鉄道好きなんですよね!いくつになっても・・

日本の鉄道全線は、2018年1月2日に100%乗車しています。他に西宮ストークス、広島カープの記事も。

奥大井湖上駅その2

2018-11-30 | 中部地方・民鉄
 接阻湖での俯瞰撮影の続きです。千頭発の下り列車が来ました。



11月10日大井川鉄道奥大井湖上⇔ひらんだ駅間にて
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 それにしても湖水の色が冴えないですね。台風豪雨湖底が掘り返されたのか真っ青にならないのが残念でした。



11月10日 大井川鉄道 奥大井湖上駅にて
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 奥大井湖上駅に停車しました。湖の上では、ないですけど周りに集落は、ありません。



11月10日大井川鉄道接阻峡温泉⇔奥大井湖上駅間にて
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 こちらは木々紅葉しているのがよく分かりますね。2本しか撮影できませんでしたけど日暮れ早いので帰路につくことにしました。

 この日の宿泊場所は大井川鉄道沿線川根温泉ホテルでした。



奥大井湖上駅にて

2018-11-29 | 中部地方・民鉄
 奥大井湖上駅で降りてレインボ-ブリ-ジ接阻湖を渡って南アルプスあぶとラインを見下せる場所まで来ました。上り階段がきつかったですけど10分程度湖面を見下せるところへ出れました。



11月10日大井川鉄道接阻峡温泉⇔奥大井湖上駅間にて
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 この接阻湖長島ダム大井川がせき止められて出来た人工湖です。の真ん中に南アルプスあぷとライン奥大井湖上駅があって、そこで乗り降りする人も見えました。


11月10日大井川鉄道接阻峡温泉⇔奥大井湖上駅間にて
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 この列車は我々が乗ってきた列車の内、後ろの客車3両接阻峡温泉駅で切離して先に千頭方面へ引き返してきた列車です。



11月10日大井川鉄道奥大井湖上⇔ひらんだ駅間にて
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 奥大井湖上駅にて暫し停車して千頭・金谷方面へ出発して行きました。あと1本撮影しましたけど明日につづく です(笑)。



アプト式鉄道へ

2018-11-28 | 中部地方・民鉄
 大井川鉄道千頭駅12時28分発の南アルプスあぷとラインの列車に乗込みました。本来の終点は井川駅なのですけど今年の台風豪雨で、今は閑蔵駅までです。



11月10日 大井川鉄道 アプトいちしろ駅にて
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 アプトいちしろ駅へ到着すると、後部にアプト区間専用の電気機関車が増結されました。

 アプト区間とは、通常の線路に加え、写真中央に見える3枚のラックレールというデコボコした歯形レールに、機関車についている坂道専用のラックホイールピニオンを噛み合わせながら走行する区間です。


11月10日大井川鉄道アプトいちしろ⇔長嶋ダム駅間にて
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 平成2(1990)年10月2日、アプトいちしろ⇔接岨峡温泉間を新線に変更して、アプトいちしろ⇔長島ダム間をアプト式・電化長島ダム駅、ひらんだ駅、奥大井湖上駅開業しました。


11月10日 長島ダム 長島駅付近にて
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 長島ダムです。大井川水系のダム建設のために作られた鉄道で90パーミルという日本一勾配区間があって見どころ一杯です。


11月10日 大井川鉄道 長島駅にて
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 長島駅に到着です。単線区間なので上り列車とスレ違いました。


11月10日 大井川鉄道 奥大井湖上駅にて
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 奥大井湖上駅に到着して乗ってきた列車を見送りました。

 両端を奥大井レインボーブリッジに挟まれた奥大井湖上駅は、この立地と駅を取り囲む絶景からも秘境駅とも称され、また、最近では恋に効く「奥大井恋錠駅」として、恋愛・結婚・子宝にまつわる静岡県のエンゼルパワースポットしても人気です。

 この後、レインボ-ブリッジを渡って、この奥大井湖上駅を見下すポイントへ行きました。



千頭駅にて、その2

2018-11-27 | 中部地方・民鉄
 大井川鉄道千頭駅の続きですけど、そうこうするうちに新金谷駅40分程度に発車したかわねじ13号が到着しました。

 こちらはC10形C10 8号機が牽いてきました。



11月10日 大井川鉄道 千頭駅にて
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 C10形C10 8号機は、 唯一のC10形式現存機で、かつ動態保存機です。平成6(1994)年4月24日に大井川鉄道入線し、整備を受け、平成9(1997)年10月14日に営業運転を開始しました。



11月10日 大井川鉄道 千頭駅にて
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 私達が乗ってきたかわねじ11号牽引してきたC11形190号機転車台で方向転換を済ませて今度は新金谷行きとして出発準備が整いました。

 この間1時間ほど千頭駅にいましたけど、電車到着・出発は、なくてSLだけの世界でした。観光用とはいえ未だに蒸気機関車が普通に観れるのは、いいなあ~と思いました。



千頭駅にて

2018-11-26 | 中部地方・民鉄
 かわねじ11号千頭駅に到着しました。ここからは南アルプスアプトラインに乗換えて、大井湖上駅へ行く予定でした。


11月10日 大井川鉄道 千頭駅にて
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 12時28分の発車まで1時間20分ぐらいありましたので、千頭駅構内撮影タイムでした。



11月10日 大井川鉄道 千頭駅にて
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 この転車台が出来たのは平成11(1999)年だそうで、前回訪問してSLに乗った平成3(1991)年5月にはまだなくて、その時はSL方向転換せずに後ろ向き金谷方面へ帰っていました。



11月10日 大井川鉄道 千頭駅にて
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 これから乗る南アルプスアプトラインディ-ゼル機関車客車です。こちらの方は前回訪問した平成3年5月(27年前)から変わっていないようでしたね。



久しぶりにSL乗車

2018-11-25 | 中部地方・民鉄
 大井川鉄道新金谷駅撮影した後は、10時00分発のSL急行かわねじ11号に乗りました。10時38分発のかわねじ13号11時52分発のかわねじ1号には、まだ空席がありました。


11月10日 大井川鉄道 新金谷駅にて
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 SLに乗込みました。



11月10日 大井川鉄道 新金谷駅にて
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 牽引機C11形C11227号と、車内の様子です。

 C11形C11227号は、昭和50(1975)年11月22日に大井川鉄道に入線し、整備を受けて昭和51(1976)年7月9日に営業運転を開始しました。

 日本での復活蒸気機関車第1号機で、平成26(2014)年夏には「きかんしゃトーマス」意匠を施して「きかんしゃトーマス号」として運転されました。


11月10日 大井川鉄道 金谷駅にて
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 乗車したかわねじ11号急行券です。ネットで予約して当日金谷駅で発券してもらいました。


11月10日 大井川鉄道 千頭駅にて
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 定刻11時13分終着千頭駅に到着しました。



新金谷駅にて

2018-11-24 | 中部地方・民鉄
 11月10日(土)朝9時前に、東海道本線金谷駅に隣接する大井川鉄道金谷駅へ我々母校鉄道研究会OB会有志5名が集合して、9時01分発の電車に乗込み一駅乗って新金谷駅へ来ました。

 新金谷駅大井川鉄道機関区があるので、そこに駐留している機関車客車を撮影しました。


11月10日 大井川鉄道 新金谷駅にて
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 最初は蒸気機関車C11形C11190号機です。

 C11形C11190号は過去には、お召し列車牽引していた蒸気機関車ですが、廃車後は熊本県内の個人の手によって保存されていました。平成13(2001)年6月24日に大井川鉄道に入線し、動態復元の上、平成15(2003)年7月19日に営業運転を開始しました。


11月10日 大井川鉄道 新金谷駅にて
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 C12形C12164号機です。

  昭和48(1973)年9月24日より千頭駅で展示されていたSLで、昭和62(1988)年に日本ナショナルトラストの所有となり、動態復元の上、同年7月25日に臨時SL急行「トラストトレイン」営業運転を開始しました。

 しかしその後、ATS取付費用の捻出ができず、平成17(2005)年5月からは休車扱いとなっていたものを平成28(2016)年9月に客車3両(スハフ43 2・3、オハニ36 7)とともに再度日本ナショナルトラスト寄託され、動態復元が可能となって現在に至っています。


11月10日 大井川鉄道 新金谷駅にて
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 西武鉄道E31形です。

 平成22(2010)年に西武鉄道から3両を購入しました。


11月10日 大井川鉄道 新金谷駅にて
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 E10形E101・102です。

 昭和24(1949)年に導入された小型デッキを持つ自重45t・軸配置B-B箱型電気機関車で、当時の私鉄としては大型のものです。

 外見は当時製造されていた国鉄EF58形EF15形と類似していて、同型には神戸電気鉄道ED2001形小田急デキ1040形近畿日本鉄道デ31形などが挙げられます。




11月10日 大井川鉄道 新金谷駅にて
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 スハ43・スハフ42を利用したオリジナルモデル黄色い客車44系スハフ43形です。

 車庫内見学は出来ませんでしたので、構外からの撮影でしたけど楽しめました。



大井川鉄道へ行ってきました !

2018-11-23 | 中部地方・民鉄
 11月10日(土)~11日(日)は、関西学院大学鉄道研究会OB会有志5名大井川鉄道撮影&乗車会へ行ってきました。


11月10日 大井川鉄道 金谷駅にて
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 集合大井川鉄道金谷駅9時でした。けっこう乗客混雑していました。


11月10日 JR東海道本線 金谷駅にて
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 ココ金谷駅までは新大阪駅6時08分ひかり504号浜松駅乗換えで来ました。


11月10日 大井川鉄道 新金谷駅にて
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 金谷駅9時01分の電車で一駅、新金谷駅へ到着しました。ココ車庫になっていて暫し撮影です。

 乗ってきた電車は南海電車21000系です。


11月10日 大井川鉄道 金谷駅にて
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 2日間大井川鉄道乗車できるフリ-切符を利用しました。ブログは1週間ぐらいココ大井川鉄道の話題がつづきます。



クモハ52形室内

2018-11-22 | 京阪神
 昨日のブログからの続きですが、クモハ52形撮影会室内の撮影に移りました。



11月9日 クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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 クモハ52形は、昭和32(1957)年4月に2両(5200452005)が、同年9月には3両(52001-52003)が北部の伊那松島機関区に転属しました。
 ここでは、クハ47形などと組んで普通列車に使用されましたが、同年10月からは飯田線を走破する快速列車が設定され、モハ52形はこれに使用されることとなって豊橋機関区に転属となりました。



11月9日 クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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 豊橋機関区では、窓周りをオレンジ色、幕板と腰板をダークブルーに塗り分けた快速専用色「静鉄色」)に変更されました。

 塗色については後に湘南色を経て最終的には横須賀色となりましたが、この時のモハ52形の塗り分けは第二次流電竣工時と同一とされました。



11月9日 クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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 本系列のうち戦災を免れた18両は、改造を繰り返されながらも昭和50年代まで現役で使用されました。

 最初に淘汰されたのは、横須賀線から京阪神地区に転出し、さらに山陽本線岡山地区宇野線で使用されたサハ58形6両で、除籍は昭和51(1976)年)度のことで、順次吹田工場解体されました。



11月9日 クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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 飯田線で使用されていたもののうち、豊橋機関区クモハ52形・サハ48形中部天竜支区、伊那松島機関区クハ47形については、昭和53(1978)年10月をもって全廃されましたが、それ以後も伊那松島機関区に配置のクモハ53007クモハ530082両は、旧形国電最末期の昭和58(1983)年8月まで使用されました。

 名車流電モハ52の歴史を振り返ってみたら長くなってしまいました。いづれにせよ吹田機関区で、このように大切に保存されているのは嬉しいです。



流電撮影会つづき

2018-11-21 | 京阪神
 流電についてつづきですけど、太平洋戦争戦時下戦後の混乱期も走り続けました。


11月9日 クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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 戦後すぐ鉄道輸送大混雑する状況で、乗務員扉のない流電は運転手の交代時が不評で運転台横のから乗込んだことも伝えられています。


11月9日 クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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 モハ52形は、戦時中に扉を増設する等の改造は行われませんでしたが、座席のロングシート化クロスシートの撤去が行われており、戦時中の酷使や戦後の乗客の急増、整備の不徹底によって荒廃した状態となっていました。


11月9日 クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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 しかしながら、戦後いち早く整備が行われ、昭和23(1948)年にはモハ52形を使用した高速度試験が行われた。昭和24(1949)年6月には京都~神戸間急行電車復活にともなって本系列が起用され、2編成が整備のうえこれに使用されました。



11月9日 クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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 昭和25(1950)年10月1日より阪和線で特別料金不要特急電車の運行が開始されることとなりました。これに伴い、モハ80系電車湘南電車)の新製配置で余剰となった本系列がこの特急電車運用に充当されることとなり、中間のサハ48形あるいはサロハ66形を1両抜いた3両編成に再編の上、80系新製配置が本格化した1950年9月より、阪和線を担当する鳳電車区への転属が実施されました。


11月9日 クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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 私が生まれた昭和28(1953)年頃になると、阪和線では乗客数の増加が激しくなり、阪和社形に扉を増設し3扉化を要する状況になっていました。

 国鉄本社では「流線形電車」という記念碑的な車両をどこに転用するかが話題となっており、そこで、2扉クロスシートという装備を活かせる長距離路線である飯田線に転用されることとなりました。

 明日の車内編つづきます。