コリント人への手紙第二 1章1−11節
「みことばの光」では、きょうからコリント人への手紙第二を読み進めていきます。この手紙からは、第一の手紙をパウロが送った後のコリント教会がどのように変わったのかを知ることができます。それとともに、パウロの個人的なことが詳しく書かれています。パウロの証しの手紙としても言い過ぎではないでしょう。
手紙の始まりをどのように書くかというのは、意外と難しく時間がかかるものです。今では「手紙のあいさつ」ということばで検索をすると、いろいろな例が示されるので便利と言えば便利ですが、とってつけたような感がしないわけではありません。
パウロは手紙をどのように始めているのでしょうか。「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと……から」とあります。このような始まりは、パウロによる他の手紙の書き出しにも見られますが、コリントの教会へには特別な思いをもって書いたのではないかと想像します。というのは、この教会の中には、パウロの使徒としての権威を受け入れない者たちがいたからです。
宛先についてはどうでしょうか。「コリントにある神の教会、ならびにアカイア全土にいるすべての聖徒たちへ」と書きます。「神の教会」ということばに目が留まります。当たり前のことを書いているとも言えますが、第一の手紙を考えると、このことばにはパウロの特別な思いが込められています。教会は、ある者たちが勝手にリーダーを祭り上げて分裂の危機をはらんでいました。ですからパウロは、人間の教会ではなく「神の教会」なのだと書くのです。
この部分では、「慰め」ということばが目を惹(ひ)きます。まず神が慰めに満ちたお方であると書き、パウロもコリントの教会も厳しい苦難の中を通されはしたけれども、神の豊かな慰めを受けて今があると言っています。苦難の中で神の慰めを味わった者は、苦難の中にある人を慰めることができるのだというのです。
「キリストによって私たちの慰めもあふれている」ということばを心の中で繰り返しつつ、この日を過ごしたいと思います。