昨日からの続きで予土線ですが、昭和49(1974)年3月1日に宇和島線と呼ばれていた江川崎終点から土讃線の若井間が全通開業して、予土線と改称されたのです。
私か初めて乗車したのは、この開業すぐのたぶん昭和50年春だったと思いますので、40年以上ブランクがあったのです。
↑予土線は、ずっと四万十川に沿って走っていました。
もう5月も近いということで、四万十川を挟んだ対岸から対岸へロ-プを吊るして「こいのぼり」が泳いでいました。
↑4月29日 予土線 江川崎駅付近にて
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ほどなく江川崎駅に到着しました。予土線の中では一番大きな駅です。
↑4月29日 予土線 江川崎駅にて
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となりの駅ははけ゛(笑)半家と書きます漢字では。
↑ホテル星羅四万十
16時10分に江川崎駅へ到着して、↑このホテル星羅四万十に投宿しました。
私か初めて乗車したのは、この開業すぐのたぶん昭和50年春だったと思いますので、40年以上ブランクがあったのです。
↑予土線は、ずっと四万十川に沿って走っていました。
もう5月も近いということで、四万十川を挟んだ対岸から対岸へロ-プを吊るして「こいのぼり」が泳いでいました。
↑4月29日 予土線 江川崎駅付近にて
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ほどなく江川崎駅に到着しました。予土線の中では一番大きな駅です。
↑4月29日 予土線 江川崎駅にて
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となりの駅ははけ゛(笑)半家と書きます漢字では。
↑ホテル星羅四万十
16時10分に江川崎駅へ到着して、↑このホテル星羅四万十に投宿しました。