ヨハネの福音書 11章17−31節
聖書に親しんでいる方は、「マリヤとマルタ」というとルカの福音書10章38−42節の出来事を思い出すかもしれません。エルサレムの東、ベタニヤ村に住んでいたマルタ、マリヤ、そしてラザロの姉弟の家に、イエスはよく立ち寄っておられました。きょうの箇所やルカ10章を読みますと、この姉弟とイエスとの間から親しさがにじみ出てくるようです。
ルカの福音書には、イエスを迎えてもてなしに忙しくするマルタが、じっとイエスのそばに座って御言葉に聞き入るマリヤの姿に腹を立て、いや、イエスにさえ腹を立てたことが書かれています。マルタのことばはこんなふうです。
「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」(ルカ10章40節)
姉妹の違いが、弟の死に際しておいでになったイエスの迎え方にも現われているのが印象的です。マルタはイエスを迎えに出ています。一方のマリヤは悲しみのあまり立ち上がることができないのか、座ったままでした。もちろん、マルタが悲しんでいないということではありません…。
マルタとイエスとの対話の中で、イエスはご自分について、そしてイエスを信じるすべての者への素晴しい約束について、お語りになりました。しかし、そのように言われてもなお、マルタはまさか死んで四日も経った弟が生きることを信じてはいませんでした。それは、39節のマルタのことばからわかります。
何事かが起こった時に、人はさまざまな行動をします。イエスはそれぞれの人にとっての神なのだということを、改めて考える箇所です。