みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

信仰者ゆえに

2020年06月26日 | 列王記第二

列王記第二 3章

「主のことばは彼とともにあります。」3章12節

 川沿いの散歩道で小さなサクランボの実を摘んでいる人が…。目が合って互いににっこりすると、「ここのはビオだから…」と言われました。確かにそうです。

 北王国イスラエルに経済的繁栄と政治的な安定をもたらしたアハブの死後、モアブが背きました。アハブの時にモアブは、膨大な羊毛をイスラエルに貢ぐいわば属国でした。しかし、アハブが死んだのを好機と見て、モアブはイスラエル王に反旗を翻します。

 アハブの子ヨラムは、兄弟アハズヤの死後王位を継ぐのですが、この危機に際して、自分一人ではモアブを抑える力がないので、南の兄弟国ユダのヨシャファテ王と、エドムの王にいっしょにもアブと戦うことを呼びかけます。

 ヨシャファテはヨラムの父アハブがいっしょにアラムと戦おうと呼びかけた時にも、同じようなことばで受けます。そして、「連合軍」の危機に際して、ヨシャファテの信仰ゆえに、エリシャによって神のことばを得て、連合軍はモアブに勝利します。

心に留まるのは、「もし私がユダの王ヨシャファテの顔を立てるのでなければ」というエリシャのことば。聖書協会共同訳聖書も同じことばです。「顔を立てる」と訳されているのは、直訳では「顔を上げる」と注にあります。新共同訳聖書はここを「ユダの王ヨシャファトに敬意を抱いていなければ」と訳しました。ヨシャファテゆえにヨラムに会い、ヨラムに語るのだと言うのです。

 連合軍はモアブと戦い一応勝利します。それでは、ヨラムはこれでよかったのでしょうか。3章の最後のことばは、この戦いの中途半端さを伝えているように響きます。ヨラムはいずれ一人で、神の前に立たなければならないのです。


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