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行きも帰りもポーチ一つ

新しい議論方式

 議論するための新しい方式をどこで、どういうカタチにするのか、これも大きなテーマです。未唯空間でやった細かい所、詳細の部分はもっと分化させます。具体的にします。同時に、全体のコントロールを未唯空間で行います。

人にぶつかってばかりいる

 見えないことはさほど、意味を持たない。むしろ、内側を見るには、丁度いいかもしれない。そういうつもりでいます。それにしても、町で、人にぶつかることが多い。回避活動はしていません。

 マックはまた、グラコロをやっているんですね。見えなかったので、エッグバーカーにしてしまった。

行きも帰りもポーチ一つ

 資料は新幹線の中に置いてきてしまった。もらった名刺も。まあ、トレースはできます。結局、行く時も帰るときも、このポーチ一つです。

 持って行った四つのツールを使いました。キンドルHDで未唯空間の項目変更、キンドルパーパーで読書、ICレコーダは講演内容の録音、iPadminiは録画しました。色々な側面で使えるものです。ポーチ一つに収めています。

 ここに来ている、技術者と言われる連中は、スマホ一つでやっているのでしょう。

ケータイを持って行かない

 千人以上居た人たちでケータイを持っていないのは、私ぐらいでしょう。それで選択してもらえばよかったのに。

 これも内なる世界です。コンテンツ重視です。自分の中の内なるポリシーです。それでいながら、ケータイをどう使って、スマホにどう出すかを考えています。ポータルをタブレットと同じイメージではなく、チャッターモバイルを用いたパターンにしていけば、時代が付いてきます。

冬の季節はミカロスの気分

 また、冬の季節です。会社ではミカロスの気分の雰囲気なんでしょう。今は、黒のフードをかぶりたい感じです。

 右足の親指の付け根が腫れています。昨日、豊田市まで歩いただけなのに。やはり、身体のことは外の世界にしましょう。

池田晶子

 帰りの新幹線で、池田晶子さんの「考える日々Ⅲ」をキンドルで読んでいた。

 「所詮、この世は、所詮、この世のことだもの」というのが口癖です。

 「考える人は、どうやっても、この世の中はどうでもいいということに、結局なってしまう」

 シンクロしますね。

 池田晶子さんの人生観は、常に死を考えています。40歳まで生きてきたことに感慨を持ってあたっていた。まあ、どうでもいいけど、その感覚です。

 それとやっぱり、知らない間に生まれてきたこと。親との関係でもセックスとの関係でもない。

 私の目が見えないこと、親指が痛いこと、そんなことは他の人には分からない。そういう人たちとどのようにコミュニケーションが取れるのか。取れるはずがない。それを前提とします。やはり、どうでもいいことはどうでもいい。

 組織に縛られようとする人間は好きにはなれない。他の人間に判断をゆだねたら、自分の人生ではない。

次元の圧縮・拡大

 集合が点になるというのはすごいことですね。それで、その点での次元を圧縮したり、拡大したりできる。これの現実的なカタチ。

ビブロバトル

 ビブロバトルが日曜日にあります。私が選ぶとしたら、どんな本なのでしょうか。

 「白夜の国の図書館」でのロバニエミ公共図書館、「複雑性とは何か」エドガール・モラン、古い所では、「戦争と平和」そして、デカルトの「方法序説」「感性論」

 当日は、皆は何を言ってくるのか。
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