みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主のことばがあったので

2015年05月21日 | 列王記第一

列王記第一 11章11−34節

 くっきりと晴れ渡った朝です。ポストに入っていた朝刊はビニール袋で包まれていました。道も濡れています。夜中にかなりの雨が降ったようです。

 きょうの箇所にはなんとも不思議な出来事が記されています。「みことばの光」が書くように「出来事は不条理に満ちている」かのようです。

 神の人をだました老預言者に目を留めてみました。彼はこの時、「御使いが主の命令を受けて…」とあるように、神の人をだますのですから、預言者として落ちぶれていたのかもしれません。しかし、まんまとだまして、神の人が自分の家でパンを食べ水を飲んだ時に、神はこの老預言者にみことばを託すのです。ですから、18節は自分の心から出たごまかし、しかし21、22節はまことに主が老預言者に語ったもので彼自身の思いから出たものではないと考えることができます。

 主が自分にことばをお与えになり、それが実現したことを目の当たりにしたことで、この老預言者は預言者としての自覚をいくぶんかでも回復したのかもしれません。

 神が語ったことばは必ず成就するのを、命令に従わなかった神の人も、だました老預言者も身をもって体験したのではないかと覚えました。主のことばを語る者は、まず聞き従う者でなければならないのです。


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