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中央銀行の本来の役割

『新・国富論』より 世界は越えてはいけない一線を越えつつある

中央銀行という名の火消し役が火種を呑みこむとはどういうことか。

要するに、それは中央銀行が不良債権を手元にため込むことである。財政破綻の危機に直面している国々の国債は、いつ債務不履行状態(デフォルト)に陥るかわからない。その意味で、これらの債権は間違いなく不良債権だ。そのようなものを、中央銀行たるものが手元に積み上げていいはずがない。そもそも、中央銀行というものの本源的役割とは、「通貨価値の番人」たることだ。自分が責任を持つ通貨の価値を安定的に維持する。それが彼らの役割だ。通貨番屋である。

番屋の屋台骨はしっかりしていなければならない。あの通貨番屋は、どうもタチの悪い証文ばかりため込んでいるらしい。どうかすると番屋が潰れるかもしれねぇ……。世間の皆さんにそのように見られ始めてしまえば、火消し役どころではない。通貨番屋は常に身綺麗で、財務健全でシャッキリしていなければいけないのである。たとえ政府や政治は信用出来なくても、中央銀行は信頼出来る。そのような存在であってこそ、通貨の番人はその名に値する。だからこそ、中央銀行家たちの中には、紳士然、貴公子然とする人、したがる人が多いのである。もっとも、なかには遠山の金さんよろしくバンカラな中央銀行家もいる。思えば、近頃はそういうタイプが少ない。最近の中央銀行業がどうも線が細く見えるのも、そのせいかもしれない。

それはともかく、中央銀行の経営と財務は常に盤石でなければならない。その辺が怪しくなって来たのでは、いくら通貨の番人を豪語しても、誰も信用しない。中央銀行が信用を失墜すれば、その中央銀行が番屋として責任を持つ通貨についても、信任は崩壊する。価値のつけようがない、誰もがそう思う通貨と化してしまうのである。民間経済が変調をきたした時、真っ先に出動する第一レスキュー隊が財政だとするならば、中央銀行は次に控える第ニレスキュー隊だ。そう簡単には出動しない。万策尽きたように見えた時、おもむろに登場して救いの手を差し伸べる。それが第ニレスキュー隊の位置づけだ。であればこそ、中央銀行を「最後の貸し手」と呼ぶのである。今のユーロ圏においては、この最後の貸し手が最前線に出て体を張っている姿になっている。こうなってしまえば、後がない。伝家の宝刀が抜き身のままで全貌を現してしまえば、有難みも迫力もすっかり薄れる。これでは、通貨の番人として明らかに失格だ。

本来ならば、「市場の失敗」を補うのは財政の役目だ。ところが、財政事情が火の車でそのゆとりがない。そのため、財政がやるべきことまで中央銀行に押し付けられる。あげくのはては、財政そのものを破綻から救うことまで、中央銀行の責務となってしまう。こんな構図は、何もユーロ圏だけに限った話ではない。星条旗が翻るアメリカ長屋も、日の丸を掲げたニッポン長屋も、お家の事情は大同小異だ。

ECBがいち早く、ルビコン河を渡りかけているのは事実だ。だが、ECBの抱える問題は決して対岸の火事ではない。アメリカの中央銀行、連邦準備制度理事会(FRB)は二〇一二年九月にいわゆるQE3(量的緩和第三弾の意)に踏み切った。長引く金融大緩和は金利が社会で果たしている機能をマヒさせる。金利は経済活動の体温計だ。経済が過熱していれば、それを反映して金利が上がる。経済が仮死状態に陥っていれば、それを反映して金利が下がる。そうでなければ困る。だが、金利が政策的に事実上ゼロに等しいところに抑え込まれていれば、体温計は体温計の役割を果たしえない。

しかも、カネが容易に国境を越えるグローバル時代においては、カネは低金利国から高収益を求めて、どんどん国外に流出してしまう。だから、いくら金融を緩和しても、カネは国内では回らない。これでは、金融緩和の意味がない。それでも、何もやらないわけにはいかない。財政が出動出来ないから、金融政策が頑張るしかない。しぼみきった経済活動に向けて中央銀行は量的緩和という名のホースから、大量に活性剤を送り出す。だが、いつの間にやら、このホースには先端部にバイパスが出来てしまっている。そこから、活性剤の多くの部分が国境を越えて海外に染み出してしまう。これでは効果激減である。だが、それを承知でFRBは今日も行く。

量的緩和の元祖、日本銀行(日銀)は上記の漏れるホースを実に長期にわたって使い続けてきた。その過程で、実に大量の国債を市場から買い込んできた。二〇一二年八月、日銀が保有する長期国債残高(八○兆九六九七億円)が、はじめて銀行券(紙幣)の発行残高を上回った。これではもう、事実上の国債買い取り専門機関だ。その上、ついには中小企業金融に携わる金融機関支援という形で、本来なら民間銀行が担うべき産業金融の領域にまで踏み込んでいる。通貨の番人が国債買い取りと産業金融まで背負い込むのは、いかにも荷が重すぎる。ゴールキーパーに、攻撃陣に加われといっているようなものである。

かくして、中央銀行たちは次々と無理難題に応じざるを得なくなっている。だが、その中で彼らがこれまでのところ決して譲らず、決して越えようとしない一線がある。それが、政府からの新発債の直接引き受けだ。要するに、政府から直接に国債を買うことである。この一線だけは、ユーロ長屋でもアメリカ長屋でも、二。ポン長屋でも、まだ踏み越えられていない。

それは当然だ。中央銀行が政府の言うなりに政府から国債を買うようになってしまえば、財政から規律というものが消えてなくなる。中央銀行は、事実上、政府のための紙幣発行機関と化してしまう。そんなことをやりながら、通貨価値の番人役を果たせるわけがない。明らかに利益相反だ。政府の強い要請があっても、財政節度と通貨価値を守らなければならない。だからこそ、中央銀行の独立性を確保することが重要なのである。その辺りをよく承知しているから、ECBも日銀もFRBも、既発国債の市場からの買い取りはやるが、政府からの新発債の引き受けには応じていない。言い換えれば、既発債の市場での買い取りに応じることで、新発債の引き受けを回避しようとしている。そう見ることも出来るだろう。一種のアリバイづくりだ。

もっとも、出たてホヤホヤの新発債を瞬時にして市場から買い取れば、これは新発債の直接引き受けに限りなく等しくなる。これでは、アリバイづくりというより体裁づくりあるいは実態隠しに過ぎないともいえるだろう。越えてはならない一線を巡る中央銀行たちの攻防は、実に微妙なところに入って来た。
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ドイツ社会主義統一党とミハイル・ゴルバチョフ

『ベルリンの壁』より

ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党の書記長に選ばれたとき、彼は五四歳で、ソヴィエトの実情からすれば相対的に若手だった。レオニート・ブレジネフの死去以来、東側の超大国は恒常的な危機状況にあった。一九八二年一一月、健康上の問題をかかえていた年長の秘密警察長官ユーリ・アンドロポフが、クレムリンの長となったが、しかし就任後わずか一五ヵ月で死去した。彼の後継者の選挙では、保守派が改革派との権力闘争にいま一度勝利したものの、コンスタンティン・チェルネンコもまた、一三ヶ月間しか君臨しえず、まもなく死亡した。

さて今度はゴルバチョフである。彼は自国を衰退から救いだし、新しい千年紀にむけて態勢を整えようとかたく決意していたが、その際のスピードを重視した。とくに経済改革の導入が必要であった。ゴルバチョフは、市場経済的要素の許容、中央計画経済の緩和、一定の範囲内での私有財産の設定をめざした。これらすべては経済効率の向上を目的としていた。この間髪をいれず導入された過程は、世界中に「ペレストロイカ」--改革--として知れわたった。そのうえ彼は、この経済的再編を民主主義の一定の増進と結びつけたが、むろん当面は「党の指導的役割」には触らなかった。ともかく社会と政治の経過が透明性を高めなければならない、これが「グラスノスチ」の内容であった。これには言論・出版の自由、権力機構の近代化、法治国家性の確立ならびに文化・メディア分野における自由化がふくまれた。ゴルバチョフは住民のまえに姿をあらわし、密告者や追従者の介在なしにソヴィエトの日常の現実を探ったのである。

このスタイルは対話の政治と名づけてよいが、それは対外政策の分野にも該当した。新構想をいだくこの男は、対外的には冷戦を終わらせること、少なくとも軍縮によってそれを押さえこむことをめざした。とてつもない軍事支出が必然的にソ連を破滅に導くからであった。そのほかアフガニスタンにおける戦争も終わりにしなければならなかった。ゴルバチョフはソ連を「ヨーロッパの家」に統合させ、より強く世界経済に組みこもうとした。ソヴィエト帝国が膨張しすぎ、東ヨーロッパヘの全面支配がこの世界強国にとって割に合わないものになっていたことは、すでに明白であった。

したがってミハイル・ゴルバチョフは改革のための改革を求めたのではない。そうではなく、ソ連が生きながらえるために改革が必要だったのである。東ヨーロッパは、改革されれば、西側との架け橋になりうるとみえた。それに彼は、自国経済の近代化には西側の存在をぜひとも必要とした。ゴルバチョフがとくに注目したのは、まずは経済的に強力なドイツ連邦共和国である。だが両者の関係は、さしあたりひどくギクシャクした。連邦首相ヘルムート・コールは、ほとんど二年間もソヴィエト側から無視されつづけた。ソヴィエト側は首相のあまりに無礼な態度に気を悪くしていたのである。一九八六年一〇月の『ニューズウィーク』誌のインタビューで、コールはモスクワの若きスター、ゴルバチョフをヒトラーの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスになぞらえた。コールはすぐにこれを悔いたが、ときすでに遅く、政治的対話はとだえた。ゴルバチョフはイギリス、アメリカ合衆国、イタリアとの接触強化につとめ、ドイツ人に思い知らせてやった。

ゴルバチョフの「新思考」はひとつの革命に匹敵した。ソヴィエト書記長は一九八六年一一月、同盟諸国をまえにして相互関係の再編について報告をおこない、そのとき、一九六八年のプラハの春以降、衛星諸国に対する干渉権をソ連側に留保していたブレジネフ・ドクトリンの終焉を告げた。東ドイツの同志たちのあいだに警鐘が鳴った。というのも、社会主義統一党の支配体制は赤軍の軍事的保障に立脚していたからである。

エーリヒ・ホーネカーと党の長老たち--政治局の平均年齢は六三歳であった--は、クレムリンの若い男を猪疑の目で眺めみた。彼らはひそかに彼の失脚の早からんことを願い、旧来の路線に固執した。東ブロック全体では、ペレストロイカとグラスノスチに対する反応は割れていた。東ヨーロッパの国家元首はすべて、第一にゴルバチョフよりも年をくい、第二にすでに権力の座にあって久しかった。ゴルバチョフと違って、彼らは過去の誤った発展の責任を、前任者の誰かに押しつけることができなかった。そのロシア人が指摘する「停滞の時代」に関する責任は彼らじしんにあった。それでもハンガリーとポーランドは、新政策にならおうと試みた。チェコスロヴァキアとブルガリアは、基本的になにもわかろうとしなかったけれども、少なくともしぶしぶ偉大な兄弟にしたがった。ドイツ民主共和国はまったく異なる。新政策をこき下ろした社会主義統一党のように強情であったのは、東側の全ブロック内でもルーマニアの旧弊なスターリン主義者ぐらいのものであった。
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言葉にする意味

未唯空間を意味あるものに

 未唯空間を意味あるものにします。存在を掛けて。

 電算部は何も考えていない。ああいう連中に対して、説明したくない。もっと、大きなところで説明したい。説明するというよりも、むしろ、真理を述べたい。薄っぺらいモノではダメです。

 考えていない相手に対面の時には、ディスカッションにもならない。ソクラテスではない。ストレスを感じるだけです。自分としての答えを出していきたい。今、表面的になっている部分を、もう一回、すべてを問い詰めます。

 15000冊の意味を未唯空間に出していきます。そこからの答えです。具体的にどうしたらいいかを、それぞれのところで答えを出していきます。ここでの具体的というのは,Oたちが言う、即物的なものではない。

 空間として、どんなものかを、思い切り、自分を表現します。生まれてきた理由そのものを表現します。完全に内なる世界をそこに表現します。外なる世界とどうなるかは、それぞれの世界との関係によります。いいとこどりをしていきます。

小さな循環と大きな循環

 小さな単位の循環と大きな単位の循環を一緒に考えます。小さな単位は外からのインパクトから影響を受けて、変わります。ローカルは変わります。その結果、グローバルに反映されて、それでローカルがどうなるのか。それらを言葉で表現します。

 元々、4つの項目があるから、それらを馴らしていきます。その小さな循環から新しい循環に含まれていきます。

言葉にする意味

 頭で描いたものを言葉で表現していきます。それが全体の文章として、エッセイになっていくかは賭けです。

 完全に言葉に位相を与えます。それが具体的な例です。言葉でどこまで表現できるのか。その意味では言葉を使って、それぞれを哲学化していきます。数学化していきます。

 本については、なぜ、そこに書かれているのか。それが存在する意味をいかに受けて、それをいかにして、高揚させていくのか。本は言葉で成り立つ世界です。

あさっては誕生日

 もうじき、誕生日です、ぎりぎりまで、頑張りましょう。といっても。今年一年です。来年はないです。自分で仕事でやるものはなくしていきたい。ムリです。時間がない。

ポータルのツールで意識を変える

 ポータルにしても、そんなに薄っぺらいモノではない。色々考えて、真理に近づけて、情報共有という概念まで持ち込んでいます。要求を受けて、具体的なところから回していきます。カタチにすることで、根源的なところを理解してもらいます。ここのレベルからすると、ツールから入るしかないかもしれない。

 その結果、どのような空間になるのか、それがどういう風に影響するのか、それが社会のチェーンとどうつながっていくのか。そして、全体が歴史を変えることとどうつなげていくのか。

 そういったことをすべて、言葉で表現しておきます。方程式ならできるけど、言葉と接続の曖昧さでは難しい。一次元の世界に落とすことになります。ピアゾ曲線になる。だからといって、ごまかしはしません。次元レベルでは工夫をします。

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