に面を向けていたにもかかわらず、世間の風はたいそう冷たいものだった。ところが、彼にたったひとつ残されていた幸福も奪い去られる定めにあった。彼は聾者となり、みずから発するすばらしい言葉を、もはや聞きとることもかなわなくなったのだ! ああ、彼は言葉そのものまでも捨て去ろうと思いつめたのだったが、良き守護霊のおかげで思いとどまった。--音なき世界に投げ出された自分の心が、いまや感じとるしかなくなったことさえも、この男は楽の音にのせて語り続けた。--しかし、このときから男の感情は世のならいを超えた不思議の域に入っていったのだ。世の人々が自分のことをどのように考え、感じているのかということなど、もはやどうでもよい他人事と思えた。ただひとつ拠りどころとなったのは、自分自身の内面だけであり、心に渦巻くあらゆる情熱と憧憬の底の底までひたすら沈潜するよりほかになかったのだ。いまや男が住みついたのは、なんと不思議な世界だったことか! この世界のうちならば、目も--そして耳もはたらいた。身体にそなわった耳がなくても聞こえたからだ。そこでは創造と享受がひとつになっていた。--しかし、なんということだろうこの世界は孤独の世界だったのだ。子供のような愛にあふれた心が、孤独の世界に永遠に住みつこうなどと望みえただろうか。哀れな男は周囲の世界にまなざしを向けた。--かつて自分を甘美な至福の歓びでつつんでくれた自然に、そして今なお強い親しみをおぼえずにはいられない人間たちにまなざしを向けたのだ。彼は名状しがたい憧れのとりことなり、それに駆り立てられるように、ふたたび世界の一員となり、世の人々の幸福と歓喜を味わえればと思った。--さて、諸君を求めて呼ばわるこの哀れな男と出会ったならぼ、諸君はその姿を不気味に思って避けるかもしれないし、男の言葉がすぐにはわからないので、いぶかしく思うかもしれない。あるいはその言葉があまりにも奇妙で耳慣れぬ響きなので、この男は何を望んでいるのだろうとたがいに耳打ちしあうかもしれない。

ああ、彼を迎え入れ、胸に抱いてほしい。彼の言葉の不可思議な響きに驚嘆しつつ耳傾けるがよい。その言葉が新たに勝ちとった沃野のなかで、諸君はこれまで耳にしたこともない壮麗かつ崇高な響きを経験するだろう。--この男こそほかならぬベートーヴェンであり、かの人が諸君に語りかける言葉こそ、その最後の交響曲の調べなのだから。この奇跡のごとき人が、みずから味わった苦悩と憧憬と歓喜のすべてを前代未聞の芸術作品へと結実させたのが、第九交響曲なのだ!
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ギリシア危機における国民投票

『絶望する勇気』より シリザ、あるいは出来事の影

二〇一五年七月のギリシア危機において起こった二度にわたる政策転換は、たんなる悲劇から喜劇への移行ではなく、スタティス・クーヴェラキスが述べたように、喜劇的な逆転に満ちた悲劇から不条理劇への移行であると思わざるをえない。極端から極端への異常な転換、きわめて思弁的なヘーゲル哲学者さえも当惑させてしまうこの転換を表現するうえで、これ以外によい言い方があるだろうか。次々と屈辱を受けざるをえない、EU執行部との終わりなき交渉に辞易したシリザは、七月五日の日曜日の国民投票でギリシア国民に問いかけた。ギリシアは、EUが提案する新たな緊縮政策を支持するのか、それとも拒絶するのか、と。政府は「ノー」を支持すると明確に表明していたとはいえ、投票の結果は政府自身にとって意外なものであった。有権者の六一パーセントという圧倒的多数がヨーロッパの脅しに対して「ノー」を突き付けたのである。このとき、ツィプラス本人はこの結果--政府の勝利-にひどいショックを受けたといううわさが流れていた。ツィプラスは政府が負けることをひそかに願っていた、政府が負ければヨーロッパの要求に屈しても(「われわれは有権者の声を尊重しなければならない」と言って)面目が保てるからだ、と。しかしながら、文字どおり一夜明けたあとツィプラスは、ギリシアはヨーロッパとの交渉を再開する用意があると発表した。そして数日後、ギリシアは、有権者が拒否したものと基本的に同一の(部分的には以前よりも厳しい)EUからの提案をめぐって交渉した。つまり彼は、政府がまるで国民投票で勝利ではなく敗北したかのように行動したのである。クーヴェラキスはこう言っている。

 緊縮政策の覚え書き〔略式の外交文書〕に対する破滅的な「ノー」を、どうすれば新たな覚え書きへのゴー・サインとして解釈できるのだろうか。[…]不条理の感覚はたんにこの予期せぬ方向転換によるものではない。それはとりわけ、何も起こらなかったかのように、つまり国民投票は集団的な幻覚であり、それから突然覚めたわれわれは従来と同じことを気楽に続けていくしかないかのように、一連の動きが目の前で進行していることに由来する。だが、われわれは安逸をむさぼる食蓮人になったわけではないので、ここ数日のあいだに起こったことを整理するくらいのことはやっておこう。[…]公共の広場でまだ勝利の歓声が上がっていた月曜日から、不条理劇の幕は開いた。民衆は、民主主義と国民主権の完全勝利の直後に三八パーセントの有権者に服従した六二パーセントの有権者の代表としてこの劇を観る。[…]だが、国民投票は現に行われたのだ。国民投票は幻覚で、われわれはいましがたそこから抜け出した、ということではないのである。むしろ幻覚と言えるのは、第三の覚え書きへと進むみじめな行程が再開されるのに先立って、国民投票を一時的な「ガス抜き」に認めようとすることである。

そして事態はこの行程の再開に向かって進んでいった。七月十日の夜、ギリシア議会は、賛成二百五十、反対三十二の投票結果により、新たな救済措置をめぐるEUとの交渉の全権をツィプラスにゆだねた。だが、十七人の与党議員はこの救済措置案を支持しなかった。これは要するに、ツィプラスは自分の党よりも野党からより多くの指示を得ていたということである。数日後、党の左派によって支配されていたシリザの政治事務局は、EUの最新の提案は「不条理」であり「ギリシア社会の我慢の限界を超えている」という結論を出した。これは極左的なふるまいなのか。IMF(ここでは最小限の合理性をもった資本主義の声)自身はシリザとまったく同じ主張をした。一日前に発表されたIMFの研究では、以下のことが示されていたのである。ギリシアは、ヨーロッパ諸国の政府がこれまで期待をこめて予測してきたレベルをはるかに超えた債務免除を必要としている。ヨーロッパ諸国はギリシアの借金返済に関して三十年の猶予期間を認めねばならないだろう。そしてそれには、新たな融資と驚くべき支払期限の延長が含まれるだろう、と。ツィプラス本人は救済措置案に対して疑問を感じているとおおやけの場で述べたが、それは当然である。ツィプラスは「われわれは今回われわれに課せられた方策を信じていない」とテレビのインタビューで述べた。これによって彼は、自分がこの案を支持したのは絶望ゆえであり、経済と金融の崩壊を避けるためであったことを明らかにしたのである。EU官僚はこうしたおそるべき背信とも言える発言を利用する。自分の置かれた厳しい状況を受け入れたのにこんな発言をするギリシア政府は、誠実に真剣に救済案を履行する気がないのではないか--EU官僚はそう疑うのである。ツィプラスは自分の信じていないプログラムのために本当に戦うことができるのか。ギリシア政府は、EUとの協定と国民投票の結果とが対立するなかにあって、本当にその協定に専心できるのか。

しかしながら、IMFから出てくるような発言をみると、真の問題は別のところにあることがわかる。EUは自分で提示した救済案を本当に信じているのか。ギリシアに暴力的に押しつけられた方策によって経済は上向き、それによって債務の返済が可能になると、EUは本当に信じているのか。それとも、ギリシアに対してゆすりのような野蛮な圧力をかける究極の動機は、たんに経済的なものではなく(というのも、この案は経済学的にみて明らかに不合理であるからだ)、政治的‐イデオロギー的なものなのか。あるいは、以下のようなクルーグマンの見解が正しいのか。「ドイツはギリシアの実質的な降伏だけでは満足しない。ドイツはギリシアの政権を交代させ、ギリシアに大恥をかかせたいのだ。ドイツには、ただギリシアをEUから追い出したい、一つの破綻国家がほかの国にとって見せしめになるならそれも悪くない、と考える一派が存在する」。ヨーロッパの主流派にとってシリザがいかに恐ろしいものであるかということは、つねに頭に置いておかねばならない。たとえば、ヨーロッパ議会の議員であるポーランド選出のある保守派の人物は、ギリシア軍に向かって国を救うためにクーデターを起こすよううったえたのだった。

なぜシリザはEUにとって恐ろしいのか。ギリシア国民は高い代償を支払うよう要求されているが、それはそれによって現実的に成長が望めるからではない。ギリシア国民が支払うよう求められている代償は、あの「先延ばしと装い」という空想を維持するために必要なのである。ギリシア国民は、他人(EU官僚)の夢を維持するために、実際に苦難を受け入れることを求められているのだ。ジル・ドゥルーズは数十年前に「他人の夢に取り込まれたら一巻の終わりだ」と述べたが、これはギリシアの現在の状況そのものである。目を覚ます必要があるのはギリシアではなく、ヨーロッパである。この夢に取り込まれたひとはみな、救済案が実行されたら何が起こるかをわかっている。ギリシアの借金はだいたい四千億ユーロに膨れ上がり、約九百億ユーロがあらたにギリシアに投入されることになるだろう(ギリシアの負債のほとんどは間もなく西ヨーロッパの負債となる。つまり本当の救済措置はドイツとフランスの銀行に対するものなのである)。そして、数年間のうちに爆発的なギリシア危機が起こることは想像に難くない。

だが、そうした結果は本当に失敗なのだろうか。表面的にみれば、つまり救済案とその実際の結果を単純に並べてみれば、それは明らかに失敗である。しかし、より掘り下げて考えてみれば、こう言えるかもしれない。先に示唆したように、この案の目標はギリシアに再生の機会を与えることではなく、ギリシアを経済的に植民地化された半‐国家に変えて永続的に貧しい、自立できない状態に置き、他国への見せしめにすることである、と。だが、さらに掘り下げて考えてみれば、また別の失敗がみえてくる。それはギリシアの失敗ではなく、ヨーロッパ自体の失敗、ヨーロッパの遺産の核にある解放運動の失敗である。

われわれは、ギリシアの国民投票における「ノー」が絶望的な状況のなかでなされた歴史的票決であったことを忘れてはならない。わたしは自著のなかで、ソ連時代の最後の十年間に流行った有名なジョーク、他国への移住を希望するラビノヴィッチというユダヤ人をめぐるジョークをよく引用してきた。現在、アテネではこのジョークの新しいヴァージョンが流行っているらしい。若いギリシア人の男がアテネにあるオーストラリア領事館を訪れ、就労用ビザを申請する。「どうしてギリシアを離れたいのですか」と係官がきく。ギリシア人の男は答える。「二つ理由があります。一つは、ギリシアのEU離脱が心配なのです。そうなったらこの国は貧困に陥るし、社会は混乱するし……」。ここで係官が口をはさむ。「でも、それは杞憂ですね。ギリシアはEUに残りますし、規律正しい財政策を受け入れますよ!」。男は落ち着いた様子で答える。「なるほど、でもそれが第二の理由なのです……」。スターリンの言葉をもじって言えば、こうなるだろう。どちらの選択肢が劣っているかを言うことはできない。どちらの選択肢も劣っているのだ、と。

だが、どちらの選択肢も劣っているのだろうか。いまは、ギリシア政府が犯すかもしれない間違いや勘違いについて無意味な論争をすることから、その先に進むときである。現在、そんな論争にかまけるのは、あまりにも大きな賭けなのだ。

ギリシアにもEU執行部にも妥協案が思い浮かばなかったことは、それ自体きわめて症候的な事態である。なぜならここでの妥協案は実際の財政問題とは本来関係がないからである。つまり財政と関係のないレベルでは、両者の違いはほとんどないのだ。EUはたいてい、ギリシアは総論的な議論ばかりして、具体性のないあいまいな約束をすると非難する。それに対してギリシアは、EUは細部にわたって管理しようとし、前政権のときよりも厳しい条件をギヂシアに課していると非難する。だが、こうした非難の応酬の背後には、それとは別のより重大な軋傑が潜んでいる。ツィプラスは最近こんな発言をしている。アンゲラ・メルケルとディナーでもとりながら二人だけで会うことができたら、二時間で妥協案が見出せるだろう、と。彼はこう言いたかったのだ。自分とメルケルは政治家であり、ユーログループ議長のイェルーン・ダイセルブルームのような技術官僚とは違って、目下の意見の相違も政治的なものとしてとらえている、と。ギリシアをめぐる一連の出来事のなかでこれぞ悪党と呼べる人物がいるとすれば、それはダイセルブルームである。「イデオロギー的な部分に足を踏み入れたら、わたしは何も成し遂げられない」--それが彼のモットーである。

このことは問題の核心につながっている。ツィプラスとヴァルファキスは、最終的には「イデオロギー的な」と呼べる(正常な選り好みに基づく)決断がなされねばならない開かれた政治的プロセスの一翼を担っているかのように語る。それに対してEUの技術官僚は、細部にわたって取り締まることが重要であるかのように語る。そしてギリシアがEUのやり方を拒絶し、より根本的な政治的問題を提起すると、ギリシアは嘘つきである、具体的な解決を避けている、云々と非難される。だが、真理はギリシアの側にあることは明らかである。ダイセルブルームは「イデオロギー的な部分」を拒絶したが、これこそはきわめつけのイデオロギーである。それは専門家による純粋な政策決定のような恰好をしている(偽装をしている)が、実際は政治的jイデオロギー的な前提(経済の規制緩和を唱道すること、等々)に基づいているのだ。

この非対称性のために、ツィプラスあるいはヴァルファキスとそのEU側の相手とのあいだの「対話」は、基本的な問題についてまじめに議論したい学生と、相手に屈辱を与えるべくその問題を無視し、技術的な問題を指摘して学生をしかりつける横柄な教授(「規定どおりになっていない! きみは規則を無視している!」)とのあいだの対話のようにみえることがよくある。あるいは、自分の身に起こったことをつらいながらも必死に語るレイプ被害者と、書類上の必要のために被害者の話をいちいちさえぎる警察官とのあいだの対話のようにみえることさえある。政治そのものから「専門家による中立的な行政」へのこの移行は、今日の政治的プロセス全体にみられる特徴である。権力にもとづく戦略的な決断はますます、中立的な「専門」知識にもとづく行政上の規制という装いをまとっている。そして、そうした決断はますます秘密裡の交渉のなかでなされ、民主主義的に信を問われることなく押しつけられる。これはTTIP〔大西洋横断貿易投資パートナーシップ協定〕をみれば一目瞭然である。

シリザ政府がわれわれみなのために戦っていたと言えるのは、このためである。これは民主主義の意味そのものを決定する闘いであった。ギリシアの国民投票を批判する多くのひとは、投票は民衆を扇動するためのたんなるやらせであったと主張し、投票の主旨もはっきりしていないと郡楡した。その時点で受け入れるべき、あるいは拒絶すべきEU側からの提案はまだなかった、なのにギリシア国民は何をめぐって投票する必要があるのか、と。批判者たちの主張によれば、国民投票の実際の主旨はユーロとドラクマとの対立、つまりギリシアのEU残留かEU離脱かという選択であった。だが、これは明らかに間違っている。ギリシア政府はEUとユー口圏に残りたいという希望を繰り返し表明していたのだから。また、批判者たちは、国民投票によって提起された鍵となる政治的問題を特定の経済政策をめぐる行政上の決定へと、ためらうことなく翻訳した。ブルームバーグTVによる七月二日のインタビューにおいてヴァルファキスは、国民投票において本当に問われていたことが何であったかを解説した。それは、ギリシアを崩壊寸前にまで追い込んだここ数年のEU政策--すでにふれた「先延ばしと装い」という虚構--を持続するのか、それとも、そうした虚構には頼らない新たな現実主義の道、すなわち、ギリシア経済の実際的な再建の端緒となる具体策をもたらすそうした道に向かうのか、という選択であった、と。そうした具体策がなかったら、ギリシア危機は何度も繰り返されるだろう。このインタビューと同じ日にはIMFさえも次のことを認めた。「息つくひま」を得るために、また経済を活性化するためにギリシアに必要なのは大規模な債務免除である、と(IMFは二十年という返済猶予期間を提案した)。これによってIMFは、危機を本当に解決するためには新たなアプローチが必要であるというヴァルファキスの主張を承認したのである。

したがって、国民投票には、経済危機に対する二つの異なるアプローチのいずれかを選ぶということ以上の意味があった。ギリシア国民は、恐怖をあおり低級な自衛本能を利用する卑劣なキャンペーンに勇敢に抵抗してきた。敵方は、国民投票はユーロかドラクマか、EU残留か離脱かの選択であるという誤った見方を提示したが、ギリシア国民はこの敵の野蛮な計略を見抜いていたのである。EU官僚は停滞したヨーロッパを活性化できず、自分の無能さを日々あらわにしているが、ギリシア国民の「ノー」はこのEU官僚に対する「ノー」であった。それは、これまで通りのやり方を続けることに対する「ノー」(これはやがてトランプ支持者によってもたらされるものの予兆である--ただし装いは違うが)、つまり、これまで通りのやり方ではらちが明かないという必死の訴えだったのである。

EUのギリシアに対する圧力は、冷たい専門家支配と金遣いの荒い怠け者のギリシア人という人種主義的な紋切り型とを組み合わせたものであったが、ギリシアの「ノー」はこの奇妙な組み合わせに対抗して真正の政治的ヴィジョンを求める決断であった。それは、利己的でありながら最終的には自己破壊につながる便宜主義を打ち破る、まれにみる原理原則の勝利であった。ギリシアの「ノー」は、ヨーロッパをおおう危機を自覚することに対する「イエス」、新たな一歩を踏み出す必要性に対する「イエス」であったのだ。国民投票のあとはEUが行動する番である。EUは自己満足にひたった停滞状態から目覚め、ギリシア国民から送られた希望の合図を理解できるのだろうか。それとも、ひとりよがりな夢を見続けるために、ギリシアに対する怒りを爆発させるのだろうか。
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家族制度の変革は始まっている

家族制度の変革は始まっている

 大きなところから爆発させるよりも、小さなところから爆発させよう。それが感性のある姿。未婚率25パーから家族制度の崩壊のシナリオを描く。先を見て全体を考えれば、それはわかるはず。それが「考える」ということ。

 家族制度と消費活動。商品の単位は家族ですね。家を買うにしても大根を買うにしても、年金を使う人も家族です。家族には後継者がいます。これが個人単位になるとどうなるのか。単身者の場合はどちらかと言うと賃貸。残すと言っても残す相手がいない。マクロ経済が大きく異なる。

ヘッドの整理のさせ方

 とりあえず320のヘッドの内、論理が成り立ってるものを太線で囲む。論理が成り立ってないところが「希望」。そこを集中的に拡大させる。そのヘッドが認識された事には意味がある。その意味を単純に探るだけで先に進める。

 一次元、つまり、文章にすることはできるのか。意味があるのか。 二次元でも無理なのに。FBには二次元で上げてみようか
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豊田市図書館の30冊

007.58『Googleサービス完全ガイドブック』この1冊ですべて解説!

762.34『レオポルト・アウアー自伝』サンクト・ペテルスブルグの思い出

331.85『世界不平等レポート2018』

331『マンキュー マクロ経済学Ⅱ 応用篇』

369.26『家族のためのユマニチュード』“その人らしさ”を取り戻す、優しい認知症ケア

675『人がうごく コンテンツのつくり方』

299.04『子育て経営学』気鋭のビジネスリーダーたちはわが子をどう育てているのか

913.6『愛すること、理解すること、愛されること』

141.51『VRは脳をどう変えるか 仮想現実の心理学』

162『宗教の歴史4 仏教の歴史2 東アジア』

323.01『AIと憲法』

930.2『イギリス文学を旅する60章』

760.4『ベートーヴェン像 再構築1』

019.9『冒頭を読む 世界の名著101』

837『天声人語 2018夏』

198.38『宗教改革から明日へ』近代・民族の誕生とプロテスタンティズム

336.3『マーケティングとは「組織革命」である。』個人も会社も劇的に成長する森岡メソッド

335『クールワーカーズ』時間と場所に縛られず、専門性を売って稼ぐ人になる

159.4『あなたは人生をどう歩むか』日本を変えた企業家からの「メッセージ」

289.3『チャーチルと第二次世界大戦』

007.35『マイクロソフト 再始動する最強企業』

007.6『ブロックチェーンの描く未来』

209.7『20世紀の歴史 両極端の時代 上』

209.7『20世紀の歴史 両極端の時代 下』

209.75『実感する世界史 現代史』同時代的感覚で読む

335.1『ドラッカー「イノベーションと企業家精神」で学ぶ発想転換戦略:私の経験』

629.3『世界の美しい公園』

290.9『進化する私の旅スタイル』

312.1『平成史への証言』

377.28『いま大学で勉強するということ』「良く生きる」ための学びとは
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