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サイバー空間を利用する個人の出現

『サイバー空間を支配する者』より 新たなメディアとしてのサイバー空間を利用する個人の出現

サイバー空間における個人の役割の変遷

 サイバー空間における個人は、かつては技術開発や運用の中心的な担い手であった。しかし、個人の役割はサイバー空間への参加者の増加によって、技術的貢献から情報の発信・利用を中心とした役割に変わっている。このような役割の変化の結果、個人間での情報交換が促進され、サイバー空間を通じた個人の影響力が高まった。

 インターネットの技術開発における個人の役割をみれば、個人から開発コミュニティに役割の重心は移っている。インターネットの歴史では、当初は個人に閉じた活動が多かった。ワールドワイドウェブ(WWW)は、ティムーバーナーズ=リーがクリスマス休暇を利用して世界初のウェブブラウザとウェブサーバーを作り出し、WWWに必要なサイバー空間上のツールを作り上げたものである。

 一方、WWWの普及による利用者の増大により、開発コミュニティによる貢献も増加した。開発コミュニティとは、特定のソフトウェアなどを開発するためコードを書く、ドキュメントを執筆する、テストなどの技術面で貢献する人々の集合である。規模の大きいソフトウェアを開発することは多大な労力を要するが、これをさまざまな人と協力する方法のひとつが開発コミュニティの立ち上げである。例えば、ウェブブラウザであるモジラファイアフォックスはプログラムのソースコードが公開され、誰でも開発に参加することが可能である。このなかには、コードを書くだけでなく、英語で書かれた文書やアプリケーションの画面表示などを翻訳するといったことも貢献方法のひとつである。一般的には少数の意思決定者(コアメンバー)と開発者から開発コミュニティは構成されている。

 また、サイバー空間の利用者が増大するにつれ、ネットワークの拡大や安定的な運用のために交渉が必要となった。例えば、離れた場所にあるコンピュータを相互に接続するためには、一方的につなぐわけにはいかず、多くの場合、相手側との交渉が必要となる。その交渉にはコンピュータをつなぐ合意だけでなく、通信回線の費用分担といった交渉も必要である。このような場においても、かつては個人同士の関係性が重要な要素であったが、サイバー空間におけるステークホルダーが多種多様になるにつれて、個人の役割が変化した。

 具体的には、黎明期から活躍してきたサイバー空間における個人の活動としては、技術開発に加えて、技術をいかに社会の中で利用しやすくするかという側面が重要になってきた。このようなサイバー空間の社会実装については海外だけでなく、日本でも多くの人物が活躍している。例えば、奈良先端科学技術大学院大学教授の山口英はインター不ット黎明期から普及に尽力し、安全な利活用のため政府、民間組織においてさまざまな活動を展開してきた。山口はWIDEプロジェクトのメンバーとしてコンピュータネットワークの構築・研究を行うのみならず、内閣官房情報セキュリティセンター(現在の内閣サイバーセキュリティセンター)の設立に携わり、日本の情報セキュリティ政策立案に大きく貢献した。

 いまや新聞やテレビなどに代わって、サイバー空間でデジタル化された情報を利用する人々が大多数となっている。そして、デジタル化された情報を利用していた個人は、サイバー空間のインフラを利用して組織や国家に影響を与える情報発信を行うようになっている。このような変化は、日本では2001年頃に起こったと考えられる。その理由はPCの普及とインターネット利用者の増大である。内閣府の主要耐久消費財の普及率をみると、1999年に29・5%だぅたパソコンの普及率は2001年には50・1%、2016年には79・1%となった。また、インターネットの普及率も1999年の21・4%から2001年には44・O%になっている。

 当時の日本で起こった事件は、個人の発信する情報の対応に必要となる技術がボランティアペースで限界を迎えつつあったことを示している。2001年8月、インターネット掲示板2ちゃんねるは、アクセス量増大によるサーバー不調と転送量にともなう費用が原因で閉鎖の危機に直面した。しかし、2ちゃんねる利用者によるプログラム改善の提案が行われ、転送量の圧縮が成功し、危機を乗り切ることができた。個人が開設し大量の利用者をかかえるサービスをボランティアペースで救えたのは、技術開発と情報利用者のバランスが保たれていた状況にあったからといえる。その後は、利用者として既存のシステムを利用する人が増えたため同様のことが起こる可能性は低いだろう。

既存メディアなしに個人が自由に世界に情報を発信できるサイバー空間

 サイバー空間の利用者が増えたことで、個人の発信するメッセージは直接個人に届くことが可能となった。サイバー空間はこれまで新聞、テレビなどのメディアが伝えていた情報を、個人間で交換可能としたことで、個人がアクセスできる情報量は格段に増えた。これによって、情報の受け手と送り手という関係性が崩壊し、個人が自由に情報を発信・利用できるようになった。こういった関係性の変化はウェブ2・Oとして2000年代に注目を浴びた。

 個人が自由に情報を発信できるようになったことで、従来のメディアでは露出しなかったマイノリティの意見や、個人の経験、考え方などが拡散し、知識が集積していった。そのひとつが誰でも編集できる百科事典ウィキペディアである。ウィキペディアで掲載されている記述の信頼性に関する議論などがある一方で、さまざまな項目が集約されるウィキペディアは、多くの人にとってインフラともいえる存在となった。その背景には多くの人が編集に参加し、内容確認を繰り返すことで、従来の百科事典にはない即時性と幅広い項目を包含することができたことがある。 ウィキペディアの項目数は2018年時点で110万を超えている。2010年まで印刷されていた世界最古のブリタニカ百科事典と2010年当時のものと比較すると、ウィキペディアの収録記事数は30倍あったと指摘されている。その差は、ウィキベディアには従来の百科事典では収録対象から除かれてしまうような内容も含まれていたことにある。例えば、サブカルチャー的な内容に関する概要、歴史などはこれまで一部の専門家が中心となって提供していたが、ウィキペディアの登場により情報が充実しただけでなく、多言語に対応することで多言語圏への訴求力を増した。

 より多くの個人がサイバー空間へ参加したことで、情報へのアクセス方法は変わった。WWWではリンクされたページ同士がつながった。このリンクは個人間の関係性によって拡大していった。1990年代後半になると、ヤフーなどのポータルサイトが膨大なリンクを集約しディレクトリ型の検索サービスを提供し、サイバー空間へのアクセスの入り口はポータルサイトになる。その後、グーグルなどのロボット型検索エンジンの台頭により、探したい情報をキーワードによって検索するスタイルが確立された。この傾向は、サイバー空間における個人同士のつながりから、個人が一定の信頼度をもつ組織から情報を得る方法に変わったことを示している。

 その後、情報源としては信頼度をもつ組織だけでなく個人も加わった。情報源に組織・個人の分け隔てがなくなり、アプリケーションによってつながる情報がサイバー空間の参加者に影響を与えている。例えば、スマートフォンをはじめとするモバイル機器の普及もありツイッター、フェイスブック、インスタグラムといったアプリケーションがサイバー空同上の情報への起点となった。

 この背景には個人の情報を得る方法が、特定のキーワードによる検索から、関心分野を同じくする人、信頼する友人、有名人から受け取る方法に変わったことが挙げられる。この方法の場合、玉石混交のなかから情報源を取捨選択し、フェイスブック、ツイッターのタイムライン、ストーリーで友達、著名人、キュレーターといった一定程度信頼性があると信じられる情報を受け取っている。そのため、個人は情報を一から検索することなく、事前に取捨選択された内容を受け取っていることになる。また、大手メディアなどの情報を信頼性が高いと信じていた個人は、組織のもつ信頼性によってではなく、ツイッターなどの使いやすいメディアから情報を選ぶようになった。さらに、個人が情報を自身の知り合いに伝播させる方法を作り出すことにより、大手メディアによる拡散以外の情報入手を可能とした。

個人の影響力の拡大と強まる管理

 個人による情報の発信能力が高まったことで、その影響範囲は国家や組織にも広がった。その代表的な例がツイッターやユーチューブによる情報の発信である。これらのソーシャルメディアは、既存のメディアが担っていた情報拡散の即時性を高めるとともに幅広い聴衆に対して意見を発信するのに大いに役立ったといえる。最近では、ドナルド・トランプ大統領のツイッターによる発言が注目を集める。トランプが大統領選に勝った要因はさまざまあるが、情報の拡散においてツイッターが果たした役割は大きい。

 また、米国大統領選挙においてロシアの介入が指摘されており、そのなかでソーシャルメディアが与えた影響も大きい。2018年2月に米司法省が米国の政治システムにロシアが介入したとしてロシア人および企業を起訴した内容をみると、2016年4月から10月までに行われたソーシャルメディアの広告を利用した政治的な介入が明らかにされている。
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異端・プリファードの正体

『コンフィデンシャル あの会社の真実』より 異端・プリファードの正体

トヨタも頼る、AI異能の100人集団

 企業価値が10億ドルを超えるスタートアップ企業を「ユニコーン」と呼ぶ。日本ではフリーマーケットアプリのメルカリー社しかなかったが、期待の新星が現れた。人工知能(AI)を開発するプリファード・ネットワークス(東京・千代田)だ。日本経済新聞の「NEXTユニコーン調査」で同社の推計企業価値は2326億円(2017年11月時点)と、メルカリの実に2倍近い。技術者約100人、異色の頭脳集団の実態とは。

営業マンはゼロ

 東京・大手町。大企業が集まるオフィスビルの地下1階に異様な空間があった。5台の黄色いロボットがずらりと並ぶ。

 「じゃ、次はテディペアを取って」。研究員がマイクに語りかけるとロボットのアームが動き始め、携帯電話やチューブ、コインなどが入った箱からクマのぬいぐるみを見つけて取り上げた。命令に応じて行動する動作を何度も繰り返し、試行錯誤を重ねることでロボットが自ら学習して賢くなる。

 このビルに本社を置くプリファードの極秘実験室。別室には「ぶつからないクルマ」のミニチュア版やシミュレーターが並ぶ。ここに最近、頻繁に姿を見せるのが、トヨタ自動車の技術者たちだ。

 17年8月、トヨタはプリファードに105億円を出資した。すでに出資している分と合わせれば115億円。社長の豊田章男が「トヨタは提携下手だった」と認める同社が国内スタートアップに投資した中で過去最大規模だ。

 トヨタが求めたのはプリファードが持つディープラーニング(深層学習)と呼ぶAI技術だった。人間の脳神経ネットワークの動きを模して膨大なデータの中から特徴を見分けていく技術で、AIの進化を大きく後押しした。AIは世界中で開発競争が始まっているが、プリファードはこの技術の開発に集中しており、その実力は世界でも屈指といわれる。

 技術者の陣容は約100人。AIの世界では知られたメンバーが名を連ねている。同社が公表している採用の条件には、よほどの自信がなければ応募することさえはばかられそうな言葉が並ぶ。

 「コンピュータ・サイエンスの全ての分野に精通していること」「自分の研究分野では世界で一番優れていること」「誰にも負けない技術的な能力を持っていること」

 実際に若くして世界を相手に戦った経験の持ち主が多い。例えば、高校生がプログラミングを競う国際情報オリンピック。06年以降の世界大会出場者のうち5人がプリファードに在籍している。特に複雑なAIの技術を実際にプログラムに落とし込むスピードでは群を抜いているといわれる。17年に京都大学助教からプリファードに転じた前田新一は「京大でも優秀な学生が2~3ヵ月かかることを、ここでは2~3日で済ませてしまう」と驚く。技術力だけで勝負するため営業マンはゼロだ。

 トヨタの狙いは自動運転車への応用だ。始まりは何気ないつぶやきだった。

AI、出遅れたトヨタ

 「最近、新しい会社を始めたんですよ」

 プリファード最高執行責任者(COO)の長谷川順一は14年半ば頃、旧知のエンジニアにSNSでメッセージを送った。相手の名は村田賢一。ソニーからプリファードに転じた長谷川の、ソニー時代の同僚だ。村田もソL了を飛び出し、トヨタでコネクテッドカー(つながる車)の開発にあたっていた。

 かつての同僚にアプローチしたのには理由があった。プリファードは、06年に創業したプリファード・インフラストラクチャー(PFI)が母体。プログラマーとして知られた学生6人が設立した検索エンジンの会社だったが、創業メンバーのうち西川徹と岡野原大輔が、AIは爆発的に進歩すると見て14年3月にスピンオフした。同い年の2人が31歳の時だ。ただし、この時点で新会社にこれといった仕事はない。あるのはPFIから引き連れた頭脳だけだった。

 学究肌の西川と岡野原に対して、大企業に人脈を持つ長谷川が目をつけたのがトヨタだった。実は3人がPFIから飛び出す2ヵ月前に、トヨタは「高度知能化運転支援開発室」という組織を社内で発足させていた。漢字12文字の、いまひとつ分かりにくい名称だが、早い話が自動運転車の開発チームだ。

 村田が担うコネクテッドカーの先には、AIの主戦場である自動運転車があるはずだ--。こんな長谷川の読みは的中した。村田は早速、自動運転チームの室長だった鯉渕健(現常務理事)にプリファードの存在を知らせる。

 当時は米グーグルが自動運転技術で自動車業界に挑戦状をたたきつけた時期だ。だが卜ョタはAIの重要性にようやく気づいたばかり。社長の豊田は当時、「(グーグルなど)IT企業が作るのは〝i車〟。我々が作るのは〝愛車〟だ」と公言していた。ウイットを効かせた表現の裏には、新参者のグーグルにはクルマ作りは分からないという慢心が透けて見えた。「このままでは車が単なる箱になってしまう……」。村田は長谷川らに本音を漏らしていた。

トヨタと対等 下請けはやらない

 休日にはサーキットでスポーツ車をかっ飛ばす自称「走り屋」の鯉渕もこの頃、AI時代の大転換を予感した。車両制御システムの専門家だった鯉渕は今ではトヨタの自動運転開発の中心人物として知られる。ただ、それもこの頃から。トヨタは1990年代から自動運転の研究をしてはいたが当時はAIの夜明け前。鯉渕は「社内で細々と続けていましたよ」と振り返る。

 そこにAIの大波がやってきた。火を付けたのはカナダ・トロント大学だった。2012年に開かれた世界的な画像認識コンテストで驚異的な成績を残す。武器としたのが脳の働きをヒントにした深層学習だった。グーグルも同様の技術で猫の顔をJンピューターに認識させることに成功した。AI技術者の間では話題となり、西川も「衝撃を受けた」と振り返る。この技術が自動運転車の実現に道を開いた。

 「今のトョタにはこの分野の知識が決定的に欠けている」。鯉渕はとのころから社外に目を向け始めたと証言する。

 ところがトヨタに対し、プリファードが突きつけた条件は「対等な関係」だった。社長の西川は「業務委託ならやらない」と明言する。下請け仕事はしないということだ。国内だけで2万人の技術者を抱えるトヨタに対して100人のプリファード。だがトヨタはその要求を受け入れた。先端技術を統括する副社長の寺師茂樹は「昔のように〝鎖国〟ではやっていけないということですよ」と説明する。自動車の盟主もAIという大波を前に、会社のあり方を変えた。両社は14年10月に提携した。

 それから3年余り。両社は提携の成果を公にしていない。双方とも詳細について口を閉ざすが、関係者によると「その成果はトヨタの自動運転車に現れてきている」という。車の「目」にあたるカメラやレーダーなどから送られる画像を解析するスピードが飛躍的に上がっているという。

 提携直前の同年9月、記者は米デトロイトの公道でトヨタの自動運転車に乗る機会があった。当時はまだあらかじめ設定したコースでしかハンドルから手を離せない。鯉渕も「(比較的自動で走りやすい)高速道路でもまだまだ課題が多い」と口にしていた。ライバルの日産自動車やグーグルはドライバー不要の完全自動運転の実用化まで公言しており、この時点でトヨタは自動運転に懐疑的との見方まで広がった。

 今、豊田の口から「i車」という単語が出ることはない。「我々は100年に一度の大転換に直面している。まさに生きるか死ぬかの戦いだ」。2020年に高速道路で、20年代前半に一般道でも自動運転を実用化する、という宣言の背景にも危機感がにじむ。

「世界を取りたいんですよ」

 トヨタがプリファードに求めるのは自動運転だけではない。つながる車がもたらすビッグデータの解析も次のテーマに挙がる。さらにトョタの工場にプリファードのAI技術を導入するスマートエ場化構想も進んでいるという。トヨタが世界的企業にのし上がる原動力となった「モノ作り」の力も、わずか100人のAI集団が変えようとしているのだ。

 プリファードの価値を認めるのはトヨタだけではない。NTT、ファナック、日立製作所、米IBM、米マイクロソフト……。群がる巨人だちとどんな未来を描いているのか。AI集団を束ねる西川はさらりと語った。

 「僕らはパソコンやスマホの次に来る技術で世界を取りたいと思っているんですよ」

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ソクラテスの弁明 死について


『ソクラテスの弁明』より

次のようにして、死が善いものであるという大きな希望があることを考えてみよう。死ぬということは、次の二つのどちらかだ。まったく無のようなもので、死者には何についてもどんな感覚もないのか、あるいは、言い伝えにあるように、ある変化であり、魂にとってこの場所から他の場所へと移り住むことであるかのどちらかである。

そして、感覚がまったくなく、人が寝て、夢一つさえ見ない時の眠りのようなものであれば、死は驚くほどの儲けものということになるだろう。なぜなら、もしも夢を見ないほど熟睡した夜を選び出し、自分の全人生の他の夜と昼をその夜と並べて比べ、この夜よりも楽しく生きた昼と夜が自分の生涯でどれだけあったかいわなければならないとしたら、思うに、誰か普通の人だけでなく、ベルシア大王といえども、そういう昼夜がそうでない他の昼夜に比べてごく数えられるほどわずかしかないことを発見するだろう。だから、死がこのようなものであれば、儲けものだと私はいうのだ。なぜなら、全時間はこのようであれば一夜よりも少しも長くはないと見えるからだ。

しかし、他方、死がここから他の場所へと旅立つようなものであり、死んだ人はすべてかしこへ行くという言い伝えが真実であれば、裁判官諸君、これよりも大きな善はあるだろうか。なぜなら、人は(デスの国に行き着き、自称裁判官から解放されて、本物の裁判官を見るのであれば、つまり、ミノス、ラダマンテュス、アイアコスや卜リプトレモス、他にも、その生涯において正しかった半神たちがちょうどまたかの世で裁判をしているといわれているが、この旅立ちははたしてつまらないものだろうか。

あるいはまた、オルペウスやムゥサイオス、ヘシオドスやホメロスなどと一緒になることを、君たちのうちにはどんなに多くのものを差し出してもそれを受け入れようとする人がいるのではないか。私はこれらのことが真実であれば、何度でも死ぬだろう。私自身にとっても、そこでの暮らしは素晴らしいものになるだろう。パラメデスやテラモンの子アイアス、その他、昔の人で不正な判決を受けて殺された人に出会えば私自身の経験と彼らの経験と比べたら、思うに、まんざら不愉快なことではない。さらに、最大のものとして、この世の人のように、彼らのうちの誰が知者であり、誰が知者と思っているがそうではないのかを吟味、調べながら過ごすということがある。

そして、裁判官諸君、トロイアヘ大軍を率いて行った人や、オデュッセウスやシシュポス、あるいは他にも無数の男女の名をあげることができるだろうが、そういう人たちを吟味できるとすれば、どれほどのものを支払うだろうか。そのような人たちと対話をし、親しく交わり、吟味することは計り知れない幸福になるだろう。いずれにしても、あの世の人たちはそのために誰かを死刑にするということはきっとしないだろう。なぜなら、かの地の人たちはこの世の人たちよりも幸福なのだが、とりわけ、これからの時間は言い伝えが真実であれば、不死だからである。

ソクラテスは、死が善いものという希望があることを次のように考えようといいます。死は次の二つのどちらかである。まったく無のようなもので、死者は何一つ感覚がない状態になることか、それとも、魂がある場所からある場所へ移り住むことかどちらかです。

前者であれば、夢一つ見ないで熟睡できた夜は他の夜と昼とを比べると「儲けもの」だとソクラテスはいいます。勝手な想像ですが、ソクラテスは眠れぬ夜を過ごしたことがあまりないのかと思っていました。当時、その富と権力によって幸福を具現した人と考えられていたペルシア大王でさえ、そのような夜は数えられるほどしかないといわれています。死が夢を見ない眠りであれば、その全時間は昼夜の区別はなく、一夜と少しも違わないことになります。そのようなものとして死を捉え、死を善きものと見ないといけないほど、生きることは苦しいのです。

他方、死がこの世からあの世へ移り住むことであり、その上、あの世には本物の裁判官がいるのならこれよりも大きな善はないとソクラテスは考えます。ここでは、名前がたくさんあげられています。主な人について簡単に説明すると、ミノスは伝説のクレテの王でラダマンテュスはミノスの弟です。共に死後、冥界の裁判官になりました。アイアコスも敬虔な人で、死後裁判官に列せられました。トリプトレモスはデメテルの恩寵を受けて、エレウシスで農耕技術を発明し、エレウシスの文化に貢献しました。

オルベウスはホメロス以前の伝承的吟誦詩人。ムーサイから音楽を教えられ、また、魂の不死と輪廻を説くオルペウス教の教祖です。

ムゥサイオスはオルペウスと共に語られる詩人でオルベウスの子ともいわれています。ヘシオドスは紀元前七〇〇年頃の『神統記』『仕事と日々』などで知られる詩人、ホメロスは『イリアス』『オデュッセイア』で知られる詩人です。

不正な判決を受けた人と自分の経験を比べることも、また、「何よりもそこで対話をし、吟味することができ、そうしたからといって死刑にされることはないだろう」とあの世での幸福で、かつ不死である生き方についてソクラテスは語っています。

トロイア戦争におけるギリシア軍の英雄であるパラメデスは、狂人のふりをして出兵を拒んでいたオデュッセウスの狂気を見抜いたことで、オデュッセウスに憎まれ殺害されました。

サラミスの王、テラモンの子であるアイアスはトロイア戦争でアキレウスに次ぐ勇将。アキレウスの死後、その武具をめぐってオデュッセウスと競いましたが、敗れたアイアスは狂気に陥って家畜を敵と思って殺してしまいました。翌朝、正気に戻った時、それを恥じて白殺したと伝えられています。

トロイアヘ大軍を率いて行った人というのはギリシア軍の総大将であるアガメムノンのことです。

オデュッセウスは、トロイア戦争における英雄で、知略に優れていました。ホメロスの『オデュッセイア』はトロイアからの帰途にオデュッセウスが経験した冒険談です。

シシュポスは、コリントスの王で、世界中でもっとも狭智に長けていたといわれています。彼はゼウスがアソポスの娘アイギナを奪ったことを、娘を探す父親のアソポスに教えたので罰を受けることになりました。地獄で岩に手をかけ足を踏ん張り、巨大な岩を手と頭で小山の頂上めがけて押し上げていくという罰を受けました。岩が頂上を越えようとする時、重みが岩を押し戻し、無情の岩は再び平地へと転げ落ちました。
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なぜ、単体で考えるのか

日村は乃木坂に救われる

 日村は「ごめんねずっと」で乃木坂を完全に味方にしたそして、乃木坂に救われる。

 16年前の日村よりも7年間見てきた日村を信じる。本当の兄弟ならば、どう行動するか。

地球滅亡まで残された時間

  それよりも自分の「存在がなくなる」までの時間の方が短い。存在をなぜ、先に考えないのか。話をなぜそらすのか

『夜と霧』は1955年に 半年で撮影された

 大量の情報に対して、存在というフィルターは有効に機能している

なぜ、単体で考えるのか

 車のデジタル化とか車の全自動化。そういったものをなぜ、単体で考えるのか。その方が著者にとって儲かるから。

 これらは根本から考えることです。今の根本は 個人から考えことです。家族制度そのものをまず、どういう形にするのか。そこから考えると答えはシンプルです。

 根本から考えることが現行の組織ができるとは思えない。社長とか名古屋もそうだったけど、自分のことしか考えてない。 彼らには無理なことです。

 自分たちのお客様の言うことだけを切り取ることしかできない。至高のイノベーション 他からやってくる。

 そう言えば、井上さんはコンポン研に居たんだな。22世紀から考えるために、作られたもの。

生活研究所

 東富士で感じたのは、自動車の研究所だけでなくて生活研究所がここにいる。モノではなくて、使い方・暮らし方、それらを研究する場所。

 出所するときに、その時になったら帰ってこよう。それが最後に感じたこと。
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