申命記 27章
伺ったお宅のお子さんは宇宙や天体が大好き。「好きこそ…」と言われるようにたくさんのことを知っているのでびっくりしました。その私も「聖書のことなら…」とも言いたいところなのですが…。
ここまでモーセはイスラエルの民に、神のみおしえを聞いて掟と戒めを守り行うようにと語ってきました。この時から40年ほど前、エジプトを出た民にモーセはシナイ山でみおしえを語りました。そして、約束の地を目前にした彼らは、再び神のみおしえを聞いているのです。40年の荒野の旅は困難でしたが、約束の地に定住した彼らは新しい困難、危機に直面します。周辺の諸民族の影響を受けて、彼らが神以外のものに心を移すという危機です。乗り越えるために必要なのは神のみおしえであり、そこにある掟と戒めを守り行うことに尽きます。
この章でモーセは、彼らが神のみおしえを忘れないための手段を持つようにと教えます。一つは大きな石です。石に石灰を塗り、そこに神のみおしえを記すのです。3節に「このみおしえのすべてのことばを…」とあります。自分たちの目で見えるものを置いておく、それを見る(読む)時、彼らは神の掟と戒めとを思い起こすのです。
もう一つは、イスラエルの各部族が二つに分かれ、それぞれが一方はエバル山の上に、もう一方はゲリジム山の上に立つのです。その時レビ人は宣言します。その宣言は「…者は…のろわれる」であり、その宣言のあと民は「アーメン」(そのとおりです)と答えるという儀式です。その光景を見た民は、神のことばを守り行う者に祝福が、行わない者に呪いがあることを、心に焼き付けるたのではないでしょうか。
私たちにとっての石とは聖書。聖書は神についての知識を得るものと考えやすいのですが、みおしえを忘れないために神が私たちに与えてくださったのが聖書。でも、聖書は眺めて神を思うものではもちろんありません。読んでこその聖書です。