みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

何一つわからなかった

2015年08月29日 | ルカの福音書

ルカの福音書 18章31−43節

 自動車で出かける折に頼りになるのが、今ならカーナビでしょうか。私もスマートフォン用の地図アプリを使用していますが、これがなかなかのもの。予め目的地までの地図をダウンロードしておきますと、携帯の電波によらずにGPSでピタッとそこに連れて行ってくれます。徒歩ルートのナビもしてくれて、教会までは6.2キロ、徒歩1時間15分と表記しています。いつもの公園を突き抜ける道で、楽しそう。一度歩いて教会まで行ってみましょう。

 行く先に何が待ち構えているのかを、弟子たちはわからないまま主イエスとともにエルサレムに向かっていました。ここで、主はエルサレムでご自分が何を経験なさるのかを12人をそばに呼んでお話になります。それは十字架と復活です。ところが、彼らには「これらのことが何一つわからなかった」のです。

 「みことばの光」が書くように、弟子たちがここで主イエスが話しておられることの意味を理解するようになるのは、ずっと後のことです。

 エリコの恐らく入り口から出口まで、ずっとイエスに「つきまとって」いた盲人。マルコの福音書では彼の名前をバルテマイと明かします。もっともこれも、「テマイの子」の意味ですから確かな名前はわかりません。彼はお通りになるのがイエスだと聞いて、「私をあわれんでください」と叫び続けます。そして、立ち止まった主が「私に何をしてほしいのか」と尋ねると、「目が見えるようになることです」と、イエスを主と呼んではっきり願います。

 彼のほうが、よほどわかっていたとも言えます。何もなければ主に頼らざるを得ない、このことを彼の信仰が教えています。


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