会津は戦国時代に、葦名・伊達・蒲生・上杉・保科・松平と数多くの大名が治めた歴史があります。
また、幕末戊辰戦争では旧幕府派として最後まで抵抗したため、会津が激しい戦場となりました。
↑7月6日 会津若松市 鶴ヶ城駅にて
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難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月の末に明治元(1866)年9月23日、藩主の松平容保の降伏によって、ついに開城されました。
至徳元(1384)年葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となって以後、約500年後の明治7(1873)年に石垣だけを残して取り壊されてしまいました。
たくさんの方々の寄付により鶴ヶ城がよみがえったのは昭和40年9月のことです。実は、私が中学3年生の秋=昭和43(1968)年にもココ鶴ヶ城へは修学旅行で来ていたのです。45年前のことですけど、ちゃんと記憶はありました(笑)。
ただ、その時の記憶のお城は、もっと大きかったイメ-ジで、何かこの日再び見た鶴ヶ城は別物のような感じがしましたね。
鶴ヶ城が別物感の原因は、帰宅後調べて判りました。平成23年春には幕末時代の瓦(赤瓦)をまとった天守閣としてリニューアル公開されていたのです。
↑7月6日 鶴ヶ城天守閣から見た 飯盛山です。
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白虎隊が自刃した飯盛山も天守閣に登って見えました。ちょっと天気が思わしくなく雲がかかっては、いましたけどね。
会津若松・鶴ヶ城は、もっとブ-ムになっていて観光客も多いのかと思いましたけど、それほどでもなかったですね。テレビの視聴率と比例してよくないようでしたね。
私は、充分堪能しましたけどね。