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9割が回復した通信インフラ

『ITで実現する震災・省電力BCP完全ガイド』より

「次期ネットにはバックアップ機能を入れ込みます」

事業者の緊急復旧策も“未曾有”

 震度6強の地震にとどまらず、10メートル超の津波、停電、原子力発電所からの放射線漏えいなど複合型の災害になった東日本大震災。ライフラインである通信サービスの復旧に、各事業者が奔走した。1ヵ月以上が経過した時点では、ほとんどのサービスが9割以上復旧している。未曾有の災害からの復旧には、これまでにない工夫や新技術が取り入れられた。

 東日本大震災は、国内の通信インフラに過去に例のない規模の被害をもたらした。「都市部の被災が中心だった阪神淡路大震災の時と違い、今回の震災では、広範なエリアで津波による壊滅的な被害を受けた」(NTT東日本の江部努社長)

 固定系では合計41ビルものNTT東日本の局舎が津波で全壊、浸水し、使えなくなった(表1)。携帯電話の基地局も、頑丈な鉄塔が沿岸部を中心に流木やがれきで押し流され、跡形もなくなった。復旧の段階に至っても、道路が損壊したまま数週間以上、人が立ち入れない地域があり、被災状況の把握すらままならなかった(写真1)。

 震災の影響は、津波や地震による被災を免れた地域の通信インフラにも及んだ。長期間の商用電源の停止が、2次的な障害を引き起こしたからだ。一般に移動通信基地局の非常用バッテリーの容量は数時間分しかない。停電が長引くことによってバッテリーが切れ、停波したエリアが広がった。固定系の自家発電装置を備える局舎でも燃料の補給が続かず、機能停止する事態に陥った。

 結果として、各社のサービス支障数が最大となったのは、震災から1日以上たった3月12日から13日にかけてだった(表2、表3)。移動体では、東北地区にある基地局の半数近く、5社合計で少なくとも7000基地局がサービスを中断した。固定系はアクセス回線の被害が最も大きく、加入電話、TSDN、光回線の合計で最大150万回線以上が使用できなくなった。

 これらのことから分かるように通信障害の主要な要因は三つに大別できる。通信設備への電源供給の喪失、局舎や基地局と中継網を結ぶ伝送路やエントランス回線の故障・切断、基地局装置や局舎の倒壊・水没--である。これらが複合的に組み合わさって大規模な障害となった。

震災から約1ヵ月でサービスは9割復旧

 震災直後から各事業者の動きは迅速だった。 NTTグループは被災直後から全体で約1万人もの社員を復旧作業に投入、KDDIは約750人、ソフトバンクグループもボランティアの社員を含むと延べ1229人が復旧に取り組んだ。その結果、4月中旬時点で固定と移動通信のインフラの双方で、最大停止サービス数に対して9割以上のサービスが回復している。

 今回の大震災では、被災者のライフラインが固定電話から携帯電話に移った、ということが際立っていた。 NTT持ち株会社の三浦惺社長は(行政機関の建物そのものが損壊している自治体など、まず携帯電話のインフラを復旧してほしいという声が多かった」と振り返る。そこでNTTドコモやKDDIは、停止した携帯電話の基地局を面でカバーするために、震災直後から移動基地局車や電源車を被災地に派遣。避難所などに仮設のエリアを構築し、応急のインフラ確保を急いだ。ソフトバンクモバイルは衛星回線とフェムトセルを組み合わせた臨時基地局を延べ129ヵ所設置するなど、こちらも応急のエリアを広げた。

 固定系では、商用電源の回復や、燃料をはじめとした物流の正常化につれて、本格的な復旧が進んだ。屋内待避指示が出ていた福島第一原発の30km圏内では、通信ビルの復旧にメドが立たなかったが、4月13日にNTT東日本、NTTドコモが復旧工事に入り、同地域で機能停止していた九つの通信局のうち、五っまでを復旧させた。これによって同地区の通信を確保。他社の中継回線も回復した。
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幸福の科学

『現代にっぽん新宗教百科』より

「新しい民主主義で新宗教がどう関わるか」

幸福の科学は、創立から二十五年に満たない、歴史の新しい新宗教団体である。

「総裁」と呼ばれる創設者の大川隆法(本名は中川隆)は、昭和三十一(一九五六)年に徳島県麻植郡川島町(現在の吉野川市)に生まれた。小学生時代から学力優秀で、県内屈指の進学校である県立城南高校を経て、東京大学法学部を卒業したエリートである。東大在学中に司法試験を受けるも不合格となり、大手総合商社のトーメン(現在の豊田通商)に入社した。

大学の卒業を控えたころ、大川は新宗教教団「GLA総合本部」を立ち上げた高橋信次の著作を読み、影響を受けた。また、学業への未練を絶ち難く、近い将来、独立して思想家として身を立てたいと思うようになる。

入社直前の昭和六十一(一九八二年三月、突然、大川は目に見えないものの気配を感じた。すると、鉛筆を持った手が自然に動き、勝手に「イイシラセ、イイシラセ」と書き始めた。日蓮の高弟の一人、日興の霊が書かせたものだとされる。

大川は著書『太陽の法』の中で、次のように記している。トーメンに入社したのち、大川は日蓮や高橋信次、イエスーキリスト、釈迦など多くの霊と交信するようになった。高橋の霊からは、大川は釈迦の再来であり、GLAを継がす、独自の道を歩んでほしいと告げられた。その中で、高橋は生前、自らが釈迦の再来だとはのめかしたが、それは間違いだと伝えたという。さらに、釈迦の霊からは、大川が「エルーカンターレ」という霊界の至高の存在であり、釈迦の生まれ変わりであると告げられた。こうした交信を通し、大川はやがて、新たに世界宗教を興して人々を導き、新文明への道を開く使命を与えられたと自覚するようになったー。

その後、霊界との交信を宣言集としてまとめ、父のペンネーム(善川三朗)を使って出版(大川は、宗教に深い関心を寄せていた父の影響を受けて、宗教の道に入ったとされる)。昭和六十一年にトーメンを退社し、東京都杉並区で「幸福の科学」を立ち上げ、宗教家として本格的な活動を始めた。

講演会、月刊誌刊行と精力的に動き、平成三(一九九一)年には早くも宗教法人の認証を受けた。教団によると、このころから入信者が急激に増加したとしている。

法人格を得た平成三年の七月には、大川の誕生を祝う「御誕生祭」を東京ドームで開催、テレビCMで自著を宣伝するなど、大規模な広報宣伝を展開し始めた。それにともなって、メディアからも注目されるようになっていく。

同年、講談社の写真週刊誌『フライデー』が教団を批判する記事を掲載し、それに対して、『遠い海からきたCOO』で直木賞を受賞した作家の景山民夫、女優の小川知子を中心とする信者が被害者の会を結成し、デモ行進をするなど激しい抗議活動を展開。幸福の科学と講談社のあいだで提訴合戦が繰り広げられた。また、同しころには、幸福の科学と同時期に台頭してきた「オウム真理教」の教祖・麻原彰晃と、テレビの討論番組で激論を交わしている。

同じ平成三年の年末、幸福の科学は信者数が五六〇万人を突破し、日本一の宗教団体になったと宣言。平成七年にはI〇〇〇万人に達したと発表している。ただし、教団が結成した「幸福実現党」の平成二十一(二〇〇九)年総選挙の結果などを踏まえると、そこまで達していないとされる。

このときの総選挙は、幸福の科学が政界進出を目論んで初めて候補者を立てた選挙だった。立候補者には、日本テレビの元ニュースキャスター・田中順子、昭和末期から平成にかけて一世を風扉したロックグループ、ザ・ブルーハーツ(現在は解散)のメンバー・河口純之助、『金田一少年の事件簿』で名高い漫画家のさとうふみやといった著名人をはじめ、三三七人もの候補者を擁立。しかし、結果は、一議席も獲得できすに惨敗した。翌年の参院選は、候補者を二〇人弱に絞って臨んだが、ふたたび議席を獲得できすに終わった。選挙直前に旧・改革クラブの大江康弘が幸福実現党に入党し、一議席を確保したものの、その後離党したため、幸福実現党の国会議員はゼロに戻っている。

また、二〇〇九年に東京都議会議員選挙、仙台市長選挙にも独自の候補者を擁立。が、いずれも落選した。

惨敗続きとはいえ、再三にわたって巨額の選挙資金を投入できるほど、幸福の科学が潤沢な資金を持っていることは確かだ。幸福の科学の主な資金源は、寄付と出版事業からの収入である。大川の著書は六〇〇冊を超えると言われ、教典でもある代表作『太陽の法』は累計四〇〇万部超のベストセラーになっている。それ以外でも、新刊が出るたび、大手書店のベストセラーランキングの上位に登場する。

幸福の科学は、こうした著書の発行を布教活動の中心に位置づけており、直接会って勧誘するケースはほとんどない。
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本当のギリシャ危機 Ιmagine a school without a library.

未唯へ

 寝ているけど、起きている、そんな世界が続いている。木金・土日の4連休もされで過ごします。

リアルタイム解析

 リアルタイム解析を目指します。だから、軽装です。未唯空間しか持っていません。それをクラウドのセミナーに行きます。その場で未唯空間の入れ込みます。本でも、その場で、その内容がどこに属するのかを判断します。必要なら、未唯空間のロジックを組替えます。

ジワジワ変えること

 数学も既存のものを認めながら、トポロジーを作ってきました。解析などの実用的なものは従来の座標系を使えばいい。だけど、どういう空間なのかを表して、将来を見えるようにするのはトポロジーしかできない。それを一気に作ったけど、浸透するのはジワジワです。

 革命と異なり、凸凹があるカタチで、方向だけを新しい民主主義に変えていく。そこにいる人たちが、自分で自分の運命を決められるようにするということです。

 今のように、マスメディアとか企業の利益というもので誘導されずに、自分たちで考えられるようにする。

本当のギリシャ危機

 世界の歴史の中もそうですけど、ギリシャのように停滞しているところがあります。

 以下は、アテネ在住の姪からのメールです。新聞の英文も添付されていた。

 「昨日のギリシアの新聞からです.ギリシアの図書館についてです.財政問題のために,公立の学校の図書館司書は,解雇される(た?)ようです.つまり,学校に図書館がなくなるということですね」

 「ギリシアには,図書館が46か所のみのようです.図書館は,本でいっぱいになることもなく,古い本しかおくことができない..と書いてあります」

 それに対して、以下のようにメールしました。

 「フィンランドのあって、ギリシャにないものは図書館とお金。図書館があって、生涯学習があって、企業ができ、お金ができる。その循環をたどるしか、ギリシャを救い、EUを救う道はない。」

 これでハメンリンアの図書館で確認することが増えました。「なぜ、こんなに多くの人が図書館に来るのですか」

 その意味では、ギリシャは自分たちでどうして行くのかを考えないといけない。フィンランドはあります。

 考える一番の出発点の学校図書館の司書を無くすというのは、本当の「ギリシャの危機」です。

未唯空間の全体シート

 未唯空間がA4裏表に全てが入っている。これはすごいことです。4つ折して、胸ポケットに入れて、携行しましょう。

 自分編は驚くほど、シンプルです。人と違うと言った時に、何があるかというと、生まれてきた理由です。「生まれてきた理由」は皆、考えているけど、表に出さない。仕事の時には邪魔になるという風潮です。

 だけど、仕事でも環境問題にしても、なぜ、それをやっているのか、それをしなければいけないのか、では必須です。それなしにやるから、組織のいいように使われるのです。主体が持てないのです。

 これは世の中で言うところの「独我論」なんでしょうね。自分が在って、世界がある。自分の中に世界がある。だから、先ず、自分です。当たり前です。これを認めることは、世界の中に自分の存在がないということです。あると同時にないという状態、存在と無です。

 そこから、どう生きていくのか。生きていく理由そのものが必要になってきます。そこでやったことは誰も認めないでしょう。自分ともう一人の自分以外にはいないです。

 もう一人の自分を認めない限り、発言はできません。もう一人への発信が未唯への手紙です。それをまとめたのが未唯空間です。環境問題だろうと、歴史観だろうと、全てがその中に入り込んでしまうのは確かです。自分の中にある世界だから。
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