マタイの福音書 25章14−30節
お気づきかと思いますが、このブログの写真を改めて振り返ってみますと、今の時期は青や紫の花に片寄っている感があります。これがこの時期の花の色なのだろうかと思うのですが、どうなのでしょうか。隣の庭には橙色のホオズキがたくさん。こちらではホオズキを食べるので、観賞用としてだけ育てているのではないようです。
ここでイエスは、どのように終わりの日を待つのかについて、神から預かったものをその日が来るまで主のために用いよと教えておられます。主人からタラントを預かったしもべたちは、それぞれが5,2,1タラントずつを預かりました。預かったタラントの違いは、それぞれのしもべたちの優劣を判断するためではありません。花を写真におさめますと、二つと同じものはないのだと改めて気づきます。
人は神からそれぞれが、豊かなものを預かっているのです。このたとえで1タラントは確かに5タラントの5分の1ですが、「みことばの光」が書くように、1タラントでも巨額なのです。神は誰にでも実は驚くほど豊かなものを預けてくださっているのだということに気づくのは、大切なことです。
悲しいことに、神を恐れない社会は人の価値を「できるかできないか」「持っているか持っていないか」で見ています。ですから、いつも私たちは誰かと比べていいのか悪いのかと自分を評価することに慣らされてしまっているように思えます。「自分には何もない」と嘆く人が少なくありません。そんなことはない、と改めてここを読んで気づかされます。預けてくださったものを数えるのは大切ですが、それよりも、自分を見る時に預けてくださったお方から離れることがないようにと、主イエスがが語っておられるようにと、ここを読みました。