3月23日(土)、北大阪急行電鉄の千里中央駅からふた駅・箕面萱野駅へ延長されましたけど、さっそく3月24日(日)、延伸区間を乗りに行ってきました。大阪メトロ御堂筋線梅田駅から
乗りました。⇑車内のドア上にある電光掲示です。「大阪がもっと広がる、近くなる」です。
30分ぐらいで、⇓終点箕面萱野駅に到着しました。
開業2日目でしたので、やはり大混雑でした。⇓箕面萱野駅の外観です。
新しい街が出来ていて、北大阪の一大ターミナルの様相でした。
3月23日(土)、北大阪急行電鉄の千里中央駅からふた駅・箕面萱野駅へ延長されましたけど、さっそく3月24日(日)、延伸区間を乗りに行ってきました。大阪メトロ御堂筋線梅田駅から
乗りました。⇑車内のドア上にある電光掲示です。「大阪がもっと広がる、近くなる」です。
30分ぐらいで、⇓終点箕面萱野駅に到着しました。
開業2日目でしたので、やはり大混雑でした。⇓箕面萱野駅の外観です。
新しい街が出来ていて、北大阪の一大ターミナルの様相でした。
3月17日(日)も神戸ワールド記念ホール⇓で開催された神戸ストークス対新潟アルビレックス戦GAME2を観に行ってきました。現在、神戸ストークスの本拠地として新アリーナが新港埠頭に
建設中ですけど、完成するまでは⇑ココ神戸ワールド記念ホールでの開催が続きますね。
対戦相手の新潟アルビレックスBBは、関連団体として「サッカ-」のアルビレックス新潟や、
「野球」のオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブと「サッカ-」「野球」、「バスケットボール」の各チームを所有するプロスポ-ツ団体です。14時試合開始でした。
ストークスのティップオフは、いつもどうり#15トレイ・ポ-タ-選手でしたけど審判の影で、きちんと見えませんね(笑)。試合開始から#22マックス・ヒサタケ選手の
パワ-が炸裂、次々とゴールを決めました。ヒサタケ選手につづけと
⇑#13道原紀晃キャプテンや、⇓#12川島瀬奈選手のショットも決まりました。
ゴ-ル下だけでは、なくて⇓#30金田龍弥選手のスリ-ポイントも決まりました。
前半戦を終了して⇓47対32と神戸ストークスが15点リードでした。
後半戦に入っても攻撃の手は緩まず、#13道原紀晃キャプテンや
⇓#30金田龍弥選手、通称カネゴンのミドルショットも決まりました。
日本人選手だけじやなくて、負けじと#24ジョ-ダン・キャロライン選手も
⇑ミドルショットを決めた後も、⇓ゴール下へも切込みました。
選手全員が活躍して、最後は⇓83対69で快勝でした。
試合開始後10分、⇑第2クォータ-からはずっとリードを保って快勝でしね。
MEPに選ばれた⇑#10渡邊翔太選手です。彼は母校の高校・大学の後輩で頼もしいです。
選手退場ですけど、みんなの笑顔がいいですね。やり切った感が満載でした。
またバスケットボール観戦記事に戻ります。3月16日(土)神戸ストークス対新潟アルビレックス戦を
神戸ワールド記念ホールで観戦してきました。
試合開始のティップオフは、#15トレイ・ポ-タ-選手でした。
ティップオフでボール取るの上手で、たいていストークスの攻撃からゲームスタートです。
試合序盤は⇑#10渡邊翔太選手や、⇓#24ジョ-ダン・キャロライン選手の
果敢なアタックで、ストークスのゴールネットを揺らしました。
ただ新潟アルビレックスも負けておらず、喰い下がり前半を終えて
⇑40対38 わずか2点のリードでした。 後半に入り
⇑ポイントガードのベテラン#3松崎賢人選手や⇓#2カロンジ磯山パトリック選手が
活躍して、追いすがる新潟アルビレックスの反撃を阻止しました。
⇑若手の#30金田龍弥選手のミドルショットも良く決まりました。
⇑キャプテン#13道原紀晃選手も負け時と、ショットを決めて追従を許しませんでした。
けっきょく、終わってみれば86対74で、ストークスの快勝でした。
MVPは、1月27日にチームに合流した⇙#27マックス・ヒサタケ選手でした。
前半戦は接戦でしたけど⇓後半は、ずっとリードを保って勝てました。
これで、アゥェ-のアルティ-リ千葉戦に続いて連勝!これで 21勝27敗となんとか
プレイオフ圏内に踏みとどまることができました。
3月14日(木)、長野電鉄で撮影した後は、JR長野駅16時00分発「特急しなの20号」で松本駅へ
向かいました。長野からのJR篠ノ井線は久しぶりの乗車でした。JR姨捨駅付近で、
信濃平野が見渡せる⇑風光明媚なところも通過しました。その後聖高原を通過して
1976年4月に篠ノ井線麻績駅が⇑聖高原駅に改称されたのですね。
JR松本駅には、16時53分に到着、松本空港には17時30分頃に到着して
松本空港18時15発 のFDA237便に搭乗。⇓松本空港にて
⇑信州松本空港の離陸シーンです。神戸空港には19時頃に到着で、帰宅しました。
長野電鉄夜間瀬駅では、後続の⇓普通電車に乗って、終点湯田中駅を目指しました。
⇑この普通電車に乗って、終点の⇓湯田中駅へは12時57分に到着しました。
湯田中駅でも、折返し電車の出発時刻まで少し⇓駅前を散策しただけでした。
温泉町の佇まいです。⇑湯田中温泉、ゆっくりと泊まりに来たいですね。
また湯田中駅から⇑折返しの信州中野行き13時11分発に乗り込みました。
3月14日(木)、長野電鉄夜間瀬駅で、暫し撮影しました。手前の信濃竹原駅では
以前に降りたこと、あったのですけど⇑夜間瀬駅では初めてでした。
長野行きの普通電車です。⇖まだ紅葉が残る木々ですが、かなり積雪もありました。
⇑元小田急ロマンスカ-の1000形特急「ゆけむり」湯田中行きが通過しました。
⇑特急「ゆけむり」湯田中行きが、⇑夜間瀬駅を通過したところ後追いです。
長野電鉄つづきます。
3月14日(木)、長野電鉄長野駅10時26分発信州中野行きに乗車した話題です。
車庫のある⇓須坂駅を過ぎ、途中延徳駅で、⇓特急「スノ-モンキ-」と交換しました。
もとJR東日本253系で、成田空港へのアクセス特急「成田エクスプレス」の専用車両でした。
1991年3月19日に運用開始でしたから、もう30年以上経過しているのですね。
またココから普通電車に乗って湯田中を目指しました。
その後、信濃竹原駅を過ぎて、信濃竹原⇔夜間瀬駅間の⇙「夜間瀬の鉄橋」も通過したのですけど、
最初にこの「夜間瀬の鉄橋」に来た2007年11月23日の思い出が強いです。
⇑2007年当時の画像です。今回も行きたかったのですけど、夜間瀬駅で降りてしまったので、
⇑この撮影地から遠いので、あきらめました。代わりに⇙コレ
撮れましたけど(笑)。夜間瀬駅へ進入してくる1000系「ゆけむり」です。
元小田急10000形「HiSE」です。2006年から長野電鉄で運転開始されましたね。
長野電鉄にやってきて、18年になるのですけど、小田急「ロマンスカ-」時代の雰囲気は健在です。
3月13日(水)に信州松本で1泊して、翌日は長野方面へ行きました。
⇦宿泊した松本のアルピコプラザホテルです。
松本駅から徒歩3分と便利な立地でした。朝食付き宿泊プランでしたので、きっちりと朝食を摂って、
松本駅へ向かいました。
松本駅からは、⇑3月14日9時09分発の特急しなの1号で⇓長野駅を目指しました。
松本⇔長野往復に利用した切符⇑「信州往復きっぷ」1500円です。
JR長野駅に到着した乗ってきた⇓特急「しなの1号」です。
JR長野駅には、10時03分に到着。すぐ長野電鉄長野駅へ行きました。
長野電鉄長野駅は、地下駅です。すぐ信州中野行きに乗り込みました。
10時26分発の普通電車に乗り込みました。モト東急の8500系です。系列名は東急時代と同じまま、
外観も「ワンマン」の文字が目立つ以外は、ほとんど変わっていないですね。
3月13日(水)、アルピコ交通新島々駅まで乗った帰りは、車庫のある新村駅で途中下車しました。
ちょうど同駅でホームに降り立つと⇓新島々行きと交換でした。
ココ新村駅は、車庫のある駅で⇓電気機関車も停まっていました。
静態保存されていた⇑電気機関車ED30 1です。
この機関車は米国のボールドウィン社とウェスティングハウス社が製造し、
信濃鉄道(JR東日本大糸線の前身)で、貨物列車牽引機として活躍していました。
その後は、岳南鉄道⇒西武鉄道⇒1960年に松本電鉄(現アルピコ交通)に譲渡され
2005年廃車となった電気機関車です。
⇑新村駅の外にも出てみました。沿線一の主要駅ですけど、ひっそりとしていました。
⇑新村駅から20100形に、また乗り込んで松本へ戻りました。
新村駅では珍しく、こんな⇑記念乗車券も買って帰りました。
3月13日(水)、松本駅からアルピコ交通上高地線に乗って、新島々駅まで行ってきました。
⇑終点の新島々駅です。松本駅からは30分で到着しました。
構内の端の方に、休車中の東急電鉄5000系を改造した3000形が留置されていました。
新島々駅前には、⇑喫茶店や旅館など店舗もあったのですけど、この時期は休業中のようでした。
やっぱり夏場がシーズンなんでしょうね。この時期は、人の気配すら感じること、出来ませんでした。