列王記第一 18章1−24節
鹿児島の口永良部島の新岳が噴火した様子が映されていました。大地は、すさまじい力を内に秘めているのですね。近くで目撃した方々はどんなに恐ろしかったことでしょう。ともかく、島に住んでいる方々が全員無事に避難したとの報道に安堵しています。
預言者エリヤとアハブとの対決、というようにみえるきょうの箇所。けれども、「みことばの光」が書くように、エリヤがアハブの先にある真の敵を見据えていることに気づかされます。
「エリヤ物語」を読んで思うのは、エリヤとアハブとの関係の不思議さ。きょうの箇所でも、エリヤに会ったアハブは「イスラエルを煩わすもの」と言うのですが、その次にはエリヤの指示の通りに行動するのです(20節)。アハブはエリヤに何を見ていたのでしょうか。
「私の主人」ということばにも目が留まります。アハブの臣下オバデヤは、アハブだけでなくエリヤをも「私の主人」と呼びます。自分の立場ゆえにアハブを「私の主人」を呼びながらも、敢然と悪王に立ち向かうエリヤを「私の主人」と呼ぶオバデヤを、「二心の人」としてしまうのはかんたんです。けれども、アハブ王の妻イゼベルの手からひそかに主の預言者100人をかくまって養う彼の姿に、ぎりぎりのところで心傷めつつ主に仕える信仰者を見ます。