みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

逮捕

2019年08月15日 | マタイの福音書

マタイの福音書 26章47−56節

 一昨日、日本から電話がありました。昨年夏に帰国された方からでした。とてもお元気な声でしたので、こちらもうれしくなりました。電話を切ってから、時刻を確かめてみると日本時間では夜中の3時少し前。眠れない夜を過ごされたのか、あるいは早くに目が覚めてしまわれたのか、どちらなのだろうとしばし考えました。お電話くださってありがとうございました。

 主イエスの逮捕の場面です。ユダに手引きされ、大勢の群衆が手に剣や棒を持ってイエスを捕らえに来ました。ユダはイエスに近づき口づけをしました。それは、イエスを特定するためのしるしでした。この場合、弟子のユダが先生であるイエスに口づけするというのは、師に対する故意の侮辱なのだそうです。ユダははっきりとイエスの権威を否定する行動をしたのです。欺瞞に満ちた口づけです。それを合図にイエスは逮捕されます。

 逮捕の場面でいくつかのことが起こります。一つは弟子の一人が大祭司のしもべの耳を切り落としました。ヨハネの福音書18章10節には、大祭司のしもべマルコスに切りかかって右の耳を切り落としたのはシモン・ペテロだと書いています。ルカの福音書22章51節には、イエスが耳を切り落とされた者の耳にさわって癒やされたことを記しています。そしてマタイの福音書には、「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」という主のことばを記しています。

 そして、この時弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまいます。すでに主は弟子たちがこのような行動を取ることを「私は羊飼いを撃つ。すると羊の群れは散らされる」という旧約聖書ゼカリヤ書の預言を用いて、予告しておられました(31)。結局、イエスを守ろうとする者は一人もいませんでした。イエスはお一人でご自分を逮捕する人々に向き合われ、身を彼らに任せました。

 しかしそれは、敗北ではなかったのです。

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