歴代誌第二 36章
週に一度、南ドイツ、スイス、チェコの方々が朝6時からしている「ネット・グループ・デボーション」に飛び入り参加しました。「みことばの光」のその日の箇所を読み、背景を探り、節をたどっていきます。昨日は35章でした。気がついたら2時間が経っていました。一人で読むのも素晴らしい恵みの時ですが、分かち合うことで新しい気づきが与えられます。「みことばの光」はこのように用いられているのですね。
歴代誌最後の章です。やっとここまで来たか、と安堵しているでしょうか。
ユダ王国最後の信仰の王ヨシヤの死後、ユダは駆け足で滅びに向かっていきます。後継者エホアハズはヨシヤを殺したエジプトによって退けられ、エホヤキムがエジプトの意にかなった王として即位させられます。しかしエホヤキムはバビロンによって捕えられ連れて行かれてしまうのです。エホヤキムの子エホヤキンはわずか三か月と十日で退けられ、バビロンの意にかなうことを求められたゼデキヤがユダ最後の王になるのですが、バビロンに背いたために、王国は最後を迎えます。
しかし、歴代誌はユダの滅亡で筆を置きません、バビロンの次に世界の覇権を手にしたペルシアのキュロスのことばを最後に記すのです。「その者は上って行くようにせよ」とは不思議な終わり方です。しかし、「この先に何かがある」と希望を感じさせることばでもあります。このことばこそ、歴代誌の「ねらい」なのではないかとして読みました。
歴代誌は、ヘブル語旧約聖書の最後に位置する書です。新しい出発をするために、自分たちの歴史を振り返り過去から学ぶ…、これが歴代誌です。「ユダは滅びた。しかし、それで終りではない。神は自分たちに希望を与えておられる」ということを、最初に読んだ人々は確信したのです。未来に希望を持って生きよというメッセージを、今歴代誌を読む一人ひとりにも届けていると、読み終えるに際して心に抱きました。
歴代誌の総まとめのことば。現代にも通じることですね。あわれみ深い神様に感謝します。
先生のブログの言葉にも気づかされることが多いです。ありがとうございます。