shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

TAKURO TOUR 1979 / 吉田拓郎

2009-02-07 | J-Rock/Pop
 70年代半ばに学生時代を過ごした者にとって吉田拓郎という名前は特別な響きを持っている。当時の邦楽にはJ-Rock も J-Pops もなく、「一般大衆向けの歌謡曲、お年寄り向けの演歌、若者向けのフォーク」という感じでキッチリと棲み分けができていた。しかし極論かもしれないが、今の耳で聴けばこの3者はすべて同じ穴のムジナで、日本人好みのマイナー・メロディーをベースに、キャッチーな音作りで着飾るか、コブシを効かせて唸るか、生ギター1本で語りかけるかの違いだけのように思えるのだ。フォークの名曲といわれる「神田川」も、「22才の別れ」も、「旅の宿」も、みんなみんなコテコテの昭和歌謡ではないか。そんなフォーク界には誰が決めたのか四天王と呼ばれる存在がいて吉田拓郎、井上陽水、小室等、泉谷しげるという、後にフォーライフ・レコードを設立することになる4人が別格扱いされていた。前2人は納得できるが後2人は??? で彼らの歌を耳にした覚えすら殆どないのだが、とにかく拓郎と陽水の名は洋楽ばかり聴いていた私でもよ~く知っていた。陽水の素晴らしさが理解できたのは30才を過ぎてからで、当時の私が理解・共感・感動できたのは拓郎だけだった。私が思うに拓郎って見た目がカッコイイわけでもないし、わりとガラガラ声だし、とりたてて歌が上手いというわけでもなかったが、彼にはそういったものすべてを超越したソウルがあった。U2じゃないがまさに「魂の叫び」とでもいうべきそのヴォーカルは聴く者の心を激しく揺さぶり、まるで互いの魂が共鳴現象を起こしたかのように心の奥底にまで響き渡るような抗し難い魅力に溢れていた。それともう一つ、歌詞の素晴らしさも忘れてはいけない。彼は心の内にあるものをストレートに吐き出しそれを歌にして共感を得るというスタイルなので、その歌詞には「うん、その気持ち分かる分かる!」と思わず握手を求めたくなるようなものが多い。初めて「落陽」を聴いた時、苫小牧発仙台行きフェリーに乗って紅い夕陽を見てみたいと思ったものだし、「夏休み」を聴くと心は遥か彼方の時空へとワープして、セミの声を聞きながらスイカにかぶりついていた子供時代を思い出す。「ペニーレインでバーボン」を聴くと酒を飲めない私でも何故か呑みたい気分になってくる。こんな歌い手は拓郎しかいない。私が好きな彼のレコードはライヴ盤が多く、中でもこの「TAKURO TOUR 1979」は初めて聴いた時の衝撃の大きさから言っても間違いなく彼のベストだと思う。2枚組レコードのほとんどの音源が今や伝説の「篠島アイランド・コンサート」からのもので、全盛期の彼の熱い魂の叫びが克明に音溝に刻み込まれている。スタジオ・テイクが私には軽すぎてイマイチだった「結婚しようよ」はこのライヴではテンポを落とし曲の重心を下げたのが大成功、見違えるほど生き生きしたヴァージョンになっているし、「外は白い雪の夜」もスタジオ・テイクを凌ぐほど説得力に溢れたヴォーカルが絶品だ。私が拓郎の最高傑作と信ずる「ペニーレインでバーボン」で聴かせる圧倒的なノリはとても言葉では表現できない素晴らしさ。そして圧巻なのはボーナスEP両面にまたがって連続収録された約20分にも及ぶ「人間なんて」。拓郎の絶叫が熱いエネルギーの塊となって聴く者を圧倒し、興奮と狂気の世界へと導く凄まじいクライマックス(≧▽≦) この盤はアホなレコード会社の自主規制(ペニーレイン・歌詞・つんぼ桟敷、で検索してみて下さい)のせいで現在入手不可能・再発の可能性ゼロだが、こんな名盤を廃盤にしておくこと自体、犯罪に等しい。「買い物ブギー」でも強く感じたことだが、言葉を狩れば文化をも殺すことになりかねない。レコード会社はいつからエセ人権主義者達の言葉狩りに迎合するようになったのだろうか?「音楽文化の担い手」としての自覚をしっかり持って無意味な自主規制を早急に解除し、埋もれた名盤を再発してもらいたいものだ。

ペニーレインでバーボン
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