goo

自分の存在をなくす

ワークライスとワークライフ

 ワークライスとワークライフというのはおかしいです。食べるために働いていることを偉そうにする人が組織の人間に多い。それが生まれてきた理由になるのか。

 人間が依存しようとするから、そういう分け方になるのです。孤立の中でどう生きていくのか。孤立がベースの状態です。こんな当たり前のことが、依存という形で、組織という形でないがしろにされている。

 国も個人も思考停止しているだけです。何のために人間として、この世界に来たのか。それも、この多重世界です。あまり深く考える必要はない。失敗したら、もう一回やればいいのです。

ターミナル期の接点

 ターミナル期の接点は「もとに在る」関わりだそうです。まだ、分からない。共にあることなんでしょうか。寄り添うことなのでしょうか。

スタバには怖くて行けない

 スタバの期待していた以上のサービスを受けるのに慣れていた。期待した自分に対して、裏切られることで、すべてが空しくなります。

 私にとって、社会との接点だった。それを自分からなくします。スタバへ行くのが怖い。本当に怖い。これで、なにものも期待しない。

 トラウマという言い方でいいかわからないけど、期待したものが裏切られる。また、勝手な思いが勝手であることが認識させられる。それが嫌で、接点をなくします。15年前のメールに対するトラウマと同様です。いまだに続いている。

 それがゆえにいろいろなことを考えてきた。今回はパートナーとスタバが同時に、誕生日に起こりました。このトラウマをどう生かしていくのか。スタバのカードの残金がなくなりました。入金しません。

 全ての期待をなくします。人は存在しないのだから。これが基本です。

読書クラブでは社会は変わらない

 読書クラブは、楽しく、読むことが好きになり、刺激があり、大きな学びがあり、人間関係を築くために最高の機会です、とのこと。最後の項目以外は、一人でできることです。

 本来の本を持つ意味からすると、観点がずれている。社会を変えることです。やはり、ソクラテスのような対話があっている気がする。ニーチェのように、山を下ることことです。だけど、期待をしてはいけない。

 孤独と孤立を変えない限り、変わるものではない。これでやってきたつもりでいるから。

 読書はコミュニティで意識と知識をまとめるための武器にしていく。そのための読書クラブではコラボレーションです。各自の意識と知識はまとめるけど、グループとしての答えは出さないというものです。

自分の存在をなくす

 自分の存在をなくすにはどうするのか。これも大きなテーマです。

 とりあえずは、自分の中にあるものをすべて出して、空っぽにしましょう。孤立と孤独の反対は依存です。だけど、感じられないものに対して、依存はできない。

 私が感じられるのは、この多重世界を作った「存在」です。西洋なら紙でしょう。人間の形をしているのは無理です。「存在」に依存はしています。偶然というカタチで私に、色々な手を差し伸べてくれます。それを感じて、使っています。

 人間は本来、何かを持って、生まれてきている。それは大きなものです。それを無駄に使っている。大きなものを内側から見ていけば、答えがあるのに、別なものにかまっています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

国を信頼するということ

本の意味

 新刊書よりも、私の考えの方が先に来ている。だから、なかなか合わない。本で書かれていることは、自己完結性であり、自己肯定です。

 本を読む99%はそんなことはありえないところからです、あとの1%が合うかどうかです。社会への提言にもなっていない。これは不合理です、

 本は家で処理しましょう。スタバでは、単純にキンドルだけです。外出する理由です。未唯空間を鍛えるために、本を読んでいる。チェックしている。

 本の内容は未唯空間のどこかに位置づけられる。取り込むものがあれば、幸いです。そのために、著者は本で意見を言っているわけです。未唯空間のたまに書いている。それに応えます。

 それらを総合的に考えるのが未唯空間です。政治の本は政治しか言っていない。過去のことは言えるけど、未来のころは言えない。未来を語る人は未来しか言えない。

 ノウハウを語る人は、本当に些細なことばかり言っている。159の世界です。その中でも、裏返したり、逆に読んだりすれば、知恵がついてきます。

 一冊一冊がすべてを語っているわけではない。未唯空間に照らし合わせて、全体を組み立てる。自分の存在をそこに掛けるということです。

国を信頼するということ

 国への信頼がスウェーデンの社会保障制度の基盤です。

 国を信頼するとはどういうことか、国を信頼できるようにするにはどうしたらいいのか。国は信頼に値するのか、そのための代表なのか。国がすることことを地方がすることとどう違うのか。

 日本は3.11で完全に信頼を失っている。その元になったのは、東電の依存体質です。東電へのアプローチを見れば、国への信頼関係ができないのがわかってきます、

 この現状から、自分たちで信頼できるものを作り出していかないといけない。地域で持って作り上げて、それで国というものを作り出す。そういうシナリオが正当性を持ってきます。

未唯空間で孤独と孤立

 やはり、自分のことは自分で考えるしかない。そのために、未唯空間を作ってきたのだから。自分の最初の孤独と孤立のところだけでも、皆とは違います。

 皆がいないという感覚は現実です。皆は、そこから入ります。孤立を恐れて、依存です。

インタープリターを探してきた

 ポータルにしても、私が作るわけではない。作ることを考える人とつながっているだけです。販売店システムのCEOとつながらないといけない。CEOを現実化するところと実際のところはかなり近いです。

 この3年間、そのためのインタープリターを探してきました。私の言葉がわかり、やることに落とす人です。CEOの意図を受けて、フィールドも変わらざるをえない。その方向を、私はつけるだけです。

 それ自体も一つの部分です。CEOも社会との関係はさほど考えていない。社会のことと販売店システムをくっつけるだけです。全体のことと先のことを出していくだけです。そうすれば、つながっていく。そこから、新しい役割を持った人が出てくる。最終目標としての2050年。

 個人ではなく、個別にやっているのは、単なる動きです。そこから目的に持っていかないといけない。企業では一緒です。モノを作るのが目的ではなく、社会を変えるのが目的です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

当然のものではなかった戦略 GMの小型車戦略

『決断の条件』より

一九三五年頃、GM(ゼネラルモーターズ)は、当時の市場シェアだった五〇から五五パーセントを超えることは、独占禁止法上、深刻な問題を招くおそれがあると判断した。

そこでGMは、市場シェアを伸ばすことを避け、収益を伸ばすことにした。ということは、市場のなかで、最大かつ最も利益の大きな市場に力を入れるということであり、抜群の生産力によって市場シェアを拡大する代わりに、高い価格をつけることによって他社を保護するということだった。

フォードやクライスラーが多少なりともGMの競争相手として意味をもつようになるのは、一〇年以上も先のことだった。このGMの戦略は、その後三五年間有効に機能した。

コンパクトカーが登場してきたときでさえ、GMはアメリカンモーターズに自由に市場を開拓させた。その後で自らのコンパクトカーを開発して、すぐに五〇から五五パーセントの市場シェアと、高収益を手に入れた。

しかし五〇年代半ばから六〇年代のはじめにかけ、輸入小型車とくにフォルクスワーゲンが市場シェアを伸ばしはじめたとき、GMは岐路に応だされた。

GMとしては、コンパクトカーよりもさらに小型のサブコンパクトカーを開発することによって、輸入小型車を容易につぶすことができた。事実GMは、ドイツでサブコンパクトカーを開発し、ヨーロッパにおいてフォルクスワーゲンやフイアットと張り合う地位を確保していた。

だが、アメリカにおいてサブコンパクトカーに進出すれば、五〇パーセントのシェアを越えて独禁法上の問題を発生させるか、あるいは高価格で高収益の車種のシェアを落とさなければならなくなる。

すでに当時GMは、独禁当局に狙われていた。デュポンはGM株の処分を命ぜられていたし、トラック・バス事業、ブルドーザー事業、機関車事業等が、独禁法違反で訴えられていた。

しかも輸入小型車の利益幅は小さかった。おそらくフォルクスワーゲンは、アメリカでは一度も利益をあげたことがないと思われた。

サブコンパクトカーの製造コストは、鋼材費と輸送費が安いだけで、労務費、鋳造費、塗装費は車の大きさとは関係がなかった。むしろエンジンなどは、サブコンパクトカーのほうが高くつくくらいだった。しかも鋼材費と輸送費は、コストの一二パーセント程度を占めるにすぎない。

にもかかわらず、輸入車のサブコンパクトカーは、コンパクトカーよりも三〇パーセントも安く、当時まだ市場の半分を占めていたスタンダードカーよりも五〇パーセントも安かった。そこでGMは、サブコンパクトカーには手を出さず、得意とする車種に力を集中していくことにした。

この決定は、フォルクスワーゲン、フィアット、日本車による価格競争が激しくなる一九七四、五年まではうまくいった。GMは、アメリカ車の市場の五〇パーセントを維持しつつ、大きな利益をあげていった。

しかしその間、輸入小型車の市場は拡大を続けていた。はじめにドイツ車が伸び、ついで日本車が従った。

ついに七五年には、輸入小型車の市場シェアは、アメリカの自動車市場全体の二五パーセント近くになった。このときようやくGMは、サブコンパクトカー市場へ進出することを決定した。しかし、それはおそらく遅すぎた決定だった。

四〇年にわたって成功した戦略を失敗とはいえない。だが、GMの内部には、一九三五年の決定は間違いだったし、当時すでにそれが間違いであることは明らかだったと言う者がいる。

また、一九三五年の決定から一〇年後、GMが軍需品の戦時生産体制から民需自動車の生産に復帰したときにも、トップマネジメントの人間ではなかったが、役員のなかには、一九三五年の決定は間違いだったと言っていた者がいた。あるいは、少なくとも当然の決定ではなかったという者がいた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

巨大施設を、どうしてコロンビア高原なんかにつくったんだろう?

『インターネットを探して』より データが眠る場所

インターネットはトラフィックをきわめて効率的に移動させられるため--それに相互接続点がトラフィックのハブとして成功したため--データをどこで眠らせるべきかという疑問には決定的な答えが出せないでいた。ぼくたちがインターネットを介して情報をリクエストすると、どこからか情報がやってくる。ほかの人からか、それがたくわえられていた場所から。しかし、インターネットが日常的に起こしている奇跡のおかげで、そうしたデータは、理論上、どこにたくわえられていてもかまわないiそれでも、情報はぼくたちの元までやってくるのだ。そのため、小川模なデータセンターでは利便性で場所が決まる。設立者や顧客、つまり機械を調整しにくる必要のある人々のそばにあることが多い。ところがあいにく、データセンターは、規模が大きくなればなるほど、立地の問題が面倒になる。そのような巨大工場じみたデータセンターは、皮肉にも土地としっかりつながっていなくてもかまわないように思える。ところが、それなのに固まって建っている。

データセンターの場所を決めるにあたっては考えるべきことが何十もあるが、ほとんどすべてが、できるだけ安くハードディスクを--それも一五万台ものハードディスクを--作動させつづけ、冷やしつづけることに帰着した。建物自体のつくりが、とりわけ温度管理の仕方が効率に大きな影響をおよぼす。データセンターのエンジニアは、車の燃費にあたる〝電力使用効率〟(PUE)がすこしでも小さくなる建物を設計しようと懸命になっている。しかし、PUEを改善するための重要な外部変数のひとつに、建物の立地がある。車が平らでなにもない場所のほうが坂の多い街より燃費がよくなるように、データセンターは、作動しているハードディスクと強力なコンピュータを、外気をとりいれて冷やせる場所のほうが効率がよくなる。だが、データセンターはどこにでも立地できるため、どうやら、小さな差異が拡大されるらしい。

なにかしらの特徴を活用するためにピンポイントで慎重に決定するデータセンターの場所選びは、いうなれば物理的なインターネットの鍼治療だ。競争心旺盛な企業が優位に立とうと丁丁発止のやりあいを続けているうちに、いくつかの場所がほかの場所より望ましいことが明らかになって、その結果、データセンターは地理的に群れをなしている。大規模なデータセンターは、雪の吹きだまりのように、地球のおなじ隅にたまりはじめたのだ。

マイケル・マノスはたぶんだれよりも多くのデータセンターを建造した--マノスによれば一〇○前後にのぼり、最初はマイクロソフト、のちには大手ホールセール事業者のデジタル・リアルティー・トラストのデータセンターもつくったという。マノスは大柄で色白で気さくな男性で、コメディアンのジョン・キャンディ演じるところの不動産屋のように早口でまくしたてる。そんな性格は、ものになりそうだったらすばやく杭を打たなければならないデータセンター業界にはうってつけだ。マノスが二〇〇五年にマイクロソフトに入社したとき、同社は世界のあちこちにある三つの施設におよそ一万台のサーバーを設置して、HotmailやMSNやxboxゲームなどのオンラインサービスを運営していた。四年後に退社するまでに、マノスはマイクロソフトがデータセンターを世界各地に、サーバーを拡大するにあたって尽力した--「だけど、正確な数はまだいえないんだ」とマノスはぼくにいった。正確な数はまだ秘密だった。これはマイクロソフトの歴史でも例を見ないスケールの拡大で、いまにいたるまで、ここまでの急拡大をした企業はほんのひと握りしかない。「この星で、ここまでスケールの大きなことをした人は多くないだろうね」とマノスはいった。マノスほど世界を駆けまわった人は、もっとすくないはずだった。

マノスはマイクロソフトで、五六もの基準を参照し、緑(最適)から赤(最悪)に色分けしてデータセンターに適した場所をあらわすマッピング・ツールを開発した。しかし、コツはスケールを見誤らないことだった。州レべルで見たら、オレゴン州は不適格に思える--もっぱら、地震のような環境リスクのせいで。ところが、ズームインすると話は違ってくる。地震帯があるのは州西部だし、オレゴン中部には寒冷で乾燥しているという--外気を使ってハードディスクを冷却するのに最適な--利点がある。意外にも、土地代金は、それどころか建物の建造費も、方程式にはほとんど影響をおよぼさない。「数字をいうと、コストの八五パーセントくらいは、建物のなかの機械システムと電気システムが占めてるんだ」とマノスは説明してくれた。

「土地とコンクリートと鋼鉄にかかるコストは、平均で約七パーセントなんだよ。ほんのちょっぴりなのさ! だから、縦に長い建物と横に広い建物のどっちがいいんですか? よく訊かれるけど、どっちだって大差ないんだ。つまるところ、この手の施設には、不動産代金も多額の建設費用も、たいした問題じゃないのさ。箱にどれだけ機械を詰めこむかで費用が変わってくるんだ」それに、もちろん、電気代も重要だ。「データセンター関係者はいつだってふたつのことに注目してる」とマノスはいった。「妻は以前、わたしは景色ばっかり見てると思ってたそうだ。だけど実際には、電線と、電線から下がってるファイバーを見てたんだよ」つまり、マノスはザーダルズでぼくが泊まった部屋からの眺めを探していたのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

スタバには怖くていけない

スタバには怖くていけない

 誕生日に期待していた。完全にスルーされた。

 期待していた自分を否定したい。

 またも、トラウマです。

豊田市図書館の追加の6冊

 674『新しい広告』

 367.5『日本人の「男らしさ」』サムライからオタクまで「男性性」の変遷を追う

 146.1『唯幻論大全』岸田精神分析40年の集大成

 539.09『原子力報道』5つの失敗を検証する

 493.74『トラウマ』

 015.6『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』読書会より面白く、人とつながる学びの深さ

文書化 8.5 ポータル

 現行
  ポータルは店舗への情報の窓口として、開発した。基幹系・情報系からの情報はあるが、スタッフに届いていない。
  ライブラリのストック情報と合わせて、スタッフの知の創出の仕組みと位置づけた。情報供する手段です。

 拡張
  ポータルの進化として、情報共有の範囲を拡大させる。本社・店舗間での情報の循環を完結させ、スタッフの武器化を図る。
  メーカーと販売店の環境との共有化を図ると同時に、メッセージのスルー性を活かして、店舗の活性化を果たす。

 企画
  販売店ヒアリングの要望であった、スタッフのコラボ環境とデータの外付けを企画する。それにあったパートナーを選ぶ。
  メーカーのサーバー群の見える化とメッセージの循環を行う。お客様とのコミュニケーションでサファイア循環を達成。

 開発
  ポータル要件は、現行機能が保証される。現行での悪さを直すとともに、先行き・全体を見た拡張への負荷も考慮する。
  構築はオンサイトで機能を確認しながら、作る。展開では、スタッフに使ってもらい、経営者に効果をアピールする。

文書化 8.6 活用シーン

 既存システム
  基幹系・情報系システムに確実なメンテナンスを保証させる。EUCで抜き出して、販売店の利用系を作り出す。
  メッセージはシステムを通さずに、ポータルで表示させ、ニーズを集約する。お客様ポータルのコミュニティ支援もねらう。

 メッセージ系
  サーバのメッセージはポータル個人認証で選択。スタッフとして、チャッターでのフローを含め、状況把握できる。
  SFDC提案書の述べられている「つながる:ひと、販売店、車両+社会」の実現。スタッフは300人のお客様の代表。

 サファイア
  売るから使うへ変わっていく時はサファイア循環に従う。スタッフが情報共有ツールとして、最大限に活用できる。
  コミュニティの意識と知識の集約のために、30万人のコラボレーション、メーカーからお客様を含んだライブラリ配置。

 ソーシャル
  スタッフのナレッジ化のために、ソーシャルウェブのポータルを使って、ゲーム化からコミュニティ化をはかる。
  ナレッジの基本は個人の分化です。生まれてきた理由から仕事を見直して、ミッションが社会の変化とつながっていく。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )