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豊田市図書館から借りた21冊の本


今日は図書館は休館ではなく、祝日開館でした

 学生が多いと思ったら、今日は祝日です。単なる木金休みのつもりでいた。先程すれ違った人が持っていた本に図書館発行のチラシが入っているのを見かけた。それで気になって、図書館にやってきたら、ふつうに開館していました。土日よりも人は多い感じです。

 図書館は第4金曜日が閉館だから、新刊書は土曜日ということで計画していた。祝日開館のために、木曜日が閉館だということです。当然、今日の午後に、新刊書が出てきます。だから、家にバックを取りに行って、2時にスタンバイします。午後から、未唯空間を変更する日程は明日に順延です。

未唯が洗濯

 昨日は未唯が洗濯していました。パンツも。よく考えると、もう24歳です。一回だけ洗うように奥さんから言われたのでしょう。

電気駆動がよくない点

 つながるの資料で気になっているのは、電気駆動はあまりよくない。なくなるという心配から、実際の走れる距離の半分ぐらいしか走れない。だから、いざとなったら、自力でチャージできる、このやり方が本命だと言っています。どっちみち、自力でチャージできることは必要です。こんな心理的な心配は、自社で電気駆動になった時に、手のひらを返すのでしょう。

豊田市図書館から借りた21冊の本

 一応、2時10分にスタンバイしました。出てきたのは、2時40分です。休館日に次にしては少なすぎます。5階は棚二つしかない。とりあえず、8冊です。まあ、先週多かったから。第一次攻撃で17冊です。第2次攻撃まで含めて、21冊です。

 539.09『原発と権力』戦後から辿る支配者の系譜

 816『いますぐ書け、の文章法』

 913.6『碧海の王座8』中部太平洋海戦

 913.6『マリアナ機動戦5』覇者の戦艦1944

 913.6『南海燃ゆ3』マニラ湾の業火

 302.62『アミーゴからの贈り物』

 403.7『救える死』自死のない社会へ

 302.33『アイルランドを知るための70章』

 316.4『テロリズム 聖なる恐怖』

 543.8『太陽光発電の家づくり入門』小さな発電所が日本を救う 子どもたちが住みたい家 子供たちを住まわせたい家

 336.2『ゲームストーミング』会議、チーム。プロジェクトを成功へと導く87のゲーム

 304『反欲望の時代へ』大震災の惨禍を超えて

 701.1『感性を科学する』

 361.7『つながりのコミュニティ』人と地域が「生きる」かたち

 312.1『この国を壊す者へ』

 916『揺れる大地に立って』曽野綾子 東日本大震災の個人的記録

 135.57『ミシェル・フーコー』近代を裏から読む

 169.1『現代にっぽん新宗教百科』

 133.9『メタフィジカル・クラブ』米国100年の精神史

 689『地域資源を守っていかすエコツーリズム』人と自然の共生システム

 021.49『人文学と電子編集』 デジタル・アーカイヴの理論と実践
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社会モデルと社会インフラ

未唯へ

 カラオケ屋が若い女性で一杯です。9時55分です。オープンまで5分です。今日は何かお休みなのか。

 豊田市駅前のなじみのバリスタで久しぶりに合いました。3週間、実習に行っていたそうです。養護学校だそうです。先生になりたいと言っていました。皆、思いは色々あるんです。ここを通過点にして。

 そういえば、声の大きかったユカさんも修飾しました。その妹も。名古屋のバリスタにも実体を聞きましょう。多くの学生がいるはずです。4月になると、学生は居なくなります。聞いておかないといけない。聞いてもどうにもならないけど。

 気持ちいい風が吹いています。秋の果物を買いましょうか。今後、FM2が減っていきます。さびしいですね。

 NHKの10月分はマキャベリの君主論です。乗れないですね。本当の哲学者にしてほしい。もう少し、なんかいいのがないのかな。

 クルマというのは不便ですよね。信号だというと、止まるし、工事でも止まる。多分、インフラが中途半端なんです。時空間を超えればいいんです。

社会モデルと社会インフラ

 QAから考えると社会モデルと社会インフラとの関係。社会モデルをどう説明するか。社会モデルがないと、社会インフラのイメージが掴めない。4つの機能と4つの主役。その後にある数学モデルと歴史モデルがわかるのか。意識できるのか。そんなことを2時半から寝ながら、つぶやいていた。

 その結果、未唯空間社会編の第4章をかなり変えることにした。タラタラ述べずに、ネットワーク部分を決め付けます。その意味では社会システムの到達点です。4つのシーンを連結させます。スマートセンサーから販売店での挙動、市民グループ、コミュ二ティとの関係、あとは市民生活ですね。つまり、コミュニティと販売店の店舗との関係です。

アイデアを待つ

 今は本をなくして、パソコンをなくして、アイデアが出るのを待っています。夢では、ネットの部分を盛んに整理していました。12時間寝たので、少し、戻ってきました。

パートナーへ渡すこと

 一つの目的はパートナーが全体設計できるようにすることです。それが幸せにつながるかどうかはわかりません。

 つながるからの思いを超えないといけない。社会とつなげます。つなげる相手を作り出します。それを第5の仕事編でやるか、第8でやるか。

 私たちの役割は、販売店が何をしたがっているのかを入れ込むことと市民社会のための核を作って、そこと企業がタイアップできるようにすることです。それらすべてをパートナーに引き継ぎます。

未唯空間の組み換え

 8-1のところの順番を変えます。8.1で販売店要望、8.2でつながる、8.3はシステムの方向、8.2と8.3は順番を変えてもいい。問題なのは8.4の次期ネットです。これは次期ネットそのものではなく、これを受けてどのように社会に還元させていくかです。ここでは社会との関係をやらずに、5-2でやります。全体の流れとしては5-2の一部になります。次期ネットのための設計です。ただし、次期ネットでは社会に関してはさほど触れるだけです。社会がどう変わるかについては、5-2で行います。

 ベースとなるのは、環境問題も含めた、社会篇です。今の仕事をつなげて、ネットの設計を完全におこないます。つながるの分からないのは、あくまでもメーカーの立場だけになっていることです。販売店の思いも市民の行く先も入っていない。
 
 主役はあくまでも市民になります。それが今日の朝、夢で見ていたことの結論なのでしょう。

 5-2の社会との関係は財産です。よく、ここまでたどり着いたものです。3-2からドロップした、8-2はもっと具体的にします。やはり、8-2にすべて集約させます。概念は簡単なほうにします。

環境問題の深化

 8-2の環境部分は足りないです。考えて深掘りして、言葉を作り出していきます。すべて言葉で表現します。ただし、社会モデルは循環を表すために絵を使います。その意味では、環境問題を社会モデルの前に考えればいい。市民と全体の問題と企業が絡んでいるけど、その部分は置きます。

 第8章、第3勝と続けます。第3勝も本気モードにしていきます。できたら、環境塾で披露しましょう。
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強い市民社会のための良循環へ

『市民社会政策論』より 強い市民社会に向かって

「エクセレントNPO」の評価基準は直近の目標は、この基準をより多くの民間非営利組織に理解してもらい、自己評価をしてもらうことである。非営利組織の評価基準や手法に対する潜在的なニーズは行政府機関や助成機関、企業や金融機関の間でも高い。

しかし、政策評価、ODA評価、大学評価などに着手した筆者の経験によれば、自己評価なき第三者評価は幻想である。なぜならば、評価に必要な情報は日常業務を通じた継続的な情報に基づくからだ。第三者評価を行おうにも、情報がなければ分析はできない。事業目的に基づいて指標を設定しても、指標データを継続的に入手できなければ、進捗しているのか後退しているかもわからない。団体自身が日常業務の中で継続的に自己評価を行うことが望ましく、それが全ての評価の基本を作ることになる。

第三者や権威による改善提案によって、組織を見直す契機をつかむこともあるだろうが、そうした評価は心精的に「玖く」イメージが強くなる。他方で、自己評価は自己発見の契機をつかむことに主眼があり、改善提案も受け入れやすい。ただし、第三者評価と自己評価は対立するものではなく、目的に応じて使い分ける必要がある。自己評価をしている団体は、評価に対する知識や経験を積んでいるだけ、第三者評価の提言も受け入れやすい。

だが、「エクセレントNPO」の目的は、自己評価の普及とそれによる非営利セクターの質向上に終わらない。その最終目的は、市民と非営利セクターの良循環をつくることである。

NPOをはじめとした、日本の民間非営利セクターと市民の距離は相変わらず遠く、その関係は希薄である。特に、NPO法人制度は、ボランティア革命といわれた阪神・淡路大震災において、被災地の現場で、あるいはそれ以外の地域で、138万人もの人々が参加したボランティアが契機で制定された法制である。しかし、第2章で示したようにNPOは寄付に対してとても消極的で、ボランティアについても消極的になっている。この問題は寄付やボランティアが集まりにくいという単純な構造ではなかった。これまで示したように、寄付とボランティアをNPO自身が切り離すような傾向が、行政とNPOとの協働ブーム、そしてソーシャルビジネスや社会的企業ブームの中で強まっていった。そして、それを後押ししていたのは日本政府の政策である。

また、一般の人々がNPOをみる目は厳しく、「信用できない」「どこの何だかよくわからない」という意見が多い。NPO法人数の増加は著しく、それに伴って法人制度の他用やいかがわしい行為も目立ってきたからだ。

今、東日本大震災で、日本国中が何かの役に立ちたいという気持ちを熱くしている。インターネットの影響もあり、短期間で大規模な寄付も集まっている。しかし、その大半は「義援金」に向かい、日本赤十字社の配分委員会での審査を経て、ようやく見舞金として個々の被災者にわたることになる。しかし、寄付とは見舞金という意味のほかに、「自分たちに代わって、よりよく活動してくれるところに託す」意味がある。こうした寄付を「支援金」というが、ごく一部のNPOに寄付が集中しており、なかなか広がらない。筆者も支援金を集めに説明にまわったが、「NPOは信頼できない」という声が予想以上に多いことに今更ながら落胆している。阪神・淡路大震災が起こったのはNPO法が誕生する3年前の1995年である。そのときも義援金と支援金をめぐって論争がおきた。NPO法が制定された今も16年前からどの程度進歩があったのか、心もとないところがある。しかし、それはこの10年間のNPOセクターの寄付とボランティアを蔑視する傾向が招いたことでもある。

東日本大震災の打撃は大きく、今後、日本の財政、政治、経済を大きく揺るがすことになるだろう。既に、買い占めなど、都内でも問題が起こった。一方で、被災地に心を痛め、助け合いのために寄付やボランティアをしようとする人々の輪が広がり、他方で身の回りに起こった問題に過剰に反応し、結果的に全体の公共性を失っている。どちらも日本人の真実である。

このような人々の善意の受け皿になり、それを大きな力として具現化できるのは民間非営利組織である。また、そのような活動に参加することで、課題を共有し、当事者意識を持ちながら、共助の心や公共心を育むことができるのも非営利組織でのボランティアや寄付である。

市民と非営利セクターの良循環とはまさにこの市民性の復活である。つまり、良質な活動をする非営利組織に市民の支持と参加が集まる。非営利組織は、市民の支持と参加を求めてより良質な活動を実現すべく切磋琢磨する。適度な協力関係と切磋琢磨する関係が共存しながら、質の向上を求める循環が非営利セクターに生まれ、こうした循環のプロセスにより多くの市民が参加することで、再び、非営利セクターと市民との距離を縮めてゆくことである。

阪神・淡路大震災を契機に生まれたNPOは、東日本大震災によって、その真価が問われている。その際の鍵は、まさに市民とNPOの良循環である。
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「エクセレントNPO」3つの基本条件

『市民社会政策論』より 「エクセレントNPO」とは何か

①市民性

 市民性とは、非営利組織の活動が広く市民に開かれ、参加の機会が提供されていること、さらに活動に参加することにより、参加者一人ひとりが市民としての意識を高め、成長できる場が提供されていることを意味する。

 市民性の評価の視点は「参加と成長」である。この考え方はP・F・ドラッカーの非営利組織に対する考えを基本にしている。ドラッカー‘は、高度にシステム化された経済・社会システムを包含する知識社会には、人々の拠り所としての社会参加とそれを提供する非営利組織の「市民性創造」の役割が重要になると指摘している。

 彼のいう知識社会とは、人々は自らが身につけた知識をベー‘スに働く人々が大半となる社会である。このような人々が忠誠心を感じるのは組織ではなく、自身の知識である。したがって、自らの知識を生かす場があれば積極的に転職するが、このような流動する知識ワーカーの拠り所を提供するのは、もはや企業ではなく、非営利組織である。現代の社会は高度にシステム化され、政策決定過程にかかわることのできるのはごく限られた人でしかない。しかし、非営利組織のボランティアとしてならば、自らも課題解決に貢献することができると実感できると述べている。

 したがって、非営利組織にとって、市民に対して広く「参加」の機会を提供することは不可欠な役割であり、そこに参加する一人ひとりが市民として「成長」してゆくことが重要である。こうした自覚を持つことによって、非営利組織は、社会的にきわめて重要な「市民性創造」の役割を果たすと考えた。

②社会変革性

 社会変革性は、それを測定するための絶対的な基準や指標が存在しないために明確に定義することは難しい。しかし、ここでは、コーテン言凛)のNGOの成長発展論などを参考に、社会変革性を次のように定義した。社会的な課題対して、その原因を視野に入れた解決策を提案し、実行することによって、その効果が広く社会に普及してゆき、その結果、人々の生活の質や行動様式が大きく変化してゆく。

 また、変革というからには、広く対象者や対象地域に効果や影響を及ぼすような活動が求められる。その規模や広がりに関する明確な定義はないが、一般に国単位や国境を超えた影響が想定されることが多い。こうした広範囲な社会的影響をもたらすためには、既存の慣習や制度など社会的なシステムの改変が求められることが多い。そのため社会的なサービスの提供に加え、制度や政策の改変を求めた提言活動、すなわちアドポカシー活動を行うことも重要になる。ただし、非営利組織がアドボカシーを行うということは、行政府機関に対して提言を行うだけでなく、広く多くの市民から支持されることが重要で、そのためには市民の理解を求め働きかけることも重要である。こうしたアドボカシーは「社会正義のアドボカシー」(Cohen 2呂ごと呼ばれるが、選挙によって選ばれない民間非営利組織が行う提言活動にとって、その正統性の拠り所となるのは市民の支持だからである。

 社会変革性の評価の視点は「課題解決」である。非営利組織の使命は活動を通じて社会的な課題を解決することであるが、社会変革性を念頭におくならば、社会システムをも視野に入れて課題解決に取り組み、その解決方法や効果が広く普及してゆくことが求められる。

 したがって、中長期の視点から課題解決を捉え目標を設定し、その目標達成に向けて、課題認識から解決方法の模索に至る一連の工程を活動計画としてデザインし、なおかつこの活動のプロセスを進化・発展させる必要があると考えた。

③組織安定性

 組織安定性とは、組織の使命、目的を達成するため一定の持続性をもって活動できることである。だが、同時に、現存の活動内容、方法に安住することなく、活動の対象や社会環境の変化を見据えて、不断の見直しをし、創意工夫力や課題の発見力をもって、活動や組織を刷新することを指している。

 組織安定性の評価の視点は「持続発展」である。非営利組織が取り組む課題は、その解決が困難で、時間を要するものが多く、したがって中長期の視点から取り組む必要がある。また、市民からの支持や参加を得るためには社会的信頼性が求められる。よって、一定の組織的安定性が必要となる。

 だが、組織の存続自体を目的とすることは適当でない。ドラッカーは、は非営利組織がその存続を自己目的とすることに警鐘をならし、使命を終えたら解散すべきであると述べている。存続自体を自己目的とした組織は資源(人材、資金)の無駄になるだけでなく、社会的に悪影響をもたらす可能性があることを理由として挙げている。

 したがって、組織の安定性とは、組織の永続を意味しているのではなく、目的の達成までの持続性を意味している。

 また、社会変革性の項で説明したように、対象者や社会環境の変化に伴い課題認識は進化してゆくので、活動や組織運営方法もこうした進化にあわせて修正してゆく必要がある。つまり、常に前進しながら一定の安定性を維持するという意味で「持続発展性」を評価の視点とした。

 東日本大震災に直面した現在、人々が求めているのは、まさに市民参加の受け皿としての非営利組織なのである。この期待に応えることができなければ、旧来型法人と同じ批判をNPO法人も受けることになるだろう。「3・H以降」日本社会にとって大きな転機を迎えている。そこで求められているのは新しい市民社会組織の器なのかもしれない。だが、それは市民性と課題解決という民間非営利組織の原理・原則そのものである。そしてそれは「エクセレントNPO」の精神でもある。
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自動車の普及と飽和状態の地球

『風が変えた世界史』より 肥大化する化石燃料社会

二〇世紀は「自動車の世紀」とされる。アイルランド移民の子孫ヘンリー・フォードは、アメリカの不便さを克服するために機械仕立ての安価な馬をつくろうと考え、一九〇八年にベルトコンベアー方式による自動車の大量生産に乗り出した。フォードは、一九二〇年から二七年の間に四気筒、二〇馬力のT型フォードを一五〇〇万台製造、販売して、自動車文明を開花させた。自動車は、車体と燃料の石油が安価だったこともあって飛躍的に増加し、現在は数億台の自動車が地球上を走り回っている。人類はパワフルになり、地球は一挙に狭くなった。農業面でも化石燃料を使った人造肥料の利用で、人口扶養力が飛躍的に高まった。二〇世紀の人口増加には、目を見張るものがある。

人類のエネルギー消費総量(石油換算)は、一八六〇年には約一億トン、T几一〇年には約一〇億トン、二〇〇〇年には約一〇〇億トンというように一〇〇倍に増加した。地球規模で人工的な大システムと大ネットワークを動かすために、膨大な量の化石燃料(過去の太陽エネルギー)の燃焼が必要になったのである。自然エネルギーに匹敵するような人工エネルギーを生み出すには、想像を絶するような化石燃料の燃焼が必要になる。原子カエネルギーを利用しても、人類社会は核のコントロールという極めて困難な負荷を負わされることになる。一九世紀から二〇世紀にかけてエネルギー消費総量は激増し、限界点に迫っている。

この間に、人口も凄まじい勢いで増加した。人類出現からカエサルが活躍した時代までに歴史に足跡を残した人類の総数は約二億五〇〇〇万人だったと言われる。コロンブスが活躍した「大航海時代」になっても世界人口は約五億人に過ぎず、産業革命の始まる時期でも約一〇億人である。第二次世界大戦が終わった時点で世界人口は二〇億人をやや越えるに至ったが、二〇世紀後半になると急激に増加し今や七〇億人に迫ろうとしている。

二〇世紀後半以降の人口激増を支えたのが安価な石油だった。石炭の二倍の熱効率をもつ石油の過剰燃焼が経済の飛躍的成長と、人口の激増をもたらしたのである。一九世紀中頃から二〇世紀末にかけて、個人当たりのエネルギー消費量は二八倍に増加している。

一九四五年レベルの未耕作地は現在の農地から一割を減じる程度であり、戦後農地がほとんど増えていないにもかかわらず、世界人口は約三倍に増加した。そうした人口の大幅な増加を支えたのが、人造肥料だった。二〇世紀後半、化石燃料を原料とする人造肥料の投下量は一〇倍以上に増えている。人口の著しい増加は、化石燃料を湯水のように農地に注ぐことで可能になったと言っても過言ではない。温室効果ガスを排出する化石燃料が、現在の膨大な世界人口を支えているのである。

発電、多様な生産活動、自動車・船・飛行機、化学肥料の製造のために莫大な石炭、石油が燃焼され、二〇世紀を通じて温室効果ガスが大気中に蓄積された。大気の組成が、「過去の太陽」を利用する人類の活発な活動により変化してしまったのである。

二一世紀末の二酸化炭素濃度は七〇〇ppmに達し、地上温度は摂氏一・五度から五・五度上昇し、海水面は○・一メートルから○・八メートル上昇する。気温の上昇は特にアジア大陸の高緯度地帯で顕著である。

過度の開発により温室効果ガスが蓄積されて微妙な大気のバランスが崩れてきており、限界状況で人口増加を続ける人類社会は新たな危機に直面している。

大気の温暖化は均一に進行するのではなく、赤道地帯より寒い両極地方の方が著しい。そのために極地圏の温暖化が進み、赤道を中心とする熱帯地方との温度差が縮まる。その結果風の吹き方、雨の降り方が不安定になり、従来の気候パターンが崩れ始めている。

温暖化が進むなかで中緯度高圧帯に吹きおろす乾燥した風が強まって南の地域の降水量の減少が著しくなり、恒常的な旱魅に襲われるようになった。砂漠化の進行によりサハラ砂漠の南縁部のサヘル、メキシコ、中米:刀リブ諸国、地中海沿岸、中東、パキスタンーインド、アメリカのミシシッピー川以西の大平原などの食料生産が悪化している。

例えば、一九八四年から八五年にかけて西の大西洋から東の紅海に至るサハラ砂漠の南縁部では頼みの夏の雨が降らず、史上最低の降雨しか得られなかった。深刻な乾燥が、マリ、予・‐リタニア、二ジェール、チャド、ブルキナーファソ、エチオピアなどの国々を襲い、川や湖沼は涸れ、畑は乾燥して砂塵が表土を吹き飛ばした。雨量が回復した八五年までに約二〇〇万人もの生命が奪われたとされる。ぎりぎりの限界条件の下で生活せざるを得ない人々の数が急増しており、乾燥化と温暖化は悲劇を増幅させている。新たな危機への対応が急がれている。建物の天井まで浮き上がらせる公開実験を行っている。彼の実験は教会により異端として告発され、中止のやむなきに至った。

一一月二一日になるとモンゴルフィエ兄弟は、実験用の熱気球にドーロジェとダルランド侯爵を乗せて空を飛ぶ実験を実施。ブワーニュの森から飛び立った気球は、ウールとアルコールを染み込ませたワラを燃やして気球の中の空気を暖め、パリの上空を二五分間でハキロ飛行した。そうしたことからフランス語では、「モンゴルフィエ」が熱気球を意味する普通名詞になっている。

しかし、同時期にジャック・シャルルが水素ガスを使ったガス気球をつくり、熱気球よりもガス気球の方が安定して飛行できることを示したことにより、ガス気球が熱気球を圧するようになった。人工的に熱した空気が上昇するのと同様の状況を作り出して人間が空を飛ぶ方法は、一八世紀に開発されたのである。
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八〇〇〇年前の地球温暖化

『風が変えた世界史』より 文明の誕生と古代の気候変動

農業が始まった八○○○年前から五〇〇〇年前にかけての時期は、「ヒプシサーマル」と呼ばれる温暖化の時期だった。ちなみにヒプシサーマルは、「気温最適期」の意味である。ヒプシサーマル期の気温は、現在よりも二度から三度も高く、極地圏の氷河が解け出して海水面は現在よりも約五メートルも高くなった。

日本列島では温暖化が進んだ六〇〇〇年前から五〇〇〇年前の海水面の上昇期は「縄文海進」と呼ばれる。関東平野、濃尾平野などの日本列島の沖積平野の大部分が、海面下に沈んだのである。その後三〇〇〇年前から二〇〇〇年前にかけて、地球は再度寒冷期に入った。弥生時代は、地球の寒冷化か始まった時期にあたる。

ヒプシサーマル期には、現在とは異なり乾燥の厳しい地域が、今よりも北にずれていた。例えばアフリカのサハラ地方では、赤道西風の影響で奥深い地域にまで雨が降ったことにより緑の草原が広がっていた。サハラ砂漠南縁部のサヘルに位置し、湖面が急速に縮小して二一世紀には消滅するのではないかと見なされているチャド湖の水位も高く、現在のカスピ海に匹敵するような大湖だったとされる。

草原に覆われた時期のサハラの状態は、アルジェリアのタッシリーナジェール(トゥアレグ語で「水流の多い場所」の意味)の岩壁画遺跡により明らかになる。壁画には草原での動物の狩り、ウシの牧畜などの様子が描かれている。

ヒプシサーマル期が終わると、地球規模の大気循環に変化が生じた。上昇気流の勢いが弱くなって、乾いた大気の下降地域が南にずれたのである。乾燥地域の移動は移住の波を引き起こし、砂漠となった地域では牧畜民など多くの人々が大河流域に逃げ込んだ。そのために人口が増加し、新たな解決策が求められることになった。潅漑インフラの建設による畑の拡大である。気候変動による大河流域の人口の集中が新たな農地を求めたのである。

安田喜憲氏は、ヒプシサーマル期の終焉と寒冷化という気候変動を「北緯三五度の逆転」として重視している。氏の『気候変動の文明史』は、「高温期は五七〇〇年前に終わり、気候は急速に寒冷化する。この気候の寒冷化によって、北緯三五度以南の北半球の温帯-亜熱帯の地方は、気候の乾燥化か進行した。この気候の乾燥化によって、大河のほとりに人々が水を求めて集中した。-都市文明の誕生も、農耕民と牧畜民の異文化の交流、融合の結果生まれた」と述べている。

牧畜民の文化と農耕民の文化の融合により古代文明が誕生したと説く氏は、古代エジプトのピラミッドの建造も、乾燥化により大河のほとりに集まった余剰労働力を消化するために始められたとする興味深い仮説を提示している。エジプトでピラミッド建設が飛躍をみせたのが第三王朝の第二代ジェセル王の時代で、高さ六〇メートル、八五万トンの石材を積み上げた階段ピラミッドが建造されている。

和辻哲郎は、名著『風土』で「乾燥の生活は「渇き」である。すなわち水を求むる生活である。外なる自然は死の脅威をもって人に迫るのみであり、ただ待つものに水の恵みを与えるということはない」と述べ、「沙漠的人間」の特質として、①自然との関係が対抗的・戦闘的になる、②)自然との戦いにおいて団結し共同で立ち向かう、の二点をあげている。

乾燥と戦う人々が自然を改造して潅漑システムを建設できたのは、「沙漠的人間」の①、②の特質に負うところが大であったとも考えられる。

水路を造り、湿地を干拓し、堤防を築いて洪水を防止する作業は大自然との厳しい闘いであり、従来の技術、組織では取り組めなかった。新たな労働集団の形成が必要になったのである。

潅漑インフラを作るには多くの集落を取りまとめ、多数の人員を動員しなければならず、カリスマ性のある指導者の登場と「集団を統御する技術者」群の出現が必要だった。集団を統御する技術に優れているのは日常的に家畜の群れを統御する遊牧民だったが、やがて官僚という組織能力を持つ専門集団も出現した。官僚にとって文字能力は欠かせない技術になった。多くの集落を統御し動員するために働く、王、神官、官僚などが住む集落がやがて都市に成長する。官僚の数も次第に増加し、体系化された。ペルシア帝国(アケメネス朝)では膨大な数の官僚が、「王の食べるものを食べる者」と呼ばれた。
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