霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

土寄せ

2013-07-21 22:30:37 | 穀物
豆畑は何処も草だらけとなっているが「草刈り&草取り」作戦後に「土寄せ」をした市野々の
畑は見違えるように立派になった。
ここまで生長した段階で雑草を退治出来れば、これから出る雑草はあまり怖くない。

比較的水はけのいい畑だったので「土寄せ」が可能となったが、それでも一部は培土機が
進めないような湿地もあって難儀した。

写真の畑の続きに10aほどの畑が二枚続いていて、そこも今日中に済ませたかったが
乾きが更に悪く二枚目の半分までで断念した。

多少の無理は承知の上で「強行突破」するつもりだったが、培土機が身動きできない
湿地状態では諦めざるを得なかった。



明日からまた雨の日が続くので、ここの「土寄せ」は当分先のことになりそうだ。
何とか「草刈り&草取り」の効果が残っている内に済ませたかったのたが・・・。

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長雨の被害

2013-07-20 21:10:14 | 天気
極端な雨不足による水不足で田んぼでは生育不良となった稲も多い。
一方、水が不要になった頃にようやく降った「本格的な雨」は長雨となり、水はけの
悪い畑の大豆は湿害で葉が黄色に変色してしまった。
こうなると収穫は殆ど期待できない。

また、長雨で一度も「土寄せ」を出来ないままだった畑は雑草に埋め尽くされ
豆の苗が見えなくなっていた。
畝沿いに草を刈ってみても豆は姿を現さなかった。
間違いなく芽は出ていたので、その後に雑草の勢いに負けて消えてしまった
ようだ。

今年は、田んぼも畑も生育不良で「悲惨な年」になりつつある。



川向にある畑は「中耕除草」を二度も済ませているにもかかわらず、雑草に覆われて
しまっていた。
ここは「草刈り&草取り作戦」で何とか救出したいと思っているが、「梅雨の中休み」も
明日までで、また雨の日が続く予報となっている。

トラクターまたは培土機が入れる畑は明日中に一巡りしなければせならない。
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草刈り

2013-07-19 21:19:00 | 
豆畑の中耕除草を急ぎたいが長雨の後で畑に入れないので、会社が休みの息子にも
手伝って貰い早朝から「草刈り」に注力した。
田んぼのカメムシ対策のためには今月中に草刈りを終える必要がある。

それでも体力を消耗する「草刈り」を長く続けることは難しく、夕方の五時近くになったら
腕が上がらなくなってしまった。
明日以降は別の仕事をからめながら進めるようにしたい。


(法面の草刈りが多いのが中山間地農業の特徴)

「従兄弟会」は、叔父叔母は勿論のこと従兄弟達からも「楽しかった」とのコメントが多数
寄せられ幹事としても「苦労が報われた」ようで嬉しかった。
大宮在住のKからは「毎年は無理でも2年後にまた開いて」とのメールも寄せられた。

昨日は一日中強い雨だったので「これ幸い」に写真をプリントし以下の手紙を添えて
参加者全員に発送した。


先日は「長寿祝賀会並びに従兄弟会」に遠路多数の参加を頂きまして誠にありがとうございました。
久し振りの顔合わせで大変懐かしく楽しい会になったことを感謝申し上げます。
長寿祝賀の三姉妹も「甥や姪に親しく話しかけて貰えたことが一番嬉しかった」と話しておりました。

次回の開催が何年後になるかは未定ですが、個々人の近況報告を「写真や映像を使って紹介し合う」
企画も面白く、より親密な交流が図れるのではないかと思っているところです。
それまで、皆さんに大威張りで紹介できるような「充実した人生」を歩まれることを祈念しております。
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記念写真 その三

2013-07-18 21:53:28 | 家族
記念写真の最後は母の写真。
父と一緒に撮ったこの写真は、姉の解説によると父の病気治療のため弘前大学病院に
居た頃のものらしい。
当時、私は小学校低学年だったから、この写真も少なくとも50年以上前に遡ることになる。
眼鏡をかけた父はインテリ風だが実際は真逆に近いタイプだった。

弘前での病気治療は二年間に及び更に一年ぐらい自宅療養をした後に父は新しい会社
に就職した。
無収入が三年間続いた後の低賃金労働で一家は貧しい生活の連続となり、母も必然的に
「日雇い労働」に出て家計を支えることになった。



「子は親の運命に従う」ものだが、自分の人生を振り返って見ると「貧しさ」よりも「寂しさ」の方が
耐え難かった。
弘前に行く前までは「いつも母が居る家」だったが、その後は学校から帰っても「誰も居ない家」に
なってしまい「末っ子の甘えん坊」には辛い日々となった。

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記念写真 その二

2013-07-17 20:55:34 | 家族
市野々の叔母に贈った記念写真は独身時代に撮った幼い私とのツーショット。

叔母の独身時代の写真は、一番上の叔父が出征する際に家族揃って写したものしか残っていな
かったので極めて貴重な写真。
痩せて腰が曲がっている今の姿からは想像もつかない体躯をしていて、本人はこのような写真が
存在することさえ知らなかった。

何故か私は当時の事を記憶していて、撮影者が誰かは忘れたものの「カメラの方を見つめるように」
と言われたことを今も鮮明に覚えている。

市野々と霜後は車で五分の距離。
半世紀後に晩年を迎えた二人が農業を通じて頻繁に交流が始まることなど、この時は予測だに
しなかった。



今日は朝から市野々の豆畑で草刈りと草取りに励んだ。
一昨日までの雨の影響で畑は未だ乾いていなかったし、午後は霧雨が降り続いたが、逆に暑くなく
仕事ははかどった。

畑で仕事中の二人に叔母が一服用にお茶とお菓子を持って来てくれた。

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