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国民はなぜ、高負担を受け入れるのか

『北欧モデル』より 北欧諸国の税・財政システム

先に説明した1991年の税制抜本改革により、所得税の最高税率や法人税率が大幅に引き下げられたとはいえ、所得税・地方所得税を合わせた最高税率は56%となお非常に高い。しかも、付加価値税率は、25%と欧州諸国のなかでも最も高い。にもかかわらず、スウェーデン国民は、一部の高所得者はともかく、高い負担を受け入れているようにみえる。これはなぜだろうか。その理由は、三つあると考えられる。

第一に、前述した通り、地方分権型の税・社会保障システムとなっているため、受益と負担の関係がみえやすいことがある。税率とサービス水準がリンクしているため、不満があれば、税率やサービス水準の見直しにつながり、国民(住民)にとって納得性の高いシステムとなっている。

第二は、スウェーデンの社会保障が高齢世代に偏ったものではなく、現役世代にも恩恵をもたらす仕組みとなっていることだ。子ども手当てや育児休業給付、失業給付など主として現役世代への給付は、従前賃金の8割という高い水準にある。そのほか、教育費は義務教育から大学・大学院まで無料で、職業訓練などいわゆる積極的労働市場政策にかけるコストも費用がかからない。さらに18歳未満の子どもの医療費も無料である。スウェーデンの社会保障は高齢者のためだけにあるのではなく、現役世代の生活保障機能をも果たしている。高い税を払っても現役世代に返ってくる部分も大きく、高い納得感があることが大きい。

第三は、この点は、わが国とは大きな違いであるが、政治と政府に対する国民の絶大なる信頼感があることだ。これは、1930年代以降、高福祉国家を確立する歴史的なプロセスのなかで、相互の信頼関係が時間をかけて醸成されてきたことによるものだ。国民は国家に貯蓄するという感覚で税を支払っているといわれる。

翻って、日本の場合、国民感情として消費税率の引き上げなど負担の増大は、なかなか国民的合意ができにくい。まずは、無駄の削減や徹底的な歳出の合理化が必要だという意見が根強い。筆者(湯元)もそうした感情はよく理解できる。ただし、わが国の場合、中央が税を集めて地方交付税交付金や補助金で地方に必要財源を配る仕組みとなっているので、全国画一的な行政サービス水準を維持できるといったメリットはある半面で、受益と負担の関係が見えづらいというデメリットが大きい。個別プロジェクトや個別省庁の無駄遣いの事例がマスコミに出るたびに、国民感情は逆撫でされる。

政治家も国家・国民のために活動していると口では言っても、不透明な政治資金の問題や地元への利益誘導などの話が明るみに出ると、もはや政治家に対する信頼感を持つことは難しい。そもそも、1990年初頭のバブル崩壊以降、日本では抜本改革と呼ぶにふさわしい改革は、2004年の年金改革ぐらいで(これも決して十分な改革とはいえないが)、ほとんど改革が進まなかった。政治や総理大臣のリーダーシップ不足が喧伝されるが、事はそれだけではあるまい。一票の格差問題も放置されるように、問題は選挙制度も含めた政治システムそのものと政治家の資質そのものだといえよう。

こう言ってしまうと身も蓋もないが、①地方分権をもっと進め、②社会保障の中身も現役世代により重点を置いたものに改革する、③抜本的な政治改革を行う、の三つができれば、将来を過度に悲観する必要はないと思う。筆者の乏しい経験からいえば、政治家も若手層を中心に能力・見識が高く、行動力・実行力を兼ね備えた人物は、与野党を問わず、少なからず存在する。そうした政治家が真の意味で政治主導の政策決定を行えば、日本が抱える問題の多くは解決可能だと確信する。

日本の政治を三流のままにしたくないならば、不退転の決意で改革を断行する意思と能力を持った政治家を選ぶことである。われわれ国民にできることは、諦めたり、悲観したり、冷めた気持ちで傍観するのではなく、自己の選択によって政治を変えることである。スウェーデンの投票率は、実に80%を超えており、これは国民一人ひとりが自分の国をよくしていこうという強い気持ちを持っていることの証だといえよう。
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地方分権型の税・社会保障システム

『北欧モデル』より 北欧諸国の税・財政システム

北欧諸国の所得課税のもうひとつの特徴は、社会保障の財源の大部分が地方所得税(日本の住民税に相当)で賄われていることである。逆に、国税の所得税の最高税率を見ると、フィンランドの30%が最も高く、次いでスウェーデン25%、ノルウェー24・55%、デンマーク18・67%と全般的にかなり低い水準にある。

他方で、住民税のほうは、個別自治体により税率が異なるのが大きな特徴だ。とりわけスウェーデン、デンマークでは、税率水準が20%~30%台と、所得税と比べて高いことが指摘できる。

その理由は何か。これらの国々では、地方分権が進んでおり、国によって多少の差異はあるものの、年金を除く医療・介護・福祉など社会保障の実施主体は地方自治体で、国と地方の役割分担が明確である。また、地方が社会保障を賄う自主財源を住民税というかたちで住民から徴収しているという点で共通している。このため、地方が行う社会保障の財源を地方が徴収していることから、国民(住民)にとっては、「受益と負担の関係」がきわめてわかりやすい制度だといえよう。住民はサービスの価格に不満があれは税率引き下げを求めることができるし、逆に、サービスの質に不満があれば、税率の引き上げを前提にサービス改善を要求できるからだ。

こうした方式は、日本と大きく異なる点であり、日本では国から地方へ交付金・補助金というかたちで財政補填がなされているため、税の使われ方に納得感が乏しいだけでなく、無駄なものに使われているという国民意識が強い。

このところ格差が拡大している日本では、公平な所得再配分を求める声が強まっているが、北欧諸国の高福祉・高負担型の税・財政システムは、高い所得再配分機能を有しており、公平な所得分配を実現している。この状況を所得格差を表すジニ係数でみると、デンマークとスウェーデンが0・23と世界一所得格差が小さく、ノルウェーが0・28となっており、わが国(0・32)やOECD平均(0・31)を大きく下回っている。

なお、税や社会保障給付による再分配前のジニ係数は、日本が0・44に対し、スウェーデン、ノルウェーが0・43、デンマーク0・42、フィンランド0・39など、わが国とさほど差がない。これらの国々の所得再配分政策がいかに有効に機能しているかを示すものといえよう。

こうしたシステムは、デンマーク、フィンランド、ノルウェーなど他の北欧諸国でもほぽ同様で、程度の差こそあれ、ほぽ共通のシステムになっている。

スウェーデンの地方自治体は、わが国の都道府県にあたる21のランスティングと市町村にあたる290のコミューンに分かれているが、これらの自治体は、地方所得税(住民税)という独自財源を持つと同時に、社会保障の執行権限を持っている。すなわち、ランスティングは、医療サービスの提供に責任を持つ一方、コミューンは、保育、教育、介護(高齢者ケア)、福祉に責任を持つ主体と位置づけられており、前者は歳入全体の79%、後者は68%が地方所得税によって財源調達している。

地方所得税率は、ランスティング税、コミューン税のそれぞれがあるが、両者合わせて、28・89%~34・9%(平均31%)と自治体によって異なっている。このことは、こうした社会保障サービスの水準自体も自治体によって異なっているということを意味している。全国画一的な社会保障サービスが必須と位置づけている日本とは考え方が大きく異なるといえよう。

先に指摘した通り、こうした仕組みは、国民(住民)にとって受益と負担の関係が見えやすいというメリットを持つ。住民はサービス水準に不満があれば、税率引き上げを了解しなければならず、税率が高いという不満があれば、サービスカットを容認しなければならないためである。

さらに、非常に驚かされるのは、地方所得税の課税ベースがきわめて広いことだ。課税対象は、サラリーマンの給与所得や自営業の所得のみならず、年金給付や失業保険、育児休業保険などにも課税され、しかも所得控除が基本的に基礎控除のみであることから、実に国民の96%が課税されている。

スウェーデンでは自立意識の強い国民性と社会的連帯という、一見矛盾する価値観が同時に重んじられている。自分のことは自分で、地域のことは地域で考え実行していくことが当然であり、親も高齢になって介護が必要になっても子どもには頼らない。このことは、子どもとの老後の同居率がわずか4%にすぎないことからも明らかである。しかも、社会保障の財源は、生活保護者を除くほとんどの地域住民が連帯して負担する。これもスウェーデン流の考え方である。

社会保障の財源としての消費税率引き上げに歴代政権が四苦八苦してきた日本では、重要政策を国政レベルで決定する力はすでに失われているのかもしれない。スウェーデンのように本気で地方分権を進めなければ、改革の先送りという忌まわしい歴史を繰り返すだけである。
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パートナーからチョコ

未唯の誕生日

 今日は未唯の27歳の誕生日です。何が欲しいのか聞きそびれていたので、電話で奥さんに聞いたら、iPadという話です。

 iPadミニぐらいを覚悟していたけど、未唯に聞いたら、ウォークマンだということです。iPodだということです。未唯とも本当に接触が少ないです。

30万人のコラボレーション

 コラボレーションの意味を明確にしていかないといけない。目標は販売店での知の創出です。社長は8万人のコラボレーションと言っていた。SFDCに聞かれたときに、販売店を含む30万人のコラボレーション、お客様との関係での3000万人とのコラボレーションを標榜していた。

 販売店システムのCEOならば、このレベルを理解して、実現しないと、ミッションを果たしているとは思えない。

 現行のポータルはお知らせとライブラリで、本部から店舗・スタッフの流れを中心に作った。スタッフでのディスカッションはなかった。スタッフは売るための仕事が中心だった。そこで、意見を述べるフェーズを考えていなかった。

 ディスカッションというのは、一つのテーマに対して、意見をいうことです。売ることよりも、使うこと、お客様とのマーケティングが変わってきた。

 スタッフには意見を言ってもいいという雰囲気を作り出すことです。一つの質問に対して、応えるだけでなく、自分の意見を述べて、まとめていく。それで自分の行動を決めていく。

 安心して、発信できるところを見つけるしかないでしょう。作るしかないでしょう。それがコミュニティです。組織もそういう風に変えていかないといけない。まず、最初に。

パートナーからチョコ

 昨日と一昨日もパートナーとは一言も口をきいていなかった。今日、朝、個別のチョコレートを持ってきてくれた。初めてです。本当にうれしい。これで生きていけます。

 今までは、どこからのグループについていたので、グループの一員への分配だったけど、離れて初めて、個別にもらいました。

 私に渡して、私が喜んでいたことをナンちゃんに話していたことを聞きました。あの辺が面白いところです。

 こういう幸せがあると、心配です。何か悪いことが起こる予感です。今日は、宝くじを買うべきだった。パートナーのチョコで十分です。

スタバのマニュアルなき世界

 スタバのIさんは休みです。店長のYさんからは「明日、誕生日ですね」と言われた。そして、必ず、来てくださいね。

 去年はIさんから、メッセージカードをもらいました。朝、誕生日だと言ったら、昼には、チームメンバーの寄せ書きがあった。それで、名前を覚えました。書いてあることとイメージ合わせを行いました。

 期待していいのか、悪いのか。期待しないで置きましょう。私には似合わないです。

未唯空間の文章化

 やっと、第8章の文章化を始めました。まあ、ゆっくり作りましょう。出来ていないところがあまりにも多い。それと同じことの繰り返しが多い。取りあえず、全部埋めましょう。参考文献は多くあります。十分、考えてきたところです。

 第8章はポータルの仕様書とするのではなく、次の市民社会への接続まで考えます。個人の分化とも関係付けます。これが根源的な部分です。そして、情報共有の目標であり、社会を変えるベースです。

 やれるかやれないかは、内なる世界だから、自由です。

キンドル2台体制

 キンドルは2台でも足りないです。かといって、3台になると、訳が分からなくなるから、とりあえず、テキストの縦画面モードとPDFの横モードで使い分けます。

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孤立と孤独の中に

未唯へ

 右目の上の方が光が時々、走ります。現象が複雑になっている。血糖値は下がっているはずだけど、身体は蓄積なんでしょうね。

 悪くなる前に、旅に出たい。ケニアは高そうだから、ヨーロッパ縦断の計画をしましょう。フィンランド→バルト三国→ハンガリー→ポーランド→ウクライナ→トルコと抜けるだけです。クックの時刻表には、どこまで載っているか見ましょう。

孤立と孤独の中に

 孤立と孤独感のなかに浸っています。つまり、私の原点です。

 単純作業で現実から逃れています。それがかなり続いています。単純作業から文章化に行かないといけないけど、そこに心がついてこない。

 この世界を創造的に楽しめるといい。それにアプローチしましょうか。誰も周りにいないし、この世界にだれもいない。

 心から何も生まれてこない。こういう時は、すべてのものが小さく見える。仕事というのは本当につまらないものです。

 あの狭い世界で、皆は、何を自己主張しているのか。裏が全て、見えます。というか、同時に聞こえてきます。

電算部が日和っている

 電算部はSFDCを使いこなす自信がない。それはそうでしょう。何を作るのかは電算部には分からない。要件の思いから作ったことがない。

 そんなことを考えるのは、はっきり言って、面倒です。なるべくしてなります。

 電算部は先を考えていないし、全体も見えていない。代わりに考えて示してあげます。それが第8章の文章化です。あまりにも具体的になるけど、それもミッションでしょう。

 販売店でのポータルを核に、お客様とつながり、社会ともつながる、そこまでのポイントを書きます。

スウェーデンでは国を信頼している

 スウェーデンでの社会保障のケースをもっと分析しましょう。なぜ、彼らはできるのか。特に、なぜ、国を信頼しているのか。

 ヨーロッパの小国では、国の意識が非常に強いです。守り抜いてきたから.日本の場合は、それがあまりにもない。3.11では国が信頼できないことが明確になった。

 国との信頼関係がない限り、社会保障制度は成り立たない。地域から信頼のあるコミュニティを作り出し、そこで社会保障を市民と一体になって考えるしかない。

 先週の本で、一番のインパクトはそれです。これをキッチリまとめて、未唯空間に入れ込みます。本を読んでいることが単純作業になります。意味がない。今は、単純作業から元へ戻すときです。

忘れ物が多くなっている

 明日の午後は年休です。新刊書を集中的にゲットします.本当は朝から休みたいけど、それは怠惰というものです。

 今日はケータイを忘れました。明日、SFDC関係者に連絡です。今日、ケータイを忘れたのも、一つの偶然です。

 スタバでカフェベロナを買ったのに、会社の席に着いた時に、飲み物がないことに気付いた。もらい忘れてきた。完全に内なる世界に居ます。

8章・9章・10章

 次は2050年までの社会変革の第10章に移ります。もう一つのファクターは9章であって、8章と9章でもって、10章を作り出します。それが2050年の姿です。ここを明確に文章化していきます。一つの予言の書です。9章で理論化します。LL=GGの世界です。

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