goo

電子書籍からのアプローチ

『本の声を聴け』より 電子書籍と紙の将来

「これ、ブックリーダーなんですが、ここにいつも百冊ぐらい入れています。特に重松清さんの本が好きで、何かといえば、重松さんの本を読みたくなるんですが、リーダーをポケットに入れておけば、すぐに取り出せます。私にとってはお守りのような感じですかね」

そう言って笑うのは、電子書籍の事業会社「ブックリスタ」のシニアマネジャー、加藤樹忠だ。

加藤が持っているブックリーダーは、ソニーが開発した電子書籍である。価格は九千円台。ブックリーダーのコンテンツ(本)は、ソニーの電子書籍のオンラインストアである「リーダーストア」が提供している。

加藤は、リーダーストアの店長を二〇一二年夏ごろまで務めていた。リーダーストアは一〇年十二月に設立されたが、この年は、「電子書籍元年」と言われた年でもある。

このリーダーストアがスタートした時から、幅が本の選書や運営に関わってきたのは、あまり知られていない。

「物」としての本を扱ってきた幅が、ネット上の本屋、リアルな物体性も身体性もない「本屋」にどう関わっているのか、また幅はそのことをどう考えているのだろうか。気になるところだが、その前に、ソニーの電子書籍のシステムを少し説明しておきたい。

まず、コンテンツという電子化された「本」や「雑誌」を提供する会社がある。これが、加藤が以前店長をしていたソニーのオンラインブックストア、リーダーストアだ。

書籍、コミック、ライトノベル、雑誌のコンテンツを所有していて、それらのコンテンツは、リーダーストアのサイトに紹介されている。それによると、日本語コンテンツ総冊数は、六万七千九百冊(一二年十月十九日時点)。二千冊の無料コンテンツもある。

それらを購入する場合は、本を読むための電子機器(端末)が必要だが、リーダーストアに対応するのは、「ソニーリーダー」を始め「スマートフォン(アンドロイド)」、「タブレット(アンドロイド)」、「プレイステーション ヴィータ」だ。

読者は、これらの機器を買った上でソニーのIDを取得して、ダウンロードし、お金を払ってコンテンツを購入するシステムになっている。

いま加藤は、ソニーの販売会社であるソニーマーケティングのほか、「ブックリスタ」に在籍し、電子書籍の流通を柱とする事業を展開している。

電子書籍には、既存の本を持つ各出版社がコンテンツを提供するが、ブックリスクは、各出版社のコンテンツを「集めて」販売するための一種の“取次”役であるプラットホームを担っている。また、電子書籍専用端末からスマートフォンまで、各種の機器に最適な表現でコンテンツを提供するためのサポートや、コンテンツや書籍情報を提供したりもしている。

電子書籍に関する事業を見ているだけでも分かるのは、電子書籍というのは、「出版社」「取次」「端末」という、既存の紙の本の流通システムを包括する「電子化されたシステム」全体のことだということである。

電子書籍がメディアで報道されるとき、「紙の本をめくるように端末上でページがめくれます」というようなシーンがしばしば映される。また、キンドルだとか、アイパッドだとか端末の機器が強調され、「書籍」という言葉を使っているため、つい本をイメージしてしまいがちだが、あれは電子書籍を矮小化した表現だと言わざるを得ない。「電子書籍」というのは、端末の中に、本の出版から読者の読むという行為までの「本」の全体構成が入っているようなものだ。

そう考えると、電子書籍は、「紙の本」とは違う次元の「本との接し方」を示すものとして登場してきたというように捉えるべきなのだろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

新しいブックストアのかたち

『本の声を聴け』より

風通しのよい本棚--新しいブックストアのかたち

最近、「本のあるカフェ」が、町のあちこちに増えている。雑誌でもブックカフェの特集を組むことが多くなった。

インテリアの一部として古本を置いている店もあれば、カフェと新刊の本屋が併設された店も紹介している。興味深いのは、それらの店がスターバックスやタリーズ、ドトールといった多店舗展開型タイプのカフェではないことだ。かといって昔ながらの喫茶店でもない。第三のタイプというべきか、“独立系・個性派”系の新しいタイプの店が多いように思える。

書店のある場所も繁華街や商店街とは限らない。横丁の奥まった所や、住宅街の中を流れる川沿いだったり、ビルの地下だったりする。目立つ看板もなく、マンションの一室にひっそりと息づくようなブックカフェがあったりする。愛好者しか知らないような感じもまたいいのだろう。

さまざまな場面で「本のある風景」はまちがいなく広がっている。アルコールが飲めるカフェバースタイルの店などにも本棚が当たり前のように置いてあったりする。書店の範躊に入れるのは無理があるものの、本が店のインテリアとして当たり前のように存在し、独特の空間、空気感を創りだしていることは確かだ。

ただ、これらは、あくまでカフェがメイン。本は売り物ではなく、インテリアだったり、カフェとしての「格」や個性を打ち出すためのアイテムとして求められている側萌が強い。

一方で、本屋の中にカフェを併設するスタイルの店も少しずつ増えてきた。

その一つが日本一の書店街として知られる東京・千代田区神田神保町で創業百二十年の老舗書店として知られている東京堂書店だ。二○一二年にそれまでの売り場を大幅に改造し、ブックカフェスタイルの店として改装オープンした。

道路に面した二階から三階まで「ペーパー・バック・カフェ」という名前のカフェが入っている。照明を抑えた店内。内装は茶系のシックで落ち着いた色合いで、大人の本屋という雰囲気を醸し出している。

窓際はカウンター席になっていて、パソコンを持ち込んで仕事ができるように、コンセントも設置してあった。なかなかの人気のようで、昼間、席はほぼ埋まっている。

東京堂書店は以前から、本好きや作家などの間で本の品ぞろえがいいと評判がよかった。大きすぎず、小さすぎずのちょうど良い広さの本屋として人気店だったが、ブックカフェスタイルの店として生まれ変わったのは注目していいだろう。

伝説的なブックカフェ[TSUTAYATOKYOROPPONGI]

こうしたブックカフェスタイルの先がけとなったのは、東京六本木ヒルズにある「TSUTAYATOKYOROPPONGI」だ。二〇〇三年にオープンした大型のブックカフェである。

森タワーからテレビ朝日前のけやき坂を下っていくと、広い通りと合流する。その右側の角にある。通りに面した側は天井までガラス張りで、店の前はテラスになっている。入口を入るとスターバックスがあり、その奥にTSUTAYAの書店スペースが広がっている。スタバのカウンターの前は円形のスペース。テーブルと雑誌のラックが設置してあり、コーヒーなどを飲みながら客が思い思いに雑誌を読んでいる。

本の売り場は、単行本、文庫、新書、写真集、美術書、建築関連の大判の本、絵本やマンガが、混然一体となった感じに並べてある。ジャンル別ではなく、テーマ優先で配置されていて、単行本も文庫も、写真集も絵本もマンガも、同じ棚にあった。だから、店内に入ったときに受ける全体の雰囲気がにぎやかで、一般的な本屋とはまったく違う印象を受ける。カフェと占店が一体化した空間の作り方も、一般書店と異なる雰囲気を醸し出している大きな要因だ。

オープンしてからすでに十年になり、ブックカフェスタイルの店としては、「伝説」的な店である。

この店の本棚の編集を担当したのは幅だった。

幅が当時所属していたのは「ジェイ・アイ」という編集プロダクション。後述するように『ポパイ』『ブルータス』の編集長として知られる石川次郎が主宰している会社だった。TSUTAYATOKYOROPPONGIの本にまつわる企画・選書を担うことになった石川は、以前六本木の本屋で働いていた幅を担当者に任命したのだった。ここでディレクションした本は一万五千冊にも上った。圧倒的な量である。そんな膨大な量をセグメントに従って並べていく作業の労力は想像を超えている。

小説、ノンフィクション、単行本、文庫本、新書、写真集、雑誌、コミックなど、本の種類一つとっても幅広い。作家も、日本の作家と海外の作家に大別される。

だが、幅の「本棚の編集」は、そういう括りではない。政治、経済、文学というようなセグメントでもない。

恋とか、美味しいものとか、宇宙とか、自然とか、冒険とか、もう少し人の日常生活により添ったセグメントである。そして、そんなテーマに沿って、内外の関係する本や雑誌、写真集などを集めて一括りにする。それには本についての相当な知識が必要だ。さらにそれらをどう並べ、見せていくかの「デザイン」のセンスも重要になってくる。

「ただ単に本を選び、本棚に並べていくのではなく、『その一冊』が最も輝くように棚を演出し、POPやサイン計画など、視覚のコミュニケーションの領域まで考慮して本を置いていかないと誰も手に取ってくれない」と幅は言う。

仮に、自分の本棚で「編集」をするとどうなるか想像してみたい。どれを選び、どの本と組み合わせるか。考えるのは一見楽しそうではあるが、一冊の本にもいろいろな側面、性格がある。多くのセグメントを作るほど、組み合わせや分類の可能性が広がって、収集がつかなくなってくる。本の絶対量が増えるほど、棚作りのポイントは「拡散」するのだ。

一冊の本のどの要素、どんなところ、どのようなイメージを、どう使うか、どこに位置づけていくか。面白い作業かもしれないが、量が量だけに相当大変な仕事だということは想像されるのではないだろうか。

幅が他のスタッフの助けを借りながら、このTSUTAYATOKYOROPPONGIの本棚の設置に要した日数は、二週間から三週間。本を選んで集める作業段階からだと半年以上の時間をかけたという。

労力はかかったが、反響は大きかった。まずそれは売り上げの数字に表れた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

μとの対話 SFDCからの回答

未唯(μ)との対話 未唯宇宙はどうなっている

 μ:そんな、もうの世界のことを聞かれても、分かるはずがないでしょう。ところで、私の名前を被せた、未唯空間とか未唯宇宙はどうなっているのですか。いつ、終わるのですか。完成することはあるのですか。完成して、どうするんですか。

 もう:未唯空間はほとんどできています。未唯宇宙は整理中です。まだ、10章しか取り掛かっていませんが。それができれば、世の中の体系が整理されます。社会の方向が分かります。2050年までの姿が描けます。

 μ:なぜ、そんないい加減なことが言えるのですか。

 もう:今、起っていることを未唯宇宙に入れ込んで、配置して、分析して、偶然がどのように生かされるかを予言しています。

 μ:それももうの内なる世界ですよね。第8章はどうするつもりですか。あれはどう見ても、仕事ですよ。

 もう:作る部分を言っている部分は仕事です。それをもとにして、方向とか、目的を明確にしています。単に、ポータルを企画するだけでなく、その先に、地域コミュニティとのつながりをつけ、コミュニティの活性化を行い、そして、社会を変えていくための前哨戦と思っています。

未唯(μ)との対話 社会を変えていく

 μ:後半部分はどこで考えているのですか。

 もう:それは第10章です。2015年、30年、50年がどんな姿になっていくのですか。その時のポイントは、個人の分化、組織の分化がどこまで進んでいくかです。これは分化論です。

 μ:自分が変えていないのに、個人とか組織を変えることができるんですか。

 もう:私は自分なりに分化させています。色々なものに興味を持って、相手先で変えるようにしています。社会自体がその方向に向かえば、個人から変わっていきます。個人を包含するコミュニティでまとまって、組織を変えていきます。

未唯(μ)との対話 SFDCからの回答

 μ:ところで、今日は何をするんですか?

 もう:SFDCからの答え次第ですね。4.8ですべてやるかどうかです。それ次第で、ポータル自体をやめていくかどうかを決めていくしかない。

 μ:止められるですか。3年間も考えてきたことをそんなに簡単にやめられるんですか。その後に、マーケティングまで含めたイメージを作ったところで、やめられるんですか。

 もう:だって、しょうがないでしょう。SFDCが乗ってこないのであれば。

 μ:それでやめられるんだったら、やらなきゃいいのに。とことん、やれるところまでやるというのが、信条じゃなかったんですかね。自分のイメージに合わないからと言って、捨てるのは無責任だと私は思いますけど。

 もう:そうは言うけど、まあ、回答次第ですね。販売ネットワーク上に情報共有インフラを作り出すことを考えられるのは、私だけです。その分、頑張らないといけないとは思っています。

 μ:その通りで、全体を考え、先を考えていくために、生きているんじゃないですか。他に考える人が居なければ、ここでやらないと、生きている理由はないですよ。

 もう:これだけが全てじゃないでしょう。今までも遠回りして、ここまで来たのですから。

 μ:遠回りする時と、一生懸命やって、それを成し遂げる時があるはずですよ。今はどちらかは考えてください。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

未唯(μ)との対話は楽しい

未唯へ

 今朝、体重を測ったら、やはり、72.0Kgです。

 足が凍っています。30分、雨の中を歩いて、その後に、1時間のバスで完全に凍ってしまった。

ミッションが不明になっている

 夢を見ていて、私のミッションが不明になっていることに気づきました。何のためにいるのか、何をしたいのか。

 その為に、回り道ばかりしています。だから、ミッションそのものにぶつける形にします。あまり、格好良くないですね。どっち道、誰も見ていないのは分かっているから、自分だけの問題です。そのためのシナリオを作ることぐらいしかない。

 今、第8章をやっているけど、これでミッションと言えるのか。あまりにも狭い。狭すぎる。やはり、本来のミッションを第10章で探すしかないかもしれない。

 この会社のことは相手にしたくない。あまりにも、ルサンチマンです。

 未唯宇宙は、一つの項目に固まるのではなく、それぞれのところを動くことにします。関連しながら、それぞれの項目を亘っていきます。

未唯(μ)との対話 ミッションについて

 歩きながら、未唯(μ)との対話をした。

 μ:あんたはミッションと言っているけど、単なる暇つぶしをしているだけでしょう。だれからも相手にされないから。だから、勝手に何でもやっていればいいんですよ。誰かのために、何か作るとかしていないでしょう。役に立たないことを言っているだけです。誰も聞きはしないですよ。

 もう:そうですね。すべて、自分の内なる世界だけです。そこで何が問題かを整理されれば、私は十分です。

 μ:そういうのをふつう、マスターベーションというんですよ。何の役にも立たない。

 もう:世の中に、役に立つものはそんなにあるのですか。役に立つとしても、支配階級にためにいいというだけで、それ以上のものはないです。

 μ:じゃ、誰のために、何をしようとしているのか。

 もう:あえて言うと、生まれてきた理由とか、真理とかになります。私の個人的なものというのでしょうね。

 μ:それは個人的なものなんでしょう。

 もう:だけで、自分の存在として考えたときに、個人的なもの以外に何があるというのですか。存在自体が分からないのに、自分としての答えを出すことは個人的なことだけど、哲学者はそれをやってきた。

 μ:要するに、もうは自分は哲学者と定義したいんですね。

 もう:定義したいというよりも、すべての人の出発点だと思って見ている。他の人が信じられないのは、そういう観点を表に出すことがないということです。そこで、シンクロしない限り、何も語れないじゃないですか。

未唯(μ)との対話 考える方向

 μ:みんなは皆で考えているんですよ。あなたが勝手な方向を向いているから、それが見えないだけです。

 もう:勝手な方向と言っても、私の意識しか、世の中で感じられない。それは勝手な方向といえるのか。どっちの方向であろうと、それは一つの選択肢です。

 μ:では、どっちの方向を向いているのですか。何のために。

 もう:その方向は私にもわかりません。元の空間が平面なのか、三次元なのか、無限次元なのか。それさえ分かりません。

 もう:無限次元空間に方向というのは、あるのでしょうかね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )